■男たちの罪悪感と呪い
――先日、あなたの犯罪小説を全部読み直して思ったのですが、あなたの作品の男たちは、プレッシャーに苦しめられているように見えます。男性性の呪いというか、いわゆる「Toxic masculinity」といえばよいでしょうか。
DP そのとおりです。
――彼らには、きわめて男性的にふるまわなければならないという強迫観念がある。例えば犯罪者を捕まえてきたらぶん殴ってみせなければならない。そうしたプレッシャーと、それのもたらす罪悪感のなかに彼らはいます。彼らは「父/息子/夫」であることへの罪悪感を常に抱えてもいます。しかしライケンバックはそうしたものから自由な存在です。第三部の物語は、あなたの新しい地平を予感させるものでした。
DP たしかに。別の角度から言うと、第三部にはメアリーとジュリアという女性が出てきますね。この二人は過去のわたしの作品の女性たちよりも、ずっと「強い」キャラクターだと思っています。これまでわたしが描いてきたのは、一般的に「男性的muscular」とされる世界です。警察官、サッカーの監督、炭鉱労働者……そういう世界にはあまり女性はいません。話を戻すと、男性は女性に対して一定の罪悪感を抱いているように思っているんです。あるいは子供たちに対して。理由はさまざまではあれ、彼らは女性や子供たちから引き離されてしまっているからです。第三部でジュリアやメアリーを描いたのも、わたしにとって新しい挑戦でした。
■当初の構想は四部作だった
――ところで、もともとの構想では四部作で、終戦から1964年のオリンピックまでだったようですね。
DP そういえばそうでした。完全に忘れてましたよ(笑)。東京オリンピックは「国際社会が日本の復帰を受け入れた」ということの象徴です。今回のオリンピックを通じて非常にはっきり見えたように、1964年は一つのゴールの象徴で、日本のひとたちはそこに至ろうとしてたいへんな努力を傾けたということでした。それは経済やテクノロジーの発展による繁栄の未来を約束するものでもありました。新幹線がその象徴ですね。そして「鉄道」それ自体も。「小平事件」「帝銀事件」「下山事件」に加えて、「吉展ちゃん誘拐殺人事件」をとりあげようと思ってたんじゃないかと思います。ただ、この事件は──もちろん日本社会に大きな衝撃を与えた悲劇ですが──そこに政治的な重要性を読み取るのは難しい。
――おっしゃるとおりです。
DP たぶん『1983 ゴースト』を書きあげた頃の構想は四部作で、次の『GB84』(文藝春秋より刊行予定)を書いているあいだに考えが変わったんじゃないかなあ。四部作の構想メモというかマップみたいなものは仕事場のどこかにあるはずですよ。当時は「昭和四部作」と呼んでいましたが、イギリスのフェイバー社と具体的な話をしたときには「東京三部作」になっていたと思います。
――「昭和四部作」の要素も『TOKYO REDUX』の第二部、第三部に組み込まれていますね。第二部は東京オリンピックの前夜、第三部は言うまでもなく、昭和最後の年です。三部作皆勤賞の服部刑事が、吉展ちゃん事件の捜査について室田に愚痴る場面も出てきます。『TOKYO REDUX』の仮題も変遷しましたね。最初は『TOKYO REGAINED』、次いで『JASHUMON(邪宗門)』、『THE EXORCISTS』。そして『TOKYO REDUX』になりました。
DP そうでしたね(笑)。「The Exorcists」は『Xと云う患者』の章題(「悪魔祓い師たち」)に使いましたが、「エクソシスト」というコンセプト自体は『TOKYO REDUX』でも踏襲されているんです。つまり、誰が「エクソシスト」なのか――日本の軍国主義や帝国主義という暗く古い勢力が、日本にとり憑いた「アメリカ」という悪霊を祓おうとしているのか。あるいはその逆で、アメリカがエクソシストなのか。わたしが戦後の日本を舞台として描いてきたのは、いわば「エクソシスト同士の戦争」なんです。
――ということは、ワーキングタイトルの変遷は作品の主題の変遷を映しているわけではないんですね。
DP もちろんそれもありますが──いつもわたしは、「本はすでに書かれてあり、自分の仕事はそれを見つけることだ」と思っているんです。『TOKYO REDUX』を「見つけた」ときに「見えた」のは、三つの時代を描く三部構成、それぞれに回帰、回帰、回帰をくりかえす、ということでした。だから『TOKYO REDUX』は完璧な題名だと思っています。
■REDUXからUKDKへ
――「Redux」という言葉は、「何かが帰還した」「戻ってきた」みたいな意味合いですが。
DP そもそも「Tokyo redux」というフレーズは、内輪のジョークだったんですよ。他の作品を書かなくてはいけなかったりで、この作品の執筆は何度も中断しました。別の仕事が終わって、この作品の執筆に戻るたびに「Tokyo redux!(東京にご帰還だ!)」と言ってたんです(笑)。
――『RED OR DEAD』や『Xと云う患者』のために執筆が遅れたのだとしても、そうした「回り道」が『TOKYO REDUX』で合流したと僕は考えています。今回の作品は、あなたのこれまでの作品の集大成ではないでしょうか。
DP わたしもそう思っています――というか、そうであればいいと思っています。これまでの作家としての体験が結実していてほしいと。
――今後の予定はどうなっていますか。日本では『GB84』が次の刊行作品となりますが。
DP 『GB84』と同じ系列に属する新作を書いているところです。1970年代のハロルド・ウィルソン政権下を舞台に、ウィルソン首相に対する陰謀を北アイルランドとの関わりのなかで描いてゆきます。『UKDK』というタイトルで、『TOKYO REDUX』の第三部よりも、もっとはっきりとスパイ小説の色彩が強い作品になります。楽しみにお待ちください。
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