『娘の遺体は凍っていた 旭川女子中学生イジメ凍死事件』の冒頭を公開します。
はじめに
〈廣瀬爽彩という児童(ママ)が亡くなりました。彼女の死について調べてほしいです。学校でのイジメがあり事件に巻き込まれた様子なのですが、(略)どうかこの事件に注目し、真実を調べてあげてほしいです。亡くなった爽彩さんの無念を晴らしてあげたいです〉
すべては2021年3月26日に文春オンライン特集班の「公式Twitter」に寄せられた、支援者による1通のダイレクトメッセージから始まった。14歳の女子生徒が亡くなり、その背景にはイジメがあったという内容だったが、その時点で彼女が失踪から遺体で見つかったことを報じているメディアはなく、当初は事件の詳しい情報が掴めなかった。この支援者のメッセージを元に取材班は被害者の母親や親族とコンタクトを取り、4月1日に、北海道・旭川へ飛んだ。その時は、爽彩さんが想像を超える凄惨なイジメ被害に遭っていたこと、その後取材が60日間にも及ぶことなど、知る由もなかった。
東京では既に桜が散り始めていたが、4月の旭川は花見どころか街には雪が残り、上着が必要なほど寒かった。取材を通して会った母親や親族は、爽彩さんの死が受け入れられず、爽彩さんがイジメを受けていた事実を認めない学校や旭川市教育委員会に深い不信感を募らせていた。そのときの母親の表情は“怒り”ではなく、すべてに疲れ切って、爽彩さんが亡くなった理由もわからないまま灯が消えかけているような状態だった。
慎重に取材を進め、約2週間かけて友人、支援者、学校関係者、近隣住人などを当たり、多くの証言と物証を積み重ねた。取材過程から見えてきたものは、凄惨なイジメ事件に関与した加害者すべてが未成年という事実だった。そして、加害生徒が犯した行為が従来のイジメという枠を大きく外れ、SNSによるわいせつ画像の拡散、性犯罪にまで及んでいたことだった。
事実確認のための加害生徒への取材は、相手が未成年であるということを考慮し、細心の注意を払って行った。少年少女の保護者にアプローチして、保護者同伴、もしくは本人ではなく保護者に爽彩さんへのイジメに対する認識や亡くなったことについて現在の心境を聞いた。取材班の前に現れた加害生徒たちの外見や声はどこにでもいる少年少女だったが、違和感を覚えたのはすべての加害生徒と保護者が、「イジメを行ったのは自分ではない」と答え、責任転嫁を図ったことだった。さらに、自身もよく知っているはずの身近な子が亡くなったのに、薄ら笑いを浮かべていた加害者がいたことに、正直、取材班は驚きを隠せなかった。
関係者への取材を一通り終え、あとは記事を配信するだけとなった段階でも、取材班にはまだ決めかねていることが一つあった。
爽彩さんの実名と写真を記事に載せるか載せないか、という問題である。
実名を報じることで、亡くなった爽彩さんやその遺族たちをさらに傷つけてしまうのではないかという懸念があった。しかし、実名で報じなければ、この事件の輪郭がぼやけ、多くの人に受けたイジメの全貌が伝わらないのではないか。どちらにすべきかを遺族側とも何度も話し合ったが、結論は出なかった。
最後は母親が悩んだ末、「爽彩が14年間、頑張って生きてきた証しを1人でも多くの方に知ってほしい。爽彩は簡単に死を選んだわけではありません。名前と写真を出すことで、爽彩がイジメと懸命に闘った現実を多くの人たちに知ってほしい」との強い意向を示した。取材班も、爽彩さんが受けた卑劣なイジメの実態を可能な限り事実に忠実な形で伝えるべきだと考え、実名と写真の掲載を決断した。
4月15日に第一報となる記事が配信されると、多くの読者が事件の惨状に心を痛め、消えかけていた灯が世論を巻き込む形で大きくなった。そして、旭川市の教育委員会は新たに第三者委員会を立ち上げ、イジメの再調査が行われることとなった。しかし、その一方では、ユーチューバーなどがネット上で、事件とは無関係の人たちについてのデマ情報や、実名の“晒(さら)し行為”“誹謗(ひぼう)中傷”を行った結果、新たな被害が生まれてしまうことになった。
「爽彩が死んでも誰も悲しまないし、次の日になったらみんな爽彩のことは忘れちゃう」
生前、爽彩さんはこう母親に漏らすことがあったという。しかし、取材班は、爽彩さんの死をこれだけ多くの人が悲しみ、彼女のことを思い浮かべていることを知っている。
本書は、文春オンラインで配信された「旭川14歳少女イジメ凍死事件」の記事22本に加筆修正を加えて再構成し、さらに爽彩さんの母親による彼女と過ごした14年の日々をった手記を掲載したものである。
心痛の中、取材に協力いただいた爽彩さんの母親、親族、支援者の方々に改めてお礼を申し上げます。
そして、廣瀬爽彩さんのご冥福を心からお祈りします。
文春オンライン特集班
この続きは本書でお読みください。