濱口 演出とは何かという問題ともこれはつながると思います。演出(ディレクション)とは言葉通り、「方向を決める」ことだと思うんです。役者の動きの方向や立ち位置は、演出である程度決めてしまうものです。そして本読みをし、サブテキストを渡したりして大筋の方向性を決めたら、もうあとは役者さんたちが自由に、自分の身に起きてくるものに従ってやっていただきたいと伝えます。僕がやろうと思っていたのは、ある「事実の塊」みたいなものを捉えたとして、どうしたらその塊を滑らかに連結させていけるか、ということでした。ある流れをつくるための「方向付け」が自分の仕事なのだと。そうやって方向性を考え続けるなかで、二人が同じ方向を向くシチュエーションがこの映画では大事なのだと思うようになった。それはまるで車というものに呼ばれるような配置だったかもしれません。ですから最後の舞台の場面でも、二人が同じ方向を向く位置へと導いていきました。
野崎 『寝ても覚めても』の最後でも二人が同じ方向を向いていましたが、印象は驚くほど違います。「ワーニャ伯父さん」の舞台での最後の数分間、みんな息を殺して見守るしかない。これだけ声によって呪縛されてきた映画が、完全な沈黙のフェーズを迎える。これは間違いなく世界の観客を驚かせるだろうと思います。アジア各国のいろんな言語が飛び交う多言語的状況を作りながら、さらにそこに韓国手話を入れたのは決定的でしたね。ああいう多言語の演劇というのは実際にあるわけですか?
濱口 ええ、日本でもいくつかあるようですね。最近では、手話で「三人姉妹」をやる劇もありました。ただ、そういうことを事前に知っていてあのような物語にしたわけではないんです。きっかけは以前、聴覚障害者の方の映像祭に呼ばれたことです。誰もが手話でコミュニケーションをしている空間で、手話のできない自分が外国人のような気持ちになりました。そのとき、手話は障害者のものというより、単純に異文化なのだと感じました。しかも手話による会話では、当然ですがみんなじっと相手の動きを見る。その視線のありように、そんな注視にさらされて自分の全部が見られてしまうんじゃないか、という驚きがあった。晴眼である我々はあまり人から見られたくない気持ちがあります。でも手話を使う人たちは、見られることに応える、率直な体をしていると思ったんです。その魅力を感じて、多言語のひとつとして手話を入れてみようと考えました。
野崎 演劇における演技は当然ながら観客の前で行うわけで、演技は観客の反応とダイレクトにつながっている。その点、映画では基本的にカメラとスタッフの前でしか演技をしませんから、それが俳優にとってのフラストレーションにもなりうるだろうと想像します。観客が見てくれているという実感をもてないのですから。しかしこの映画の最後では、そうした二分法が無効になっているともいえるでしょうか。劇場の観客の外に、確かに映画の観客も存在している。そして画面は沈黙をとおして、これを見逃すなと雄弁に訴えかけて来る。我々の注視の力をもう一度呼び覚ましてくれる。演劇への賛歌であり、そして映画への賛歌になっていると思いました。
最後に車のことをもう一度お話しさせてください。この赤い車は、見終わってから、予想以上に大きいものを残している気がしました。水平に滑っていく乗り物が、魂の深みに導いてくれる。これは濱口さんの映画そのものです。終盤、みさきの実家跡の前でのシーンで、二人のやり取りが終わった後に車のショットが入りますよね。今や、赤い車が一人の登場人物として完全に立ち上がったと感じました。
濱口 我々もそう感じていた気がします。東京編のシーンを撮った後、本当はそのまま撮影が続いていくはずだったんですが、コロナの影響で一回中断した時期があった。東京編をすべて撮り終わったとき、古い車だったので、サーブから赤いオイルがダーッと漏れ出して、まるで血を吐いているように見えた。しかも演技部分の撮影が全部終わった瞬間にそうなったので、スタッフ、キャスト一同、「こいつ、よく頑張ったな」という気持ちになりました。その八カ月後に撮影を再開し、ラストの北海道撮影をした際にも、後少しなんだけどまたちょろちょろ冷却水が漏れ出したりして「頑張れ!」となりました。
野崎 監督の指導もきっと厳しかったんでしょう。
濱口 いやいや。ただ、相当に走らせたので。きっと無理をさせたんだと思います(笑)。他の出演者と同様に、ありがとうと言いたいですね。
(七月二日収録)
(文學界9月号より)
女のいない男たち
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