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行方不明の幼馴染を捜すために、少女たちはアナーキーなオンラインゲームの世界へ飛び立った――二宮敦人『サマーレスキュー ポリゴンを駆け抜けろ!』

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

別冊文藝春秋 電子版42号 (2022年3月号)

文藝春秋・編

別冊文藝春秋 電子版42号 (2022年3月号)

文藝春秋・編

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「別冊文藝春秋 電子版42号」(文藝春秋 編)

第一章

「千香ーっ。巧己君、来たよーっ」

 玄関からお母さんの声。千香は雑誌の山を抱え上げながら、声を張り上げる。

「ちょっと、あと五分でいいから、時間稼いで!」

「何言ってんだか、あの子は中学二年生にもなって。ごめんなさいね、朝から部屋の掃除してるらしくって……」

 ああもう、余計なことは言わなくていいのに。おっと。

 雪崩を起こしかけた漫画本を背中で受け止める。危ない、危ない。ほっとしたのも束の間、脇をすり抜けて、せっかく押し入れに詰め込んだガラクタたちが転げ出てきた。

「ああ、ああ」

 キャラクターもののぬいぐるみ。小学校の頃、わけもなく集めていたペットボトルの蓋。ちょっと背伸びして買ってみたファッション雑誌に、一度も着ずじまいのフリルがついたオフショルダーのブラウス。見るだけで顔が赤くなりそうだ。こんなもの、絶対に巧己に見られるわけにはいかない。

「お母さん、時間稼ぎ、もう五分追加で!」

 しまう順番とか、並べ方とか、もうどうでもいい。とにかく視界から消し去らなくては。散らばったものをひっつかみ、次々に押し入れに放り込んでいく。その時だった。ブラウスの下から思いがけずスマイリーフェイスが現われて、手が止まった。

 黄色い丸ににっこり笑った顔のシールが表紙に貼られたノート。使い込まれてすっかり色褪せ、ところどころ破れてテープで補強してある。「おひさまおうこく、けんこくけいかく。その①」と下手な字で題されていた。

 ぱっと思い出が蘇ってくる。昔大好きだったコンピュータゲーム、「ランドクラフト」のために作ったノートだ。何十冊も作ったっけ。あの頃はいつも、ゲームの世界のことを考えていた。どうしたら住みやすい王国になるのか。どこに道を作って、どこに建物を建てようか。何日かゲームをしていないと、「王様早く帰ってきてください」と声が聞こえるような気すらした。

 あの頃はいつでも、胸を張って言えたんだ。

 ――私が得意なものはゲームです。

 ぱらぱらとページをめくると、「おしろのせっけいず」や「おうこくのちず」がいくつも現われた。拙い絵と字だったが、隅から隅までびっしりと、細かく書き込まれていた。

「こんなものに夢中になっていたなんて、バカみたい」

 ノートを閉じる。

 まだスマイリーフェイスはこちらににっこり笑いかけてくる。なぜか心の奥がちくりと痛んで、千香はしばらく動けずにいた。

「おーい、千香」

 すぐ背後からノックの音がして、飛び上がらんばかりに驚いた。そうだった。巧己が来るんだった。まずい、まずい。

「片付けなんかいいからさ、それより大事な相談があるんだよ。入っていいか?」

「だめ! あと三分、いや三十秒」

「あ。悪い、開けちゃった」

 扉が開いていくのが、スローモーションのように感じた。追い詰められた千香の体は、しかし最も合理的な行動を取った。右手で座布団を敷き、左手でノートをその下に滑り込ませる。ほぼ同時に足を蹴り出して押し入れの襖を閉じ、何事もなかったような顔で足を揃えて座ると、にっこり微笑んだ。

「いらっしゃい。ごめんね、待たせて」

 巧己は、ぽかんとした顔でこちらを見下ろしている。

「今……ブレイクダンスみたいな動きしてた?」

「別に。まあ座って、座って」

「そっか」

 巧己はすらりと長い足を邪魔そうに折りたたみ、腰を下ろす。目線が合うと、思わず見とれた。日焼けした肌は精悍で、顔つきも男らしく、自信に満ちあふれていた。昔は転んで泣きべそかいてたのを、手を引いて家まで連れて帰ってやったこともあったのに。

 今は彼がただそこに座っているだけで、ちょっと緊張してしまう。

「急に会いたいって、何?」

 つい、尖った口の利き方をしてしまった。

「夏休みの宿題が終わらないなんて言わないでよね」

「いやあ、まさか」

「祥一と一緒に夜中まで手伝わされたの、忘れてないから」

「小二の時じゃん、いい加減許してくれよ。あ、おばさん、すみません」

 お母さんがコーヒーを持ってきてくれた。

「巧己君、本当に大きくなったねえ。それにずいぶん男前になって。バスケットボール部はどう?」

「突き指しまくりですけど、楽しいです」

「女の子にきゃあきゃあ言われるでしょう」

「あ、言われますね」

「へえ、どんな気分? そういうの」

「嬉しいです、へへ。見られてると、シュートもよく入るんですよ」

 お母さんにも爽やかに笑いかける巧己。そんなところがずるい。

 千香は黙って角砂糖を二粒取り、黒い水面に放り込んでかき混ぜた。

 巧己にかけっこで初めて負けたのは、小学校の四年生だったろうか。その時はまだ、頑張れば次は追い越せると信じていた。だけど巧己はみるみるうちに運動の才能を開花させていき、今ではどんな競技でもかなわない。クラスではぶっちぎりの一番、学年でも一、二を争うようなスポーツマンになってしまった。一方の千香は、マラソンでも徒競走でも下から数えた方が早い始末。近頃では野呂、という名字までバカにされているような気がする。

 お母さんが階下に降りていった音を確かめると、巧己は座り直してまっすぐに千香を見つめた。

「なんか、久しぶりだな。千香とこうやって話すのも」

「そうだね」

 巧己はいつも部活の仲間や女の子たちに囲まれているので、近づきづらくなってしまった。

「まあ特に話すこともないもんな」

「うん。だから、急に連絡貰って驚いたよ」

 下手したら存在すら、忘れられているかと思ってたもの。

「あのさ。もしかしたらなんだけど、祥一の奴から連絡来てないか」

「祥一から? いや、ないけど」

 巧己は困ったように顎をかいた。

「うーん。やっぱりそうか。だよな」

 祥一なんて、巧己よりもっとひどい。彼の目には千香はおろか、クラスメイトは誰一人映っていないのではなかろうか。一緒に遊んだ記憶は小学校五年生くらいまで。だんだんと疎遠になり、今では口も利かなくなった。喧嘩をしているわけではない。いつも難しそうな本を読んでいて、話しかけても気づいてくれないのだ。千香が祥一の動向について知るのは、もっぱら校内の掲示板でだけ。試験で学年一位になっていたり、文芸部でもないくせに文学評論コンクールでしれっと優秀賞を取っていたり。

 孤高の存在だった。

 どの科目も平均点ぎりぎりで、小説一つ最後まで読めない千香からすると、巧己以上に遠く感じられる。

「何か祥一に関係した話なの」

「ま、な」

 そこで巧己はきょろきょろと室内を見回した。

 何か探しているのかな。大丈夫。見られてまずいものは、全部隠したはず。

「千香って最近、何してんの」

「何って」

「ゲームは? 相変わらずやってるんだろ」

 座布団の下で、四角い角がお尻にちくりと突き刺さる。

 自分でもびっくりするくらい低い声が出た。

「やらないよ、ゲームは。もう」

「えっ」

 巧己は驚いたように目を丸くした。慌てて千香は取り繕う。

「いや。だって、ちょっと子供っぽいもん」

「そっか。まあ、うん。でも意外だな、千香と言えばゲームだと思ってたから」

「小学校まではね。でもゲームなんて、どれだけやり込んでもただのデータでしょ。馬鹿らしくなっちゃって。私はもっと自分のためになることをしたいんだ」

 巧己や祥一がどんどん自分の世界を広げて、みんなに評価されているように。

「へえ?」

「たとえばそうだな、語学とか。見て、英会話始めたんだ」

 机の上に広げておいた教材を指さして、さりげなく巧己の様子を窺った。まだ最初の方しかやってないけれど。

「絶対無駄にならないでしょ。将来は世界を舞台に仕事ができるような人になりたくて」

「そっか、ふうん」

 しかし巧己はちらりと机を見ただけで、あまり興味がなさそうだった。

「じゃあこんな相談をしに来たのは、迷惑だったかもしれないな」

 困ったように目を伏せている。

「何なの。一応、言ってみてよ」

 しばらく巧己はコーヒーを見つめて逡巡しているようだったが、やがて顔を上げた。

「これさ、冗談でもなんでもなくて、真面目な話なんだけど。祥一がゲームの世界に行ったまま行方不明、って言ったら……お前、信じる?」


この続きは、「別冊文藝春秋」3月号に掲載されています。


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