- 2021.10.19
- インタビュー・対談
<連続対談 “恋愛”の今は>第一回 ドラマの中の恋愛はどう変わってきたか? 柴崎友香×西森路代
文學界11月号
出典 : #文學界
ジャンル :
#小説
,#エンタメ・ミステリ
華やかなトレンディ・ドラマから、「売れなくなった」と言われる近年の恋愛小説まで、恋愛をとりまく状況や描かれ方はどう変化してきたのか。
西森氏による連続対談企画第一回。
ゲストに『寝ても覚めても』の柴崎氏を迎える。
■二極化する恋愛ドラマ
柴崎 今回の対談は、西森さんのツイッター上での発言「一回、ここ何十年かの恋愛を見直すような企画あってもいいんじゃないのかしら」に、私が反応したことがきっかけで実現したんですよね。私も「恋愛モノ」というジャンルと世の移り変わりについて、折に触れて気になるところがあったので、お話ししてみたいと思って。私は一九七三年生まれで、西森さんとは一歳違いになるのかな。
西森 そうですね。私は一九七二年生まれです。
柴崎 だから、世代的にも見てきた景色が似ているんじゃないかな、と。西森さんは、長らくテレビのことについて書くお仕事をされてきたと思うのですが、私はここ五年くらい、ほとんど見ていないんです。元々はテレビが好きで、子供のころから毎日十時間近く見てたんですが、分かりやすさや、とにかくその場でウケることに過剰に重きを置くようになってしまってやたらとテロップを入れたり、「この後、衝撃の展開が!」みたいに煽ったり。自分が思っていたテレビの面白さを見つけられなくなったのと、他にもいくつかきっかけがあって、離れてしまったんですね。いい番組もあるとは思っても、一度離れてしまってどの番組を見たらいいかわからなくなっているので、最近のテレビドラマのこともうかがいたいなと。
西森 確かに視聴者を刺激で繋ぎ留めようとする意図を感じるものも多いですね。ただ、いろいろ見ていると、そういう刺激に頼らずに真摯に番組を作っている人たちもいて、いわば二極化しているように感じます。それでいうと、今回のテーマである「恋愛」を描いたドラマもそう。「若い世代は恋愛が好きだからとにかく作らないといけない」という必要性から作られたような作品もあったりして。最近では、漫画原作もあらかた掘り尽くされて、漫画のような設定を考えてオリジナル作品を作るしかない、という状態にまで来ていると思います。もちろん、それ自体が悪いわけではなくて、発展のひとつでもある。最近の恋愛ドラマは、そういう決まった枠組みから抜け出そうとしているからこそ、見てみたら良いものもたくさんありますね。例えば最近なら、『大豆田とわ子と三人の元夫』(二〇二一年)などは、恋愛のエピソードを重ねていきつつ、最終的には恋愛で終わらないさまざまなテーマを内包してみせた作品でした。『逃げるは恥だが役に立つ』(一六年)もそうですが、恋愛ドラマとして始まるけれど、実は現代の恋愛の在り方を問うような作品がけっこうあります。
■「恋愛=自由」だった時代
柴崎 今回の対談にあたって、『ザ・テレビ欄 1975―1990』、『ザ・テレビ欄II 1991―2005』(TOブックス)という本を引っ張り出してきました。タイトル通り、該当する期間の番組改編期に当たる四月と十月、それぞれの二週目のテレビ欄を網羅した本で。眺めていると、懐かしくなると共に、時代によって番組の傾向が移り変わっていく様子がうかがえて興味深いです。恋愛を主題にしたドラマは七〇年代も定番としてずっとあり、その時々の恋愛観や結婚観が反映されていそうです。八〇年代からは覚えているドラマも多いですね。
西森 自由恋愛や恋愛結婚をする人も増えてきたからこその恋愛ドラマだったんですよね。一九七〇年代までだと、お見合いで結婚したりするケースが多くて、今ほど恋愛することが当たり前ではなかった。恋愛する層が広がって、それに乗っかったり、先導したりする形で、たくさん恋愛ドラマが生まれていったんでしょうね。つまり当時は、今よりも「恋愛=自由」という意味合いが強かったのだと思います。
柴崎 恋愛をすること自体が、ポジティブな行動として捉えられていたのかもしれません。八〇年代半ば以後はドラマはより若い世代に向けて華やかになっていった印象です。