そうしたなか、戦後七〇年の長い歳月を経て、戦争を知らない世代の著者が彼女たちの媒介者となり、記録者となった。本書は不思議な縁で結ばれた話し手と聞き手の共振によって生まれたものであり、語り伝えたいという人間の思いは世代を超えて伝わるのだということを私たちに教えてくれる。
もともとこの作品は、テレビのドキュメンタリーとして作られた。ドキュメンタリーは、映像によって見る人びとに歴史のリアリズムを伝える圧倒的迫力を持っている。文字だけで伝えるノンフィクションとはアプローチも表現方法もまったく異なる。そして、両者はそれぞれ利点がある一方、両者が融合することは稀である。ドキュメンタリーとして優れた映像作品でも書籍になった途端に迫力を失い、「軽い」読みものになってしまうものが多い。言葉による表現を必要としない映像は、言語化することが極めて難しいからだ。
そのようななかで、本書はドキュメンタリーをノンフィクション化した作品、そして両者の優れた点を相互に補うものとして希有な成功例といえる。読者は是非、本書と同時に映像も見て欲しい。シベリアに抑留された女性たちの語りが映像と文字の両方で記録されたことの意義の大きさがわかるだろう。
シベリア抑留は、独ソ戦によって荒廃したソ連の復興を意図して計画されたものである。それは最高指導者であったスターリンが公文書にサインした時点で決まった。彼が執務室で事務的に処理した行為が、巨大な国家組織を作動させ、何十万何百万の人びとの生死を決定づけ、人生を変えてしまうことになる。しかし、二〇〇〇万人以上の人的犠牲を払ってドイツとの戦争に勝利したソ連という国家の存続のみ考えるこの為政者、そして彼の指示を忠実に実行する組織の構成員が、一人一人の運命を想像することはなかった。また、想像する必要性すら感じなかっただろう。シベリア抑留をはじめ戦争に関わる為政者と組織の行為とそれが人びとにもたらす影響のギャップはあまりにも深く、私たちはこの深淵になすすべも無く立ちすくむだけ。翻弄された弱者の怒りの矛先はどこに向ければ良いのだろうか? これは人間の行為でありながら、人間の想像を超えてあまりにも多くの犠牲者を生み出すにいたった二〇世紀の戦争に対する根源的な問いである。
しかし、一人の為政者によって人生が狂わされた弱者にとって、語らなければ強者に屈して彼らの悲しみや苦しみ、そして存在すら歴史の彼方に消え去ってしまう。それは、永遠の敗者を意味する。本書によって拾い上げられた女性たちの声は、強者による「正史」に抗って、シベリア抑留の真の姿を伝えるものである。私たちは、この声に耳を傾けることによってのみ戦争の本質を考え、その根源的な問いに答えることができよう。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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