■雪景色のステージ
野崎 その後、広島から一転して北海道に向かう大胆な展開も驚きでした。『寝ても覚めても』でも、主人公たちが向かう先として北海道が設定されていましたよね。
濱口 はい、登場人物・麦の実家があるということで向かうけれど、東北で止まってしまうという。
野崎 前回は言葉だけで出てきた北海道がこの作品ではしっかりと映し出され、風景も一変します。雪の純白によって、いわば感情を抜いた風景が広がっていく。素晴らしい転換になっています。
濱口 これは車の映画だということは当初から考えていたので、車が走るところ、車に乗っている人たちをできるだけたくさん撮りたいと思っていました。車が相当な距離を、昼夜を超えて走り続けている感じが出るとよいなと。そのなかで、それまでしゃべらなかった二人が徐々に話すようになったけれど、ここで再び沈黙になる。でもその沈黙がこれまでとは違う趣を持ってくれるとよいなと思い、ああいう長い道行を撮りました。北海道に向かうのは原作の設定からも必然性があるし、あとは雪ですね。あのシーンは十二月頭ぐらいに撮ったので雪が降ったのはたまたまではあるんですが、きちんと映ってよかったと思います。
野崎 実際に降るかどうかは運にまかせるしかなかったんですね。
濱口 ええ。ロケには二日取っていて、一日目はそこそこ降りしきったんですが、二日目はあまり降ってくれなくて。実際は二日目のテイクを使ったんですが、できればもう少し降っていてほしいなと、じつは後からCGで雪を加えてみたりしたんですが、結局やめようということになりました。
野崎 雪が降らなかったときの抜本的な対策は考えていたんですか?
濱口 その二日があるだけです。降ってなかったら、ただ降っていないことを受け入れるのみです。
野崎 以前、ルノワールの『ピクニック』(36)で雨がざーっと降ってくるシーンについてお話ししましたね。ルノワールは「シナリオに雨のシーンはなかったけど、現実のほうを生かした」と回想をしている。ところが最近見つかったシナリオには、実は雨の場面が書いてあった。濱口さんが「ルノワールは晴天雨天、どちらの場合のシナリオも用意していたんじゃないか」とおっしゃっていたのをよく覚えています。雪の中でのシーンは第一のクライマックスだと思いますが、すでに我々は冒頭のベッドシーンや車の中で、あれだけすごい語りを見せられています。それが雪中での語りとなると、今度は二人とも突っ立ったまま延々と台詞を言っている、という感じが強く出てしまう可能性がありますね。演出家としてはこの困難にどういう覚悟で臨まれたんでしょう。
濱口 たしかに一番怖いところではありましたね。いかにも日本映画的と言うとあれですが、説明的になりかねない台詞の積み重ねで、感情的な解決まで果たして到れるか。他に何の仕掛けもなく、とにかくこれでやるしかないと。個人的には、この場面が二人にとっての舞台のように見えたらよいと思っていました。「演技」にしか見えないかも知れない。でも、これは彼らが生きるために必要な言葉なんです。
俳優の最良の演技はまさにそういう言葉として響きます。それが起きれば、この困難も克服できると思いました。
野崎 本当にそう思いました。おっしゃるように、四季折々の風景を背にエモーショナルなセリフを語り合うというのが日本映画のひとつのクリシェだとすると、形としてはそのクリシェにはまっているわけですよね。お互いの過去についての反省を語り合うわけですから、台詞も説明的にならざるを得ない。でもそれにともなう安易さが見事に払拭されていました。今まさに真剣な舞台を見ている感じと言うんでしょうか。「これは演技だ」と思って見ていながら、それが真に迫る強度を持つという、不思議な体験をしたと思います。でもそれこそが優れた演技というものですよね。西島さんもさすがで、最後はストンと落ちてくる感じがありました。
濱口 ありがとうございます。
■多言語による演劇
野崎 そしてさらに第二のクライマックスとして、演劇祭の場面がやってきます。「ワーニャ伯父さん」の上演はどうなるのか。これまたある意味、ケレン味たっぷりでたまらない構成です。思うに、映画内演劇というのはわりと解決しなくてもいいものではあるんですよね。演劇の稽古を映画の素材にするのは、たとえばジャック・リヴェットが『狂気の愛』(69)、『アウト・ワン』(71)などでたびたびやっていましたが、結局そこで稽古していた演劇がどういうふうに完成したのかはわからないまま終わる。ある意味で結果はどうでもいい。でもここが濱口さんの真摯なところで、「ワーニャ伯父さん」の行方をごまかさずに見せてくれる。そしてすべて見せることにより、映画の骨格がずっと太くなっている。途中で登場する手話がここで一層効いて、圧倒的なラストになりました。
今回使われた浦雅春さんの訳を見ると、ワーニャとソーニャの位置関係が映画版とかなり違いますね。チェーホフの原作では、ワーニャがソーニャの髪をなでながら台詞を言い、最後はソーニャの長台詞になるとト書きにあります。つまりワーニャはソーニャの後ろに立っている。ところが映画ではソーニャのほうが後ろからワーニャを抱きかかえるようにして、手話による沈黙の台詞を言う。この位置関係が非常に効いています。
女のいない男たち
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