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僕たちは、出生時に取り違えられたのか? 少年たちは運命に抗い、プロ棋士を目指す――綾崎隼『ぼくらに噓がひとつだけ』

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

別冊文藝春秋 電子版41号 (2022年1月号)

文藝春秋・編

別冊文藝春秋 電子版41号 (2022年1月号)

文藝春秋・編

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「別冊文藝春秋 電子版41号」(文藝春秋 編)

序幕

 才能とは遺伝子で決まるのか、それとも環境で決まるのか。

 僕には分からない。今は、分かりたいとも思わない。

『去る七月二十一日、当院の四階、調乳室で発生した火事につきまして、皆様に多大なるご迷惑とご心配をおかけしたことを衷心よりお詫び申し上げます。報道されております通り、調乳室でも併設の新生児室でも出火の原因は確認出来ておりません。現在は放火事件として東村山警察署に捜査をお願いしています。調乳室の一部が燃焼しましたが、怪我人が発生しなかったことが不幸中の幸いでありました。診療に支障をきたす期間を最小限にするべく、原状回復に努めておりますので、何卒ご了承のほどお願い申し上げます。』

 奨励会の友人、朝比奈千明が送ってきたURLに載っていたのは、『火災発生のご報告』だった。東京都清瀬市にある、僕らが生まれた大学病院の十四年前のリリースだ。

 事件発生は僕が生まれた翌日であり、千明の出生の二日後である。

 あいつがこの記事を送ってきた理由は、尋ねるまでもなく分かっていた。

 例会の後で千明に渡された封筒を開け、書類の上部を引っ張り出すと『私的DNA型父子鑑定書』なる文字列が顔を覗かせた。送付したサンプルの鑑定結果が出たのだ。

 千明は結果を言わずに書類だけ渡してきた。

 真実を確認するのか否か、最後に、お前自身が選べということだ。

 僕は、自分が長瀬厚仁と長瀬梨穂子の子どもではないのではと疑っている。

 千明は、自分が朝比奈睦美の子どもではないのではと疑っている。

 両家の親は僕らの疑念に気付いていない。僕だって、僕らだって、疑わずに済むならその方が良かった。でも、その可能性に気付いてしまったら最後、目を逸らすことは出来なかった。家族を大切に思っているからこそ、確かめずにはいられなかった。

 僕たちは取り違えられた子どもなんだろうか。

 調乳室に火を放ち、赤ちゃんを入れ替えた犯人がいるのだろうか。

 この扉を開けたら最後、心はもう二度と、真実を知る前の世界には戻れない。それが分かっているのに、答えを求めずにはいられない。

 棋士を目指す僕たちは、とどのつまり、そういう生き物だった。

第一部

カッコウの悲鳴が聞こえるか

〈朝比奈睦美〉

1

『朝比奈睦美さんは女の子とは思えないほどに負けず嫌いで、根性があります。』

 小学四年生の終わりに、通知表の通信欄に担任が書いてきたコメントだ。

『女の子とは思えないほどに』なんて、教師が発する言葉としては、二十年前でも時代錯誤だし、今になれば皮肉も込められているのだと分かる。けれど、当時の私は、努力を認められたような気がして、舞い上がってしまった。ただ素直に嬉しかった。

 通信欄を読んだ父は、微妙としか形容出来ない表情を浮かべたが、私は少年漫画の主人公にでもなったみたいな気分でいた。ああ、そうか。人より根性があるから、私は年上の男の子たちにも勝てるのだと、妙に納得していた。

 我が家は父子家庭である。

 学童保育で将棋と出会った私は、あっという間にそこで一番強くなった。対局相手は駒の動きを知っているだけの、十人にも満たない子どもたちだ。価値の低い一等賞と言えばそうなのだけれど、運動も音楽も苦手な私にとって、それは全校生徒が参加するマラソン大会で優勝したのと同じくらい誇らしいことだった。

 中学生になってからは、棋書を読み、定跡も覚えるようになった。部活には入らずに地元の将棋道場に通い始め、煙草の匂いにむせながら研鑽を積んでいく。

 井の中の蛙、大海を知らず。本当の実力を知り、現実に打ちのめされたこともあったが、私には先生お墨付きの根性があった。相手が自分より強いなら、努力で追い越せば良い。時間がかかっても、負け越していても、関係ない。最後に笑った方が勝者である。盤上とは小さな戦場に違いなく、戦士は諦めた時に負けるのだと信じていた。

 女流棋士になりたいと、心の片隅でずっと願ってきた。だけど、同時に、自分なんかが目指しても良いのだろうかという迷いも抱いていた。

 私は将棋を知ったのが遅い。真剣に勉強を始めたのは中学生になってからだ。スタートが遅いことを思えば、驚くほどのスピードで成長したはずだが、将棋を愛してしまったからこそ、未熟なキャリアでプロを目指すなんて失礼だと感じていた。

 憚る心が夢に蓋をして、女流棋士への登竜門である研修会を受験することも、プロへの道が開ける大会に出場することもないまま、十八歳になると東京の大学に進学した。

 父が医療従事者だったこともあり、看護師になると決めて進路を選んだものの、勉学に励む傍ら、将棋から離れることも出来なかった。

 男子が九割を占める将棋部に入った私は、医学部医学科の自信家な部員たちを押しのけ、一年目から団体戦のメンバーに選ばれたし、四年生になると女子としては異例の大将を任せられるようになった。

 私が大会で難敵から白星をあげる度に、部員たちは女流棋士を目指すべきだと勧めてくる。学生女流名人戦でも結果を残していたから、自信がないわけではない。

 だけど、やっぱり、どうしても、その一歩を踏み出すことが出来なかった。

 本気で女流棋士を目指すなら、もっと早く挑戦するべきだった。遅過ぎる。今更だ。

 言い訳の言葉を並べて、貴重な四年間を学生将棋だけに費やしてしまった。

 プロにはならない。将棋は趣味で良い。そう決めたのだ。悩むだけ悩んで、熟考の末に下した結論だ。そう信じていたのに、私は二十三歳で気付いてしまう。

 看護師として働き始め、益体もない日常に削られていく心が、ある日、悲鳴をあげた。

 本当にやりたいことがあるのに。確固たる夢があるのに。願いを噛み殺したまま生きて、老いていく。何者にもなれない、そんな人生は嫌だ。唐突に、しかし、もう二度と誤魔化すことは出来ないほどに強く、そう思った。

 人間は誰も自分の寿命を知らない。だが、残された時間は毎日、確実に減っていく。

 看護師が命と向き合う崇高な職業だとしても、就業時間の早送りを願い続ける毎日には、もう耐えられなかった。

 どうして私は、いつもスタートで出遅れてしまうんだろう。無駄にしてきた膨大な時間に忸怩たる思いを抱きながらも、ようやく覚悟を決めることが出来た。

 仕事に疲れたから。繰り返すだけの毎日に絶望したから。

 きっかけは後ろ向きで、凄く格好悪いものだったけれど、どんな形であれ、覚悟は覚悟に違いなかった。

 女流棋士に限らず、将棋界では時折、昇級、昇段のルールが改定される。

 私がプロを目指すと決めた頃は、「日本将棋連盟」なら満二十七歳未満、「日本女子プロ将棋協会」なら満四十歳未満であることが条件の一つとなっていた。

 女流棋士の待遇改善を求めて後者の団体が起こした独立、分裂騒動は、実態を知れば、改革と言うより醜聞と呼んだ方がしっくりくる。私は日本将棋連盟所属の女流棋士になりたかったから、残された時間は約四年だった。

 女流棋士になる方法は三通りあるものの、奨励会から女流棋士にスライドするエリート街道とも言うべきパターンは、私に関係ない。選択肢は二つだ。

 華々しくデビューしたいなら、アマチュア参加枠のある女流棋戦でベスト8に入り、一発でプロ入りを決めるのが良い。

 女流タイトル戦には、プロアマ混合の予備予選が設けられている大会がある。一般募集でアマチュアにも門戸が開かれており、主催者の推薦も必要ないため、実力さえあれば大会を勝ち抜くだけで女流棋士になれるのだ。

 ただ、それが現実的な道筋とは思えなかった。

 トーナメントの途中で、プロの女流棋士と何度も戦うことになるため、シンプルなプロセスとは裏腹に、難易度が極めて高いからである。

 やはり一番スタンダードな方法で目指すべきだろう。

 将棋連盟が運営する育成機関「研修会」に入会し、地道に昇級を繰り返して、女流棋士の資格を得るのだ。

 研修会はSクラスを頂点に、A1、A2、B1、B2、C1と続き、Gまでの十四クラスが存在する。二十三歳以上の者はD1に合格しなければ入会出来ないが、そこですら落ちるようならプロなど夢のまた夢である。

 研修会でB2クラスに昇級すると、女流2級の資格を得て、正式に女流棋士となれる。

 目標までの道のりは長く、険しい。遅過ぎるスタートだけれど、残された時間が少ないからこその集中力と情熱が、私の中で燃えていた。


この続きは、「別冊文藝春秋」1月号に掲載されています。

別冊文藝春秋からうまれた本

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別冊文藝春秋 電子版41号 (2022年1月号)
文藝春秋・編

発売日:2021年12月20日

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