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ドゥルーズ的な視線と〈私〉の不均衡ぶりが面白い「哲学的紀行的私小説」

ドゥルーズ的な視線と〈私〉の不均衡ぶりが面白い「哲学的紀行的私小説」

文:佐藤 良明 (アメリカ研究)

『アメリカ紀行』(千葉 雅也)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・エッセイ

 だがそこに、カフェの店員の呼び声が襲う――「マサーヤ!」。日本なら「3番の番号札でお待ちのお客様」とくるところで「マサーヤ!」だ。著者はぐらつく。少々腹が立つ。僕を粗大に確定するな。

 つぶやきのようなこの語り、すいすい走っているようで、けっこう拗(ねじ)くれているのだ。アイロニーも、ユーモアもある。名前を聞かれてDavidと答えたりする。

 呼び名だけでなく、二人称代名詞 you に対する抵抗感も述べられる。二人称の問題とは、言い直せば、一人称の界面における接続と切断の問題だ。これは言語文化論の問題でもあって、要するに、SVOで会話をする(主語・目的語を外の空間に放って話す)種族と、自分を引っ込め相手を容易に名指さない(対面的な)日本語族との構造的な違いに由来する。日本語には〈内なる私〉がいる。このテクストにもいる。俳句や私小説の主体をなす「私」の感性と逡巡が吐露されている。ドゥルーズ的な視線をめぐらしながら、同時に私小説であることを厭(いと)わない『アメリカ紀行』の、その不均衡ぶり(あるいは一周巡っての合致の妙)が面白い。

『動きすぎてはいけない』(二〇一三)は「切断の哲学」という触れ込みだった。『アメリカ紀行』(二〇一九)から私が感じるのは「切断の“美学”」である。一瞬を写し取った像をもとに、そこから断片的な思考を伸ばすという書き方は、話を大きくしない。前時代的な饒舌さ、厚顔の自己といったものを呼び寄せない。そうなってしまう前に話をへし折る。ある意味、不具にする(クリップル)。そのことで、接続過剰な時代の「不自由」を生きる人たちとの対面の仕方を調節する。ここにあるのは「切断の倫理」だ。

 数ページに一枚、iPhone で撮ったらしい写真が填(は)められる。構図も配置もセンスがよい。だが、目立たせない。わざと無声化(マッフル)されているかのようだ。

 

 ずっと前、フランス留学から帰ってきた彼と、東大駒場の構内を歩きながら話したとき、「いずれアメリカに行きます」の一言が耳に残った。千葉雅也とアメリカ、これはどういう取り合わせになるのか想像したが、どうにも像を結ばなかった。

 二十年前の大学で、彼の非凡さを「ミュージック・ビデオをつくる」実習授業を通して見せられたことがある。教員の私が事務方に回り、機材選定から編集ソフトの映像マニュアルづくりまで“千葉先生”中心に進んだ授業だったが、そこで気がついたのは、卓越した表現者として自己を最大化していこうとする構えが見えないことだった。人を驚かすようなものを創るより、むしろ周りとの小さな接続のすべりをよくしていくことに腐心する彼の姿に私は唸った。

 だから『勉強の哲学』(二〇一七)という公共奉仕的な本が出たときも驚きはしなかったし、最新刊の『現代思想入門』(二〇二二)も、実に千葉雅也らしい達成だと思う。「近代的個我」みたいなものへのこだわりを擦り抜けたニッポンの知性が、今後どんな動きを見せてくれるのか――ちょっとこれはワクワクする。

 デビュー小説『デッドライン』(二〇一九)の発表は、本書刊行に引き続いてのことだった。文学者千葉雅也の評価が固まってくるとき、この哲学的紀行的私小説の扱いがどうなるのか、興味がもたれるところである。

 二〇二二年三月

文春文庫
アメリカ紀行
千葉雅也

定価:737円(税込)発売日:2022年05月10日

電子書籍
アメリカ紀行
千葉雅也

発売日:2022年05月10日

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