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究極の観音像を彫るために仏道を捨て……生と死と性を味わえる花房文学の集大成

究極の観音像を彫るために仏道を捨て……生と死と性を味わえる花房文学の集大成

文:雨宮 由希夫 (書評家)

『色仏』(花房 観音)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『色仏』(花房 観音)

「オール讀物」2014年10月号に掲載された「姫仏」を読んで、「花房観音」というペンネームとともに、文芸的な匂いの濃い不思議な文体に惹かれた。これが花房観音さん(以下、敬称略)との出会いだった。

 花房のプロフィールは例えば、「1971年、兵庫県生まれ。京都女子大学中退後、映画会社、旅行会社など様々な職を経て」と記されるが、以前に書かれた何冊かの小説を手にして、花房が「のたうち回るような20代」を過ごしたことを知った。とりわけ、自伝的な小説『京都 恋地獄』をはじめとし、『寂花の雫』や『楽園』には若き日の修羅を想像させる文章が時に無防備に、時に赤裸々に織り込まれている。

 花房は2010年、京都の和菓子業界を舞台にした官能小説「花祀り」で第一回団鬼六(だんおにろく)賞大賞を受賞した。翌2011年は花房にとって忘れ難い年となった。受賞作が刊行され、官能作家としてデビューしたのである。東日本大震災直後の暗い東京で第一回団鬼六賞授賞式が挙行された(『黄泉醜女』)。なお、『情人』は阪神・淡路大震災、東日本大震災の体感が書き込まれた作品である。

 さて、本書。単行本刊行時の帯に「官能時代小説」とある。「官能」というと、本流の文芸からそれたジャンルという響きがあるが、私は「官能」という枕詞をはずし〈幕末もの〉歴史時代小説として読んだ。

 主人公は烏(からす)という名の、観音像を彫ることを願望する木彫師で、舞台は幕末の京都である。小説にとって背景となる時代と土地は重要で、本書は幕末の京都でなければ成り立たない。

 烏は北近江の琵琶湖の端の、山を越えれば若狭が近い、山と田と畑と湖と観音像しかない村で育った。「閉鎖的な田舎」に生まれ育ち、京都に来て、京都から出られなくなった人間、つまり烏は「よそもん」、京の人間ではない。

 代表作『好色入道』の怪僧・秀建もしかり、関西の日本海側の田舎町の出身である。このように、主人公もしくはそれに近い重要人物の出身地を京都近郊に設定することは京都に縁を持つ花房文学の重要な舞台装置の一つである。

 烏は北近江の月無寺(つきなしでら)の本堂の軒下に捨てられた子で、子供のいない住職に育てられた。月無寺は架空の寺で、滋賀県長浜市高月町の渡岸寺(どうがんじ)観音堂がモデルとなっている。水上勉の『湖の琴』や井上靖の『星と祭』で、琵琶湖の北端には美しい仏像が存在することが全国的に知られるようになった。なお、この観音像が「花房観音」のペンネームの由来となった。

 月無寺の観音様の正確な製作年や作者は不明で、戦国時代に織田信長が浅井長政や朝倉義景と戦った姉川の戦いのとき、戦火で寺院が焼失した際、村人たちが像を土中に埋めて災禍を免れたと伝わる。

 烏にとって故郷の十一面観音以上に美しいものはない。

 17歳になろうとするとき、住職は烏を跡継ぎの僧侶にするべく、京の大業寺(だいぎょうじ)の俊覚に預けた。烏は僧になるという目的をもって京の都にやってきた。

 烏は大業寺で修行中の頃、背中に十一面観音の刺青を持つ真砂(まさご)に出会う。真砂は俊覚の女で、女手ひとつで長屋と茶屋を営む30半ばの年増女。容姿は「白い肌、切れ長の目に赤い唇。肉を感じさせる女の身体」と造形されるが、これこそすなわち真砂そのものが観音様であったということで、二人の出会いは宿命的なもので結ばれていたというべきか。

 20歳の烏が大業寺を離れ、仏の道を捨てたのは、真砂という女の背中に故郷のあの観音様を見たからだった。

 故郷には戻れぬ、京の街で何が何でも喰っていかねばならぬ──そんな烏に「仕事」を与えてくれるのが猿吉(さるきち)である。「仕事」とは、女の秘めた部分を眺めては描き、人形として彫り出すことだった。しかも、 27の今まで烏は女と寝たことはないという設定である。

 読みどころが無数にある連作短編集である本書の主題は何か。官能時代小説を謳っているから性愛描写も描かれているが、謎めいたタイトルで収録されている6編は、あの十一面観音以上に美しく艶めかしい仏像を彫るために故郷も仏の道も捨てた人形師たる青年・烏をめぐる連作で、人間の持つ色欲という業に焦点をあてている。通り一遍の官能小説ではないのである。

 まず、第一章「姫仏」の主人公は徳川の次の将軍へ輿入れの噂のある公家一条家の章姫。烏は章姫が何者であるか知らずに制作する。やがて、烏が制作したその猥らな裸の女の人形が三条大橋に晒される。この事件により、章姫は嫁ぎ先を失うが、この可哀そうな姫君と烏は再会する。

 再会の場所は下鴨の森の中の「商家でもなく、ただの農家のような一軒家」となると、読者は「あの家」、京都を牛耳る権力者たちが集い性の欲望を共有し狂宴をくり広げている『花祀り』の京都の町屋を改造した密室、『好色入道』の「京都の北、賀茂川沿いにある見かけは普通の民家」を連想しないか!

 そこで烏は姫君自身が人形の依頼者で、輿入れし大奥の籠の鳥となることを拒む女の業を知る。

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