- 2022.07.05
- コラム・エッセイ
松本清張賞記念エッセイ 「猪が異世界を書く」
天城 光琴
第29回松本清張賞『凍る草原に鐘は鳴る』(天城 光琴)
出典 : #オール讀物
ジャンル :
#小説
,#エンタメ・ミステリ
応募総数758篇の中から第29回松本清張賞を射止めたのは、25歳の天城光琴(あまぎ・みこと)さんのファンタジー長編『凍る草原に鐘は鳴る』(応募時『凍る大地に、絵は溶ける』から改題)に決まりました。 今後の活躍が期待される天城さんに、受賞を受けてのエッセイを寄せていただきました。(「オール讀物」2022年6月号より)
小学生の頃から、上橋菜穂子さんの作品が大好きだった。『守り人』シリーズや『獣の奏者』は、架空の世界のお話なのだとどこかで分かりつつも、ひょっとして現実のどこかは本当に異世界に繋がっているのではないか、上橋さんはその世界を見てきて物語を書いているのではないか……そう思えてならなかった。
私がファンタジーを書きたいと思うようになったのも、考えてみれば自然なことだった。
大学に入ってからは、少しでも上橋さんの世界を知りたいという思いで、文化人類学の授業を取った。上橋さんも学んだに違いない知識に刺激を受け、強く思った。
実際に異国で暮らしてみようと。
何も出来ない大学生が海外に住むには、海外ボランティアという選択肢しかなかった。まずはカンボジア、マングローブ植林ボランティアが目を引いた。現地や他の海外のスタッフと一緒に、海上の家に住みながら活動するらしい。本物の海上生活をすれば、海の民の生活を書けるぞと思った。
温室育ちのもやしっ娘だったが、昔から猪突猛進な性格である。即座に申し込んで、一人で海外に飛び立った。が、私があまりにも頼りないので、両親は、もう生きて会えないのではと空港で泣いていたらしい。
一週間ほど経ち、カンボジアでの生活に慣れてきた夜。仲間と酒を飲み交わして盛り上がっている最中、何の気なしにスマホを覗いたら、父親からメッセージが来ていた。
「新潮社から電話がかかってきたよ」
それは、日本ファンタジーノベル大賞の最終候補を告げる連絡だった。
最終選考会は、カンボジアから帰ってきてから一か月後。ドキドキしながら待った。作家デビューしたら、大学の紀伊國屋に本を置いてもらえるかもしれない。「文学部の人? 誰だろうね」と人々の口の端にのぼるかも、なんて思ったりもした。
だが、受賞は成らず。世界を動かすためには、もっと人生経験とやらを積まなければならないらしい。だが性格上、そんなものが得られるまで、大人しく齢など重ねていられない。
手っ取り早く人生経験を身に付ける方法を手探りする中で、大学四年生の夏、モンゴルのゲルに一か月住み込むことに。勢いで計画を立てたものの、就活が思うようにいかず、七月中旬に内定が出てから二週間後に出発という強行スケジュールになった。
モンゴル語を勉強する時間が全く取れず、ろくに会話も出来なかった私は、住み込み先の男の子から嫌われた。彼が母親に、私を指差しながら何か言う。「何でこんな簡単な指示も分からない人がうちにいるの?」そんな言葉のように思えてならなかった。それでも、ここでの生活を少しでも書き取らなければと、夜は黙々と日記に向かい続けた。ちょっと走っただけで疲れてしまうことも、日焼けで耳の皮が剥けたことも、馬を乗りこなせずに落っこちたことも、星空の美しさが眼鏡なしでは分からないことも、全て、自らのひ弱さの象徴のようだった。
最後、住み込み先の家族と分かりあうことは出来た。しかし、人生経験とは何だったのかはよく分からないままだった。
就職後、組織の常識や課内の気質が合わず、上司との相性も最悪で、毎日トイレで泣いては、ストレスで出た蕁麻疹をかきむしっていた。
お前は社会で不要な存在なのだと、面と向かって突き付けられる日々だった。歯を食い縛って三年間、年に一本の長編を書き続けたが、結果は思わしくない。
それでも、諦めるという選択はなかった。私は絶対に上橋さんのように、多くの人を感動させる作家になる。
その一念だけでがむしゃらだった時期に、オール讀物新人賞最終候補の連絡が入った。その時に私の担当となった人が、今のオール讀物の編集長だ。
編集長は、今回は粗も多いから受賞は難しいかもしれないと言い、実際にオール讀物新人賞の結果はその通りになった。だけどこの一言が、どれだけ心を支えてくれたか分からない。
「天城さんが作家になることを、私は本気で信じている」
今回の受賞で期待に応えられたのが、何よりも嬉しい。
作家になれたことで、友人や家族からは祝福され、冗談めかして「先生」と呼ばれたりした。デビュー作の装丁を決めたり改稿作業もした。しかし、作家になったという実感は薄いままだった。
単行本の打ち合わせ前、ふらりと本屋に足を運んでみた。入り口に大きく掲げられた本が、真っ先に目に入る。
上橋菜穂子『香君』、版元:文藝春秋。
思わず駆け寄って、本を抱きしめていた。めったにない上橋さんの新刊。それだけでも充分嬉しいのに、まさか同じ時期に、同じ出版社から本を出していたなんて。
上橋さんの本を抱きしめていたら、涙が止まらなくなった。
私も作家になったんだ。これから、この出版社で本を出すんだ。私の本が、本屋さんで、この人の隣に並べられるかもしれないんだ。
思うほどに、涙が溢れてきた。今日の喜びを私は忘れない。そしてこれからも顔を上げて小説を書いていこう。猪突猛進に進んでいけば、人生経験なんて後からついてくる。手探りで苦しくても、精一杯もがき続けよう。
いつか、今の私と同じくらい、誰かの心を震わせる日のために。
あまぎ・みこと
1997年東京都生まれ。上智大学文学部国文学科卒業。日本ファンタジーノベル大賞、オール讀物新人賞最終候補を経て、2022年第29回松本清張賞を受賞。
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