半藤一利による「歴史探偵」シリーズ、第三弾。~開戦から終戦まで~
- 2021.12.30
- ためし読み
リーダーシップは国の個性がでる
ここから、太平洋戦争の話に入るわけですが、太平洋戦争というような、一時代前の、はるかかなたの歴史をちょこっとやってみたところで、何にも教訓になりはしないという面もあるかと思います。
なお、ここで言っております太平洋戦争というのは、日米・日英戦争を指します。つまり、昭和十六年十二月八日から始まった戦争を指します。日中戦争ないしは、その前の満州事変を入れれば、また別の見方も出るかと思いますが、この場合は、昭和十六年十二月八日、真珠湾攻撃に始まりまして、昭和二十年八月十五日の終戦の詔勅をもって終了をした戦争を言います。わずか三年八カ月です。そんな短期間のこと、しかも敗け戦さにどれだけの教訓があるのか、というふうに思われますが、少なくとも三百五十万人以上の人が死んでいるあの太平洋戦争です。そこに、教訓というのはないわけはない。
つまり、あの戦争において、さまざまな形で現われた日本人の生き方、日本人のものの考え方、日本人の判断の仕方、そういうものが現代にも通じているのではないか。つまり、現代にそれを教訓として、あるいは戦訓として取り上げて、われわれの充分な反省の鏡として見ることができるのではないかということです。それで今日のお話になるわけです。
きょうは、リーダーシップという言葉を使います。これは、最近のはやりでございます。指導者の在り方、あるいは、指揮官の統率力、あるいは上に立つ人間の責任感とか、いろんな風に訳されると思いますが、日本人の間には、戦前には、リーダーシップなどという言葉はなかったと思います。いまそういう言葉がはやり出しています。
実際は、リーダーシップというのは、ご存知だと思いますが、軍隊用語です。これは、特に欧米の軍隊で、軍事用語として、大いに論じられるわけです。戦前の日本には、リーダーシップなどという言葉はございませんし、また軍事用語として、リーダーシップという言葉が日本の国民の間で論議されるほど、残念ながら日本は、開かれた国ではなくて、軍事というものは、まことに閉ざされた面でのみ、日本人の間で考えられていたわけです。簡単に言えば、ある日突然に、赤紙一枚で引っ張っていかれてということにつきるのですが、背後で何が行われているのかわからない状態で、日本の軍隊というものが形成されていたわけです。欧米の場合はそうではございません。ある程度開かれております。したがって指揮官の、指揮を取る人達の人間性の問題、あるいは責任感の問題、あるいはどうあるべきかというような義務の問題ということで、盛んに論じられている訳であります。
ですから、リーダーシップと簡単に言いましても、それぞれの国の国民性、ないしは民族性、伝統、風俗、習慣、そういうものによって大きく支配されるわけです。
(「第一章 提督たちのリーダーシップ」より)
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