- 2022.06.16
- 書評
紀伊宮原、紀伊田辺、紀伊勝浦……なぜ紀勢本線の駅は“紀伊”だらけなのか
文:小牟田 哲彦 (作家)
『紀勢本線殺人事件』(西村 京太郎)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
紀勢本線は、「本線」を名乗る全国のJR線の中で最も“若い”幹線である。
その名の通り、紀伊と伊勢を紀伊半島の外縁に沿って東西に結ぶ路線で、伊勢を含む東側は尾鷲までの区間が昭和9年までに紀勢東線として開業していた。一方、西側は大正13年に箕島まで紀勢西線として開業して以来、徐々に南へと延伸。本作品の主要な舞台となっている紀伊田辺や白浜へは、昭和7年から8年にかけて延長を果たしている。ようやく東西両線が繋がって全通したのは昭和34年のことであった。
西側の主な区間は昭和初期までに開通しているとはいえ、全国の幹線は明治から大正時代にかけて開業しているケースが多いことと比較すると、幹線としては歴史が浅い方に属する。それは駅名の傾向にも表れていて、本作品の次の場面で十津川警部や亀井刑事を惑わせるのに一役買っている。
「紀勢本線のKという地点が何処か、わかりますか?」
亀井がきくと、中村は急に難しい顔になった。
「イニシアルがKの駅や、場所というのは、やたらに多いんですよ」
「串本もKですね」
「ほかに、紀勢本線の駅には、紀伊(きい)╳╳というのが多いんですよ。イニシアルは全部、Kになってしまいます」
中村は、そういう駅名を次々にあげてみせた。
紀三井寺(きみいでら)、紀伊日置(ひき)、紀伊佐野(さの)、紀伊宮原(みやはら)、紀伊有田(ありた)、紀伊井田(いだ)、紀伊由良(ゆら)、紀伊姫(ひめ)、紀伊市木(いちぎ)、紀伊内原(うちはら)、紀伊長島(ながしま)、紀伊田辺(たなべ)、紀伊浦神(うらがみ)、紀伊新庄(しんじょう)、紀伊勝浦(かつうら)、紀伊富田(とんだ)、紀伊天満(てんま)。
「こりゃあ、大変だ」
と、亀井が声をあげた。
なぜ、紀勢本線の駅名は旧国名を冠していることが多いのか。それは、かつては遠く離れた場所ですでに営業している旅客駅と同じ表記、あるいは同音異字の場所に新たな駅を設ける際には、鉄道運営上の混同を防ぐため、その地名に旧国名を冠するなどして区別しようとする傾向があったからだ。絶対的なルールではなく、大久保駅(中央本線、山陽本線、奥羽本線の三駅)や旭駅(総武本線、土讃線の二駅。平成元年までは北海道の名寄本線にもあった)のような例外もあるが、概ね全国で採用されていた命名方法である。
右の引用部分で中村警部が列挙した駅名の場合、旧国名を冠していない紀三井寺を除く十六駅のうち、開業時点で旧国名を冠しない同駅名(訓[よ]み方違いを含む)が存在したのは紀伊日置(鹿児島県に日置[ひおき]駅〔昭和59年に廃止〕)、紀伊佐野(栃木県に佐野駅)、紀伊宮原(熊本県に宮原[みやばる]駅〔昭和40年に廃止〕)、紀伊有田(佐賀県に有田駅)、紀伊由良(鳥取県に由良駅)、紀伊姫(岐阜県に姫駅)、紀伊内原(茨城県に内原駅)、紀伊長島(三重県に長島駅)、紀伊田辺(京都府に田辺駅〔現・京田辺駅〕)、紀伊新庄(山形県に新庄駅)、紀伊勝浦(千葉県に勝浦駅)、紀伊富田(とんだ)(栃木県に富田[とみた]駅、三重県に富田[とみだ]駅)、紀伊天満(大阪府に天満駅)の十三駅。他の紀伊井田、紀伊市木、紀伊浦神の三駅も、福岡県に伊田(いた)駅(現・田川伊田駅)、鹿児島県に市来(いちき)駅、長崎県に浦上(うらかみ)駅と、ほぼ同音異字の駅がすでにあった。
このように、中村警部が列挙した「紀伊╳╳」駅はいずれも、「紀伊」を冠しなければ混同の恐れがある名の駅が全国のどこかに先に存在していたのだ。実際に、開業当時に既存の他駅の名称をどこまで意識して命名したかはわからないが、旧国名付きの駅名がズラリと並ぶと、逆に幹線としての“若さ”を強く感じさせる。
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