本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
幼くて、苦くて、煌めいていたあの頃。鮮烈デビューの18歳の胸のうち

幼くて、苦くて、煌めいていたあの頃。鮮烈デビューの18歳の胸のうち

聞き手:「別冊文藝春秋」編集部

『檸檬先生』(珠川 こおり/‎ 講談社)

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『檸檬先生』(珠川 こおり/‎ 講談社)

 相手に自分のすべてを捧げ、受け入れてほしいと願うこと。そして、それは永遠に手に入らぬ夢だったのだと絶望すること。第十五回小説現代長編新人賞受賞作『檸檬先生』には、私たちがたしかに経験してきた、思春期の煌めきと痛みが詰まっている。

 都内の小中一貫校に通う小学三年生の「私」は、音を聞くと色が見え、色を見ると音が聞こえる“共感覚”という現象に悩まされている。その影響で学校に馴染めず、クラスメイトからは「色ボケ」と蔑まれ、教室にも家庭にも居場所がなかった。

 孤独な毎日を過ごす中、「私」はある日、美しいピアノを奏でる中学三年生の少女と出会う。檸檬色の瞳をした彼女もまた、共感覚の持ち主だった。

 二人は互いに「檸檬先生」「少年」と呼び合い、授業を抜け出し音楽室でともに時間を過ごすようになる。「私」にとって、共感覚者のみに見える景色を共有できる檸檬先生は、生まれて初めて言葉の通じる他者だった。「私」は檸檬先生への憧れを募らせ、二人だけの世界を築き上げる愉しさに夢中になる。

 しかし、物語が進むにつれ、檸檬先生が身を置く環境の危うさが露になってくる。

 檸檬先生には、頼ることのできる保護者がいない。家庭の事情で、進路を自分で選ぶことすら許されない。子どもらしい自由さをはく奪され、いつでもまるで大人のように振る舞うことを求められていた。

 著者の珠川こおりさんは、現在十八歳。檸檬先生の行き場のない思いは、珠川さんが中学生当時に抱えていたもどかしさを投影したものだという。

「彼女の“はやく大人にならなければならない”という切迫感は、私にも覚えがあるものです。将来この職業につきたければこの大学、そのためにはこの高校を受けて……と、遠い未来から逆算して今の選択をしなければならないのかと、見えない圧を感じて毎日憂鬱でした」

 まだまだ子どもでいたいという内なる願望と決別するかのように、檸檬先生は良き「先生」として、幼い少年を導いていこうとする。共感覚をコントロールする方法を教え、学校という小さな社会の中で生き抜く術を伝える。さらに彼女は「私」に、音を色に反映し、一枚の絵として仕上げる“共感覚アート”を一緒に制作しようと持ち掛ける。この経験が少年の人生を変えることになる。自分が見ている世界を開示し、表現することの喜びに魅せられるのだ。

 珠川さんにとって、芸術に触れることで成長を遂げる少年を描くのは、自然なことだったという。

「私は小学二年生の時に、姉の影響で小説を書き始めました。はじめは見よう見まねだったのが、だんだんとのめり込み、中学二年生になる頃には自分が伝えたいことを小説のテーマにできるようになりました。それまでずっと姉の真似ばかりしていた私が、自然と自分の感情に素直に行動できるようになったんです。小説を書くことを通して、自分の頭で考え、表現する習慣がつき、少しずつ自立することができたのかなと思います」

 成長するにつれ、一人の人間として彼女に好意を向けるようになる少年と、自分の分身のような存在を求め続ける檸檬先生。互いに共有していたものが大きかったからこそ、二人の「違い」がかえって浮き彫りになってきてしまう。自分のすべてを受け入れてほしい――檸檬先生の祈りがピークに達したとき、二人の関係は破綻を迎える。蜜月の時間があまりに眩しいものだっただけに、その別離は胸に刺さるが、それでも、彼らは出会えてよかったのだと珠川さんは語る。

「相手と自分は違う生き物だと理解したうえで、他人と繫がることはできると少年が信じられたのは、檸檬先生の存在があったからだと思います。自分と考え方は異なるけれど、だからこそ先生のことが好きという感情に向き合えたこと、それこそが彼にとって財産だったのでしょう。『分かり合えない』ということを、それでいいんだと肯定する作品にしたかったんです」

 珠川さん自身も、ずっと抱えていた息苦しさから解放されたのは、高校で自分とは違う世界を持つ友人たちに恵まれたことが大きいという。現在は大学に進学し、美術を専攻している。音楽活動も続けるなど多才な珠川さんだが、「一番自由に自分をさらけ出せるのは、小説」だと語る。

「大学に入ってまた一つ、扉が開いたと感じています。アーティストとしても活躍している先生方による授業はスリリングですし、同じテーマでも全く異なる表現が出てくるのも面白い。芸術において、正解は一つではないということを痛感する毎日です。多様な価値観に触れる中で、自分の軸がくっきりと定まっていくような気がします。そんな中で感じ取ったことの積み重ねを、また少しずつ小説にしていけたらと思っています」


たまがわ・こおり 二〇〇二年、東京都生まれ。小学校二年生から物語の創作を始める。高校受験で多忙となり一時執筆をやめるも、高校入学を機に再開する。二一年、『檸檬先生』で第一五回小説現代長編新人賞を受賞。

檸檬先生

 

講談社

2021年5月26日 発売

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版39号 (2021年9月号)
文藝春秋・編

発売日:2021年08月20日

ページの先頭へ戻る