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会社のことが嫌になったわけではなく、新聞という媒体に自分のやりたいことはないと気づいて辞めたわけだが、では何がやりたいか、何を書きたいかということは、落合担当をしていた8年間の中でなんとなく分かっていたように思う。
私は落合さんと時間を共にする中で、彼との会話や出来事をいつしかメモに書き留めるようになっていたのだ。
なぜ俯いて歩くのか、その理由を語った時のこと。新幹線のグリーン車の切符をもっているのに、発車時刻が迫っていても決して走ろうとはしなかったこと。また、その車中で食べたスジャータのアイスクリームのこと……。
決定事項の他にはほとんど書くスペースのない新聞紙面では、どれも価値のない些細な出来事だけれど、そうしたことこそが自分にはとても面白いことのように感じていたからだった。『嫌われた監督』は、それら、当時メモしていたディテールを土台に書かれている。
そういう、自分が面白いと思うものの集積を、記事として初めて形に出来たのが、2011年3月の「Number」の特集「名将の言葉学。」でのことだった。中日番だった当時の私に、Number編集部の渕さんという編集者が機会を与えてくれた。記事は、浅尾拓也さん、荒木雅博さん、谷繁元信さん、和田一浩さんの4名にインタビューして執筆した。
「オレ流で説いた“理”」というのが記事のタイトルだった。
選手たちが落合さんからもらった言葉と前後のエピソードを軸に4ページの記事を書いた。どれも、新聞紙面ではどうしてもこぼれ落ちてしまう類のエピソードだった。
最後に、落合が選手に投げかける、「情」ではなく、「理」の言葉、その前後に横たわる「沈黙」。これこそが落合博満の「言葉の力」である、と綴った。
書き終えて、自分はずっとこういう“読み物”が書きたかったのだ、と思った。
Number編集部には、この記事を担当してくれた渕さんが紹介の労を取ってくれ、入ることができた。
Number編集部に在籍した期間のなかで、記憶に残る特集や記事はいくつもある。
なかでも、高校時代の清原和博さんを表紙にした、2016年夏の特集「甲子園最強打者伝説。」は思い出深い。甲子園で清原さんにホームランを打たれた10人の投手に取材し、「清原和博」という人物を掘り下げていった。この特集は、書かれた内容もそうだが、当時、覚せい剤取締法で逮捕されていた人物を表紙として起用するのはどうか、と編集部内で大きな議論になった。ちょうど、リオ五輪の季節も迫っていて、わざわざ渦中の人物を選ぶ必要はないのではないか、という考えもあった。最終的には、当時の松井編集長の決断で、清原さんを表紙にすることになった。
反響は大きかった。特集は『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』という形で書籍化もされた。また、特集が縁となって、執行猶予中の清原さんが、自らを振り返った独白集『清原和博 告白』『薬物依存症』という本にも繋がっていった。
“読み物”を書きたいという、転職当初の思いは遂げられた。しかし、時が経つにつれて自分の書く原稿に次第に飽き始めるようになっていた。
4ページの記事の中に、今回はパターンA、今回はパターンBと、いつしか当てはめながら書いていくようになっていた。書く前から最後の結論が見えてしまう。その分かり切った結論に向けて書いてしまっている、というような気がしていた。
また、組織にいるとどうしても、取材や執筆以外の仕事にも多く時間を取られてしまう。私は、他の編集部の仲間に比べてずっと多くの執筆機会を与えてもらっていたので、そうした仕事はごくごく少ないものであったが、それでも、自分の好きなテーマを追って、書く時間がもっと欲しいと思うようになっていった。
「Number」には今でも記事を書かせてもらっているが、2019年に3年間在籍した編集部からは籍を抜き、フリーのライターになった。
フリーになってすぐ、ある文藝編集者と知り合った。30歳そこそこの男性で、小説の編集をメインに、ノンフィクションの編集もしているという。その前年に彼は、小説誌上でノンフィクションの特集を組んでいた。その中で彼は、あの沢木耕太郎さんが寄稿したノンフィクションについてのエッセイよりも前に、巻頭言として自身の長文を載せていた。無謀というか、青臭いというか……、そういう編集者だった。
初めて会った銀座の喫茶店で、彼はこう断言した。
「長篇の本を書かないと、この世界では認められませんよ」
そんなことを言われたのは初めてだったし、まるで思いもよらないことだった。その時はとても驚いたが、いま振り返ると、それからの1年ほどが、『嫌われた監督』を書き上げるまでの少し長い助走期間になったように思う。
すずき・ただひら
1977年千葉県生まれ。愛知県立熱田高校、名古屋外国語大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社、Number編集部を経てフリーに。著書に『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』。取材・構成を担当した本に『清原和博 告白』『薬物依存症』がある。
写真:©文藝春秋/釜谷洋史
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