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<巻末付録>森藩・参勤ルートを行く――その時、小籐次の背中が見えた

<巻末付録>森藩・参勤ルートを行く――その時、小籐次の背中が見えた

文:文春文庫・小籐次編集班

『御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五)』(佐伯 泰英)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 入浴料は三百円。番台の女性が「今日は男湯が殿湯です」と教えてくれる。実はこの照湯、殿様も入っていた当時の内装の石が今も残っており、そちらが「殿湯」。もう一方が「姫湯」で、男湯と女湯が一日おきに替わる。今日はたまたま男湯が殿湯の日ということで、年季の入った床の石を撫でて通嘉と間接握手しつつ、ありがたく身を沈めてみる。石造りの浴槽は三メートル四方程度。わずかに白濁した湯が肌に優しい。地元の常連さんと思しき男性たちが入れ替わり立ち替わり入ってきて、サッと浴びては上がっていく。地元密着型の公衆浴場の風情は“大名湯”のイメージとはちょっと違うが、それがまたいい。

 その晩は鉄輪温泉の食事処で、留次が駿太郎にウンチクをたれた「地獄蒸し」を賞味。エビやホタテといった海の幸に舌鼓を打ち、すっかり日も暮れた中、旅館が立ち並ぶ石畳の「いでゆ坂」を歩いてみれば、営業終了間際の外湯に急ぐ地元の人々に、排水溝のあちらこちらから立ち上る湯気……なんともすばらしい情景だ。ちなみに、「男はつらいよ」ファンなら、ここらへんの風景に思い当たるはず。第三十作「花も嵐も寅次郎」のラストで、寅さんが啖呵売に精を出していたのがまさにここである。

 さて二日目。天気は雨。今日は鉄輪温泉を起点に森陣屋を目指す。O君が二十四巻の記述をヒントに設定したルートは、国道五百号線を北上し、県道六百十六号線↑県道六百十七号線と伝って南下、由布院をかすめて県道五十号線を再び北上。左に折れて県道六百七十九号線に入り、広大な草原(陸上自衛隊日出生台演習場)を左に見ながら八丁越に辿り着くというもの。行程およそ五十キロ少々。参勤交代ルートよりはだいぶ遠回りだが、なにぶん道がないので……と自らに言い訳しつつ、しかもタクシーを利用することにする。

 豊後森出身だという運転手さんにルートを説明し、沿道の深見ダムなどを見物しながら走ること一時間半強。若八幡神社の先で県道を左に入り、すれ違いに難儀しそうな山道をクルマで行ける最奥「影の木集落」まで進むと、「←大岩扇山山頂」という登山道の案内札が立っている。このあたりがまさに、参勤下番の「最後の難所」八丁越の出口にあたる場所である。

〈森藩の参勤交代の行列が八丁越を松明の灯りを翳してのろのろと進んでいく。

 そんな様子を十二人の刺客を率いる林崎郷右衛門は八丁坂の坂上、出口の石畳で待ち受けていた。〉(第二十四巻)

小雨の降る中、八丁越の石畳を上る

 実は今も、大岩扇山と、その南に位置する小岩扇山の間に、石畳が約八百メートルにわたり残っている。実際の参勤交代において使用されていた道だ。下番の際は、この石畳を踏めば陣屋まであと一里足らず……さぞ安堵したことだろう。ここはひとつ石畳の感触を確かめて満足するだけでなく、大岩扇山を登ってみる。

 片道一・三キロほどの行程ではあるが、石畳の表面はところどころ苔むしており、しかも濡れている。現代人の我々にはなんとも足下が心許ない。途中で「安心して飲めますよ!」と貼り紙で強調された湧き水でのどを潤し、先行するO君がウリ坊と遭遇し転びかけるなどのハプニングがありつつも、三十分ほどで無事登頂した。標高六百九十一メートル。

 大岩扇山を征服すれば、あとはふもとにある三島公園、すなわち参勤下番の目的地、森陣屋跡を目指すのみ。だが、三島公園手前でO君がガッツを見せた。

「私、角牟礼城に登ってきます」

 森陣屋の背にそびえる角埋山(標高五百七十六メートル)は、戦国の世までその頂に山城を擁していた。文献に残る記述は文明七年(一四七五)に遡るが、今も二の丸、三の丸を囲む見事な石垣にその名残をとどめているという。だが三島公園から先はなかなかの山道で、地図で見るかぎり大岩扇山よりきつい。少々腰に不安を感じ始めた私を残し、O君は敢然と参道を登っていった。

 その間、私は三島公園を歩いてみる。脇にある豊後森藩資料館では、瀬戸内の来島村上氏に始まる久留島氏=森藩の歴史を概観できる。城下町を整備したのは初代藩主の長親。

「城下町の基本構造を今もほぼそのまま残しているのは、全国でも珍しいのです」

 そう解説する係員の方の声が誇らしげだ。

 庭園を挟んで参道を少々登ったところにあるのが末廣神社。造営されたのは慶長六年(一六〇一)だが、城を持つことを果たせなかった無念を抱きながら、いわばその“代わり”として、二十年をかけて堂々たる御神殿、拝殿、石垣、庭園などを整備したのが、他でもない通嘉である。その象徴は、天守に見立てられたという茶屋「栖鳳楼」。高台の際に建っており、二階から望む城下の眺めは、通嘉の心を大いに慰めたはずだ。

 通嘉の心境に思いを馳せること一刻。角牟礼城を征服したO君が参道を下ってきた。小雨は止まず、角埋山はところどころ霧に隠れている。正直なところ大丈夫かいなと少々案じていたのだが、果たして、なかなか難儀したようだ。以下、O君の報告。

 二十分で山頂に着く、と聞いていたけどこの天気。それよりはかかるかな、という心持ちで本殿横の参道を経て、山道を進み始めました。林を抜け、集落を見下ろすような開けた場所に……かと思えばまたすぐに林の中。急坂は途中で階段に変わる。登り終えたら休憩を、と思ったがこの階段が全く終わる気配を見せてくれません。

 坂を次々登るうちに石段は消え、完全な山道になってきました。これもかなりきつい。息絶え絶えにしばらく登ると、二の丸が見えてきました。近づくにつれ、自分の背丈の三倍ほどもある石垣に圧倒されます。小籐次たちがここを見上げた時の心中が察せられます。確かにこれは「城跡」だ。

 二の丸西曲輪を経て角牟礼神社。さらに進むが、地面に割れたまま鎮座している「展望所」の看板が。誰か直してあげて……。霧が濃くなってきたので展望所の景色は諦めていましたが、展望所に立った瞬間、霧がサッと晴れて、一瞬だけ眺めを味わえました。

 頂上まであとわずか。でも目の前の様子がおかしい。至る所に倒木、打ち捨てられた公衆トイレ、道なき道……。あっ、これは迷子だ。霧の中で道を見失ってしまいました(涙)。倒木を掻き分けるように上へと進み、濃霧が立ち込めながらも開けた場所に到着。

 すぐにここが山頂だと分かり歓喜するものの、様子がおかしい。発掘現場のような様子になっている。濃霧の中を訝しみながら進むと、「石垣工事中 関係者以外立ち入り禁止」。え? 山頂には着いたものの、小籐次と殿様が見ていたであろう景色を同様に眺めることはできないことを知る。無念。

 帰りは霧が次第に晴れ、気分もいくらか晴れて、来た道を戻る。しかし先の急坂、急階段、どちらも雨で滑る。故郷・福井の雪道で学んだ「重心を低めに小刻みに踏みしめるように進む」歩き方で誤魔化しつつ、登りよりも遥かに時間をかけて下山しました。iPhoneの「ヘルスケア」データを見たら、登った階数は、先の小岩扇山と合わせ、ちょうど「100階」分でした。

 よくやったO君、と報告を聞きつつ二人で仰ぎ見れば、先ほどまでは半ば雲に隠れていた角埋山が、その姿を現していた。

 白壁に瓦葺きの商店が建ち並ぶ、城下町の風情を遺す夕刻の町を少し歩き、最後に訪れたのは安楽寺。久留島家の菩提寺であり、初代長親から十二代通靖まで、歴代藩主がここに眠っている。もちろん通嘉の墓もある。

 通嘉が没したのは弘化三年(一八四六)旧暦八月十八日。享年六十。このとき小籐次が生きていれば、七十八になっていたはずだ。

 いかな小籐次といえど、あの時代に七十八の長命を保つのは厳しいか。いやいや、私たちに数々の人間離れした業を見せてくれた小籐次ならきっと……。

 などと思ううち、通嘉の墓石に一筋の夕陽がさした。そしてその前に、禿げ上がった頭を乗せ、五尺一寸の短躯をピンと伸ばした矍鑠たる老翁の姿が一瞬、たしかに見えたのだった。

文春文庫
御留山
新・酔いどれ小籐次(二十五)
佐伯泰英

定価:858円(税込)発売日:2022年08月03日

電子書籍
御留山
新・酔いどれ小籐次(二十五)
佐伯泰英

発売日:2022年08月03日

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