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『嫌われた監督』について語るときに鈴木忠平が語ること。 鈴木忠平ロング・インタビュー【中篇】

『嫌われた監督』について語るときに鈴木忠平が語ること。 鈴木忠平ロング・インタビュー【中篇】


ジャンル : #ノンフィクション

『嫌われた監督』(鈴木 忠平)

6

 新聞記者時代の私は、毎朝コンビニで競合スポーツ紙のニュースをチェックすることから、1日の仕事をスタートさせていた。

 その日も同じように他紙をチェックし始めたのだが、すぐに自分でも血の気が引いていくのが分かった。

「和田監督来季白紙」「金本氏待望論」

 大きな文字が他紙の1面にあった。

 スクープか? 青ざめながら、すぐに他紙もチェックした。そこにも同じニュースが掲載されていた。2度目の特オチだった。

 ただ、1度目の特オチと違ったのは、この解任劇について、自分たちが他紙よりも早く情報を掴んでいたことだった。

 あれはレギュラー・シーズンも終盤に差し掛かった頃だったと思う。この時期の和田阪神は、なかなか思うような結果を残せずにいた。和田さんは監督としての契約の最終年に当たることもあり、進退に関する噂や憶測が聞かれるようになった。

 そんなある日、後輩記者から球団社長の動きが怪しい、という報告が上がってきた。

 フロントへの直撃取材はキャップの仕事だから、大阪にいた私は、球団社長のいるという新神戸のホテルへ張り込みに急いだ。

 張り込んでしばらくすると、エレベーターからオーナーが降りてきた。そうか、球団社長はオーナーと密会していたのか……。

 阪神の球団事務所は兵庫県東部の西宮、そのオーナー企業である阪神電鉄の本社は大阪の野田にある。そういう地理的状況を考えると、西宮、野田からもいくぶん離れたこの新神戸の、しかもホテルで、球団社長とオーナーが密会したとなれば、二人は重要な話――監督人事について話していた可能性が高いと考えて良かった。

 その後、時間差で球団社長が降りてきた。

 私は球団社長のもとへ向かった。

「なんでこんなところにおるんや」と彼はひどく驚き、喫茶店まで私を引っ張りこんだ。そして、観念したように言った。

「みんな、金本にしろって言うんや。でもな、チームはまだ戦ってる。順序ってもんがあるやろ。オーナーとはそういう話をしたんだよ」

 話を聞いて私は、その情報を寝かせる判断をした。ニュースを出すのは、阪神に優勝の可能性が完全になくなった時でいいと思ったのだ。監督人事はまだ、誰を後任にするのかまでは進展していないと当時の私は結論づけた。

 後悔しても仕方がないが、本来であればそこで、「和田解任、金本最有力」とスクープを打つべきだったのだ。球団社長も新聞記者の自分に対して、オーナーと監督人事について話し、「金本」という名前が出ていたことまで認めている。それはすなわち、書いてもいいというメッセージだったはずだ。取材対象が新聞記者に対して話したことは、書いていい。新人時代に先輩から、そう教わっていたのに……。私は決定的に鈍い新聞記者だった。

 

 阪神優勝の可能性が潰える、その少し前に各社が監督人事について報じた。私は後輩の努力を無駄にしてしまった。

 朝のコンビニで特オチを知ってすぐ、彼に電話で謝罪した。彼は私を責めるようなことはなかったが、落ち込んだ様子なのは言葉にしなくても痛いほど分かった。

 私はすぐに球団幹部の家に急いだ。敗戦処理――後追い記事を書かなければならなかった。

 その車中だった。

 ふと、潮時だな、と思った。自分は新聞記者をやってちゃダメだ、と。

 特オチのことで、会社の仲間に申し訳ないという気持ちは当然あった。しかし、やってちゃダメだと思ったのは、自分のため、という思いが強かったように思う。

 そもそも、仮にスクープを寝かせたとしても、それによって特オチする道理はないのだ。少なくとも、他社と同じタイミングでニュースに出来たはずだった。

 それが出来なかったのは、ひとえにキャップの私が鈍く、また、監督人事の取材に関心を失っていたからだった。全くひどい話だが、面白くなかったのだ。

 自分にとって面白いのは、球団幹部が、ペナントレース中のこのタイミングで、大阪ではなく新神戸で密会して、監督人事を密談するんだ、とか、密会するホテルでも、エレベーターに乗るタイミングをずらして、我々のような取材陣に用心するんだ、とか、そういうことだった。スクープなどの決定事項ではなく、それに至るプロセスやディテールにこそ、自分は惹かれるのだと自覚した。

 それはつまり、新聞記者には向いていない、ということだった。

 金本体制が発足し、監督問題の後追い取材が片付いてから、部長と面談した。部長は、来年もキャップをやってくれと言ってくれたが、私は辞職を願い出た。

 妻にはもちろん、事前に相談していた。彼女は辞めることには全く反対せず、むしろ「やりたいことをやった方がいい」と言ってくれた。その時に妻が教えてくれたのだが、後追い取材に走っている時期の私は、いつも死んだような顔をして家に帰ってきていたのだという。

 部長は何度か慰留してくれたが、辞める意思は揺らがなかった。

 16年間お世話になった新聞社を離れ、2016年からNumber編集部で働き始めた。

単行本
嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか
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文春文庫
清原和博 告白
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