僕の「長田昭二」という名前はペンネームだ。
「長田」は「ながた」ではなく「おさだ」と読む。「ながたさん」と呼ばれても返事はするが、本当は「おさださん」と呼んでもらいたい。
何を隠そう「おさだしょうじ」を並べ替えると「しょうじさだお」になるのだ。
なんだ、それだけの理由で東海林さだおの作品の解説を書いていいのか!
と怒り出す人もいるかもしれないので、まずそのあたりの言い訳から書きますね。
僕の東海林先生(のエッセイ)との出会いは昭和の終わり、大学生の頃だった。当時僕は川崎市高津区のアパートで一人暮らしをしていた。
ある日の夕方、学校の最寄り駅の三軒茶屋から電車に乗ると、目の前にいた初老の男性と目が合った。親父だった。
僕が小学校に入る前に両親は離婚し、僕は母子家庭で育った。子どもの頃は親父と時々会っていたが、思春期の頃には関係も疎遠になり、この日親父に会ったのも二年か三年ぶりのことだった。親父は横浜の青葉区に住んでいて、同じ路線で通勤していたので、車内で会っても不思議ではないのだが、でもかなり驚いた。
息子 「あっ」
父親 「おう」
二、三年会わなくても支障をきたさないほど希薄な親子関係である。当然話題もない。二人は重苦しい沈黙のまま電車に揺られていた。
僕の降りる溝の口駅が近づいたとき、親父がボソッと言った。
「お前、いま何か本読んでるか」
「いや特に……」
「じゃあこれやるよ」
受け取った本をカバンに入れるのと同時に電車は駅に着いた。僕は何も言わず、振り返りもせずにホームに降りた。周囲の目には「怪しい取引をする男二人」に見えたかもしれない。
アパートに戻って本を取り出すと、それは「ショージ君の青春記」(文春文庫)だった。カバーもなく、日に焼けて、かなり傷んでいた。親父は何度も読み返していたのだろう。
読み始めたら、あまりの面白さに止まらなくなった。深夜までかかって読み終え、翌日もう一度読み直した。
この本は、大学には入ったものの学業には興味を持てない青年ショージ君が、漫画家になりたいという思いは持ちながらもどうすればいいのかもわからず、無為で空虚な日々を送っていく様を切々と綴った実録の書である。そして、そこに書かれているショージ君の生活は、当時の僕の生活そのものだったのだ。
たとえば、
ショージ君は大学の講義よりも漫画研究会を生活の拠り所としていたが、僕も学業ではなく落語研究会を活動の拠点として生きていた。
ショージ君は毎朝学校に行くふりをして新宿のローヤル劇場で西部劇を観て過ごしていたが、僕は新宿末廣亭で落語を聴いて時間を消費していた。
ショージ君は「友子」という女性に恋をして、二人で野猿峠にハイキングに行くが、僕は「智子」という女性に恋をして、二人で野猿峠の近くにある多摩動物公園に出かけたことがある。
そして何より、ショージ君も僕も、「ともこ」との恋が実ることはなかった……。
以来僕は、東海林先生の本を読み漁るようになる。文庫はすべて揃え、繰り返し読んでいる。中でも「青春記」はいまでも年に一回は読むことにしている。親父からもらった本はボロボロになったので買い直し、それもいまではボロボロだ。
のちに医療系出版社の編集者となった僕は、ある夕刊紙でアルバイト原稿を書くことになった。その新聞は記事の末尾に署名が入る。僕の本名は「穐田(あきた)文雄」という珍しい名前なので、そのまま載せるとアルバイトをしていることが勤務先にバレてしまう。そこで敬愛する東海林先生にあやかったペンネームを作ることになったのだ。
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