本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
『シャイロックの子供たち』は、二層構造が仕込まれたミステリー。まるで《だまし絵》のような多面性を秘めた小説だ!!

『シャイロックの子供たち』は、二層構造が仕込まれたミステリー。まるで《だまし絵》のような多面性を秘めた小説だ!!

文:霜月 蒼 (ミステリ研究家)

『シャイロックの子供たち』(池井戸 潤)


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 という言い方をすると、本書が「情」だけで書かれた作品のように聞こえてしまうかもしれない。だがそうではない。たしかに池井戸潤は、事前に立てたプロットよりも人物の自然な動きを優先すると言ってはいたが、精緻な構成を放棄したとは言っていない。そもそも池井戸潤は、緻密な構築を必要とする「ミステリー」というジャンルの新人賞を受賞してデビューした作家であり、江戸川乱歩賞受賞という自身のルーツに愛着とリスペクトをいまも持ち続けている。第二期の作品でも、『七つの会議』はきわめて純度の高いミステリーの傑作だったし、半沢直樹シリーズ第五作『アルルカンと道化師』も軽快な美術ミステリーだったではないか。

『シャイロックの子供たち』もそうした作品のひとつである。というか、池井戸作品中、ミステリーとしてもっとも野心的な仕掛けをほどこされているのは本書だと言ってもいいのではないか。一見すると「働く者たちの情」に寄り添った短編を集めたものに見えるし、それは間違いではないのだが、「情」のモザイク模様の一層下に、一本の策謀の線がぴぃんと静かに張られているのである。やわらかな「情」の曲線の下に隠された、怜悧な「理」の直線。この二段構えが、『シャイロックの子供たち』の真の凄みだ。

 その直線がはじめて表面に現れるのが第五話「人体模型」である。それまでの短編でもちらちらと顔を見せていた「ある人物」と、その人物が関わる「ある犯罪」。支店の人間模様をやわらかくスケッチしてきたように見えた第四話までの物語に、硬質の犯罪計画が隠されてきたことがここでわかる。第六話以降も行員たちの日常のドラマが演じられるのは変わらないが、彼らはそれぞれの立場から、問題の「犯罪」の一部に触れることになる。――こうした幾つもの事実のかけらがゆっくりとひとつになってゆき、ついには『シャイロックの子供たち』という短編集が、ある犯罪という一本の糸に貫かれた一編の長編ミステリーでもあったことが明らかとなる。

 第五話ではじめて正面から語られる「ある人物」。この人物は池井戸潤のキャラ中で一、二を争う名キャラクターではあるまいか。いや、これも代表作選びと同じく議論は紛糾してしまいそうだ。「もっとも一筋縄でいかないキャラ」と言えばいいか。ちなみに池井戸潤は、「イカれてて自分勝手で、どうしようもない奴でも、その人たちが自由に生きていれば、小説というものは輝く」(「ダ・ヴィンチ」二〇一四年八月号)と言っていて、これはまさしく本書に当てはまる。「あの人物」なんかまさにそうだし、パワハラ副店長も、第四話の上司と部下も、やむなく悪事に手を染めてしまった彼もそう。悪いやつ、情けないやつ、高潔なやつ、ズルいやつ、彼らひとりひとりに捧げられたリスペクトが彼らに自由に動くことを許し、彼らの人生の軌跡が物語をやわらかな輪郭線で象って、その曲線がクールで硬質な犯罪計画の直線を隠す――

「情」の弾力性と「理」の構築性。このふたつの組み合わせでできあがった池井戸流エンタメ術の最初の結実が、『シャイロックの子供たち』だった。

 だから「最重要作」なのは間違いないのだが、本書は多くの池井戸作品が映像化されてゆくのをよそに、ずっと未映像化のまま残されていた。著者の思い入れが強い作品だからハードルが高いのかなどと勝手に思っていたが、二〇二二年、ついに映像化の決定がアナウンスされた。しかも連続ドラマ化と映画化の「W映像化」だという。

 すでに『シャイロックの子供たち』を読了された方は、このニュースに“にやり”となさるのではないか。なぜなら『シャイロックの子供たち』は、「たくさんの短い人間ドラマ」と「その下に一貫して流れるひとつの犯罪計画」でできあがっている小説だからで、つまり「短編集=連続ドラマ」と「長編ミステリー=長編映画」の二層構造があらかじめ仕込まれた小説だからである。表面に焦点を当てれば連続ドラマに見え、水面下に焦点を定めれば一個の大きな犯罪が見える、まるで“だまし絵”のような小説――それをドラマと映画それぞれに応じて脚色したら、それぞれまったく別の「物語」になっても不思議ではない。いや、むしろそうなるのが必然ではないかという気がする。どうです、ワクワクするじゃありませんか。

 ドラマを見て、原作を読んで、映画を見て、ふたたび原作を読む。すると、そのたびに新たな発見がある――そんな贅沢な楽しみ方ができるのは、『シャイロックの子供たち』が“だまし絵”のような多面性を秘めた小説だからこそ。そしてこの“だまし絵”は、池井戸潤という作家のさまざまな可能性が折りたたまれ、凝縮されて詰め込まれた野心作でもあった。現在を代表する物語作家が生まれ、飛躍していったのはここからだった。

文春文庫
シャイロックの子供たち
池井戸潤

定価:847円(税込)発売日:2008年11月07日

プレゼント
  • 『赤毛のアン論』松本侑子・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2024/11/20~2024/11/28
    賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

ページの先頭へ戻る