全国のミステリーファンのみなさん、こんにちは! 猛暑、台風、新型コロナ感染拡大をしばし忘れられる、ステイホームにぴったりの7月の新刊ミステリーをご紹介します。
文藝春秋が刊行する新刊書籍・文庫のなかから、評者が「これぞ!」と思ったミステリー作品をおすすめするブックガイドです。読み逃しがありませんように、チェックリスト代わりに活用していただけたらうれしいです。
【単行本】
□織守きょうや『花束は毒』
【文春文庫】
□伊集院静『日傘を差す女』
かたや『記憶屋』で知られるホラー&ミステリーの新旗手、かたや大ベテランのコワモテ無頼作家――。一見、対極に見えるおふたりの新刊に、思わぬ共通点を発見しました。
両作とも「面白いミステリー」であることは当然の前提として、共通点その1、日常のリアリズムに根ざした「驚き」があること。その2、どこにでもいる“普通の人”にひそむ「怖さ」や「狂気」を描いていること。
1には少し解説が必要かもしれません。このところミステリー界は傑作、話題作が目白押しで活況を呈しているのですが、人気を博する作品の多くが「特殊な世界設定」だったり、探偵役が「特殊な能力」をもっていたりするのですね。ある種の人工的な設定の中で、思考実験をするように物語が進んでいく。そこから意外な驚きが生まれたり、新しいトリックが可能になったりするという趣向で、今村昌弘さん『屍人荘の殺人』、阿津川辰海さん『透明人間は密室に潜む』、斜線堂有紀さん『楽園とは探偵の不在なり』など、ミステリーの歴史に刻まれるような傑作が続々と誕生しています。でも、そういう作品を続けて読んでいると、たまにはひと息ついて、普通の刑事や探偵が出てくるミステリーを読みたくなる……。そんな読者にピッタリの2作が揃ったわけです。
まず、織守きょうやさんの『花束は毒』。昔、家庭教師をしてくれた兄貴分の真壁が、婚約を控えて謎の脅迫者に怯えている、なんとか脅迫者の正体をつきとめられないか――。大学生の主人公・木瀬は、こうした相談を町の探偵事務所にもちこみます。すると事務所で応対したのは、中学時代、学内の相談事をたちどころに解決することで有名だった頼れる先輩、北見理花。北見先輩は叔父の探偵事務所を中学時代から手伝い、いまでは「所長代理」になっているのでした。
謎の脅迫者をつきとめる鍵は、真壁が学生時代に起こした「事件」にあるらしい……。北見と木瀬のコンビは、真壁に内緒で彼の過去を探っていきます。この「私立探偵が過去を探る話」は、現在進行形のサスペンスに比べると、えてして退屈なものになりがちなのですが、織守さんは過去の「探り方」の描写が抜群にうまい。それは「できることとできないこと」を正確に描写していくからなのかな、と感じました。探偵の立場でやれること・やれないこと・やれるけれどやるべきでないこと、合法・違法の境界線、自分にはできないが専門職の手を借りればできること、などの判断がそのつど的確で、局面、局面で最善手を選んでいく選択自体に妙味がある。つまり、調査を実行するプロセスそのものが面白く書かれているわけですね。過去を掘って出てくる情報の出し方や順序も工夫され、徐々に明らかになる「事件」の中身にまた驚きがあるため、ハラハラドキドキ、自分もまた私立探偵になったような気持ちで楽しむことができます。これ、「調査小説」の金字塔ではないでしょうか。週刊文春の記者経験がある評者も、たいへん勉強になりました。
興を削ぐので具体的な紹介を控えますが、終盤に大きなどんでん返しが連続し、その結果、なんとも言えない「恐怖」がもたらされる展開は絶品。しかも最後の最後、その恐怖が読者に投げかけられて幕を閉じるため、いつまでも「自分だったらどうする」との問いが頭から離れないのです。「驚き」を「恐怖」に転調していく筆さばきもまた、織守さんの大きな持ち味ではないでしょうか。2021年必読のイチオシ作品です!
伊集院静さんの『日傘を差す女』は、著者の作風からすると意外の観もある、たいへん本格的な警察小説です。松本清張作品を愛読する伊集院さん(「天城越え」が最愛だそう)は推理小説にも関心が強く、本作は『星月夜』(文春文庫)につづく警視庁捜査一課を舞台にしたシリーズ第2弾。日本の原風景ともいえるノスタルジックな情景が描かれるのがシリーズの特徴で、『星月夜』には出雲地方の刀鍛冶や岩手の農村風景が、『日傘を差す女』には捕鯨で知られる和歌山県太地町、津軽の三厩村、そして赤坂の花柳界が描かれます。21世紀に入ってなお昭和の名残りを残す日本的風土の中に、事件の根は存在しているのです。
本書の内容を紹介していきましょう。クリスマスの朝、永田町のビルの屋上で胸に銛が深く刺さった老人の死体が発見されます。彼は和歌山県太地町に暮らす伝説的な捕鯨船の砲手で、銛も彼自身が作った特殊なものでした。遺書があり、いったんは自殺と断定されるも、直後、類似した凶器で殺害された死体が次々に発見されます。もしや太地町の砲手の死も、自殺に偽装された殺人ではないのか? しかし関係者にはみなアリバイが――。驚くほど堅牢に構築された「謎」に挑むのは、警視庁の若き刑事・草刈大毅。そして草刈は、事件に深く関わるにつれて、自分自身の過去とも向き合うことになるのです。「足で捜査する」古きよき推理小説のスタイルを採用しつつも、その捜査は、刑事自身の過去の蹉跌を、また、若者特有の「狂気」と「歪み」を浮き彫りにしていきます。この構造はまさしく現代小説のものに他なりません。
タイトルから、モネの有名な絵画を思い浮かべる読者も多いことでしょう。事件に深くかかわってくる「日傘を差す女」の鮮烈な描写も、美術に造詣の深い著者ならでは。文庫化をきっかけに、ぜひ「伊集院ミステリー」の世界に触れてみてはいかがでしょうか。
さて、今月の紹介は2作にとどまりましたが、8月、9月にかけて、ミステリーの話題作が続々刊行されていきます。いったい何から読めばよいのか、ファンの悲鳴が聞こえてきそうです。
文春ミステリーチャンネルでも、「秋の陣」に向けて面白い作品をどんどん紹介していく予定です! お楽しみに!
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