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フェミニストのままじゃいられない

フェミニストのままじゃいられない

鴻池 留衣

文學界12月号

出典 : #文學界
ジャンル : #小説

「文學界 12月号」(文藝春秋 編)

「わかりました。決まったら、絶対に観にきてくださいね。多分決まりますけど。今回は間違い無いんです。俺以外にいないって感じなので。作品的に」

 夛田は人前での演技を、もう十年以上続けている。

 学生の時から始めた。インカレの演劇サークルに入っていた。高校生の頃から憧れていた、俳優になりたいという夢を叶える絶好のチャンスが巡ってきたと思った。

 卒業後も芝居を続けた。知り合いのツテでさまざまな会社、業界を転々としたけれど、生活のための仕事と並行して、三十歳になった今年まで舞台演劇への出演を単発的に繰り返している。生業にできるほどの実力も運もない。いつか声優、ナレーターの仕事など舞い込んできやしないかと期待していた時期もあったが、オーディションにはことごとく落ちた。業界はそれほど甘くはなかった。しかし、それでよかった。

「なんでまだお芝居続けているの?」と池谷や取引先の人から尋ねられても、夛田の方こそわからないので答えようがなかった。役者とはなんたるか、とか、演技とは、舞台とは、などといった思想を持たないままここまで続けられたのは、振り返って見てみれば不思議なことなのかもしれないが、そんな不思議な自分を、これからも不思議なまま放っておこうと夛田は思う。舞台の上に立った時こそ本当の自分になれる、という役者の常套句が、身も蓋もない真実であることを今や実感している。だから、わざわざ自分を俯瞰的に理解しようとする試みが馬鹿馬鹿しく思えてしまう。

 夛田がかつて、新社会人として勤めていたのは、都内の中堅出版社だった。そこでの二年目に出会った新入社員のアリサは、夛田より一つ年下で、神戸の、エスカレーター式の、いわゆるお嬢様学校出身だった。垢抜けていないけれども好奇心旺盛で衒いがなく、明るいところが魅力的だった。こちらから交際を申し込むほどの美人ではないが、夛田の演劇に限らず、興味のあるビジネスや社会運動など、自分の知らないあらゆるジャンルにズカズカと足を踏み入れては、その場の上席の者たちの寵愛をすんなりと勝ち取るような、上品な関西弁の女の子だった。その場の周囲を照らすような印象だ。

 研修が終わって早々、直属の部下になった彼女の方から、夛田への積極的なアプローチが始まった。

「私、夛田さんに一目惚れしたので、可愛がってください」なんて本人に面と向かって言ってくるのだ。そして彼女は、いかに自分が夛田を好きなのかを懇々と説明した。夛田は悪い気がしない。徐々に夛田にもアリサの良さがわかってくる。その目がキラキラしているところ、歯並びが綺麗なところ、笑うと突然邪悪な要素が差し込んできて小悪魔みたいな別人になるところ。次第にまんざらでもなくなって、ある時外回りの仕事の終わりにセックスし、付き合い始めた。そして半年の交際を経て結婚した。

 アリサとの結婚に先駆けて、夛田は別の部署への異動を希望し、受諾された。同じ部署に夫婦がいたら、同僚はやりにくいだろうという彼なりの配慮だった。彼女と交際した段階ですでに、そのことは他の社員には努めて内密にしており、結婚した時もまた、所属部署の上司と人事課以外には黙っていた。

 結婚して一年後、アリサが勤め先の男性のほぼ全員と寝ている事実が判明した。ほぼ全員は言い過ぎかもしれないが、そう言い切っても差し支えないほどに、アリサの肉体は多くの男性社員たちに経験されていたことを後々知ることになる。

 あまりに呆気ないきっかけだった。夛田とアリサが夫婦であることを知らない社員同士が、喫煙所で自慢げに報告しているのを同席する本人が聞いてしまったのだ。

 

この続きは、「文學界」12月号に全文掲載されています。

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