「女の顔」
浪費癖のある白子屋お熊が実母と共謀し多額の持参金と共に婿入りしてきた旦那を殺害しようとした有名な白子屋お熊事件を題材にした一篇である。事件の真相に迫る南町奉行所の廻り方同心・林将右衛門と後輩の大塚半兵衛は、毒を盛られて起き上がることもままならないお熊の婿養子・又四郎に小刀で襲い掛かり取り押さえられたお菊の尋問をすることになる。お熊の刑が執行された後、徐々に事の真相が明かされていくのだが、現代に通じるという意味においても背筋が冷たくなるほどの恐怖を感じた。
他にも、殿様を狙う猟師を斬るために出合った仇で繋がる縁を描いた「落合宿の仇討」と、見世物小屋一座の智(とも)の身の上話を描いた「夢の浮橋」の2篇が収録されている。
本書に収録されているのは、いずれも江戸時代の陰惨な物語ばかりだ。この五つの短篇は、狂言作者・河竹黙阿弥のために台本のネタを探す落合幾次郎が、訪ねた古書店の店主から渡された5篇の陰惨な戯作という設定となっている。
約二年間にわたって、「オール讀物」で発表された五つの短篇を、新たに大きな物語としての短篇を創作し、先の五つの短篇を埋め込むことで、入れ子構造の物語形式の短篇集として生まれ変わらせたのだ。5篇の短篇を束ねる額縁となる物語が幕間という形で挟みこまれ、大きな一つの物語となっているのである。おそらく、最初の短篇を発表した時からこの構想の下でそれぞれの短篇を創作していたに違いない。もしそうでなかったとしても、そう思わせてくれるのが作家・谷津矢車なのだ。
本書には、様々なテーマが隠されている。本書が『雲州下屋敷の幽霊』と改題されていなければ、かなり字数を割いてそのテーマについて掘り下げて紹介するつもりだったが、まずは、江戸の怖い話が淡々と綴られていく不思議な5篇を読み、人間が持つ闇を描いた残酷で無惨な物語にも関わらず、不思議と美しいと感じてしまう怖さをぜひ味わっていただきたい。
最後に、タイトルが『奇説無惨絵条々』のままだったら詳しく触れておきたかったことを少しだけ書かせていただく。どうしても、氏の「歴史時代小説とは何か?」という問いに対する向き合い方についてだけは触れさせていただきたいのだ。
作中語られる、物語と歴史という案外区別がつきにくいものについての立ち位置が腑に落ちる。お上が言う風紀紊乱への規制は、演劇改良運動で、庶民のものであった芸能にまでも時代考証を義務付け、世の中にいい加減さを許さない風潮を植えつけさせた。氏は、本書を通じ、そんな価値観の変わり目の明治20年代を舞台に、江戸時代の物語(嘘)を通して、物語(嘘)と事実を切り分けることの必要性を描きたかったのではないだろうか。事実なんて無味乾燥なものであり、時の流れや風向きで事実は大きく変わる。そこに物語(嘘)という形で、時代を越えても変わる事のない普遍的な要素を入れることにより、見えてくる真実があるのだ。
私たちも、時代が変わることを、昭和、平成、令和と体験しているが、やはり昭和が終わった時にはそれを十年は引きずっていた気がする。江戸から明治に変わって大きな変革はあったけれど、その中での実(まこと)は一体なんだろうかと問われる部分でも、今の読者の共感を得やすいのではないだろうか。
それこそが、歴史時代小説の意味なのかもしれませんね。
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