専門とする平安時代をはじめ、戦国時代や江戸時代、幕末、明治など幅広く時代小説を手掛けて来た奥山景布子さん。新作『葵のしずく』について、話を聞いた。
高須四兄弟を描いた『葵の残葉』から5年
幕末、尾張藩の分家として美濃にあった高須藩において、10代目藩主の松平義建は子宝に恵まれ、後に尾張徳川を継ぐ慶勝(よしかつ)、慶喜の将軍就任に伴い一橋家当主となる茂栄(もちはる)、美男で知られ会津藩主、京都守護職を務めた容保(かたもり)、婿養子として桑名松平を継いで京都所司代となる定敬(さだあき)ら4人は、高須四兄弟と呼ばれた。
藩内が討幕派と佐幕派に割れ、悲劇的な結末を迎える(青松葉事件)尾張藩の慶勝をはじめ、兄弟同士でも敵味方に分かれて戦うことになった彼らを描き、本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞をW受賞した『葵の残葉』から5年。
今作『葵のしずく』では、四兄弟の近くにいて、維新に翻弄されながらも力強く生きた女性たちを描いている。
「『葵の残葉』を書き終えて、松平定敬を主人公にした『流転の中将』までの構想はあったんです。でも、3作目で女性のことをこんなに書けるとは思いませんでした」
序章に続く1話目「太郎庵より」は、慶勝から極秘任務を与えられた女性が主人公の話である。
「「太郎庵より」に出てくるお慶さんは当初、実は『葵の残葉』でももう少し出番が多かったのですが、かなり削ってしまったんです。その部分がちょっともったいないなと思っていて、それだけでは長編にならないので、彼女のその後の人生も考えて書いたのがこの一篇です。
実在の人物ではありません。ただ、維新後に北海道に入植した人物名簿の中に慶という女性がいます。それ以上のことは分からず、旦那さんが青松葉事件に関わったというのも創作ですが、実際に北海道に入植している事件の関係者は多かったようです」
連作になったきっかけとは
連作にしてみようと思ったきっかけは、2話目の「二本松の姫君」の執筆だった。
「私はこの高須四兄弟の話は大河ドラマ向きだと常々思っているのですが、編集者と話していて、大河ドラマにするのに女性がいないと寂しいよね、と。慶勝の妻の矩姫(かねひめ)と、茂栄の妻の政姫(まさひめ)が姉妹というのが面白いなと思いつつ、『葵の残葉』ではほとんど書けませんでした。そのことを入れると話がふくらんで、全体のバランスが悪くなってしまうので。ですが、本屋が選ぶ時代小説大賞をいただいた後、徳川美術館で講演する機会があり、そのときに「二本松の姫君」の作中に出てくる姫様の作った人形が展示されていたんです。それで、この人形が姉妹をつなぐものになれば良いと考えて、話が出来上がりました」
さらに「絃の便り」「倫敦土産」「禹王の松茸」と、序章の「金鯱哀話」を含めた計6話からなる作品集に仕上がった。
史実と想像の棲み分けについて
奥山さんは元々は平安時代を専門とする研究者で、大学で教鞭をとっていた時期もある。小説を書く際の史実と想像の棲み分けについては、どう考えているのだろうか。
「自分自身が研究者だったからか、書いてしまった後でこれは成立しません、となってしまうと立つ瀬がない。なので、史料をいくつか見つけると、その間を私が埋めても許されるだろうと考えますが、一つしかないとどっちに踏み出して書けば良いのか分からなくなってしまう。自分は比較的、そうやって史料に頼ることが多いです。書いていると結構、研究者の方が史料を送ってくださるのですが、それらが導いてくれることもあります。今回もそうして物語が上手に芽吹いてくれました」
時代が大きく変わった幕末から明治維新のことを描くのは難しいという話をよく聞く。また著者自身、実は幕末は苦手だったという。
「たしかに難しいですね。ただ、『葵の残葉』『流転の中将』『葵のしずく』と3作書いてみて、一方で三遊亭圓朝や河竹黙阿弥といった人物のことも書いてきました。そうすると、維新を引っ張った人ではなく、一般庶民から見た時代の変化が分かってくるんです。圓朝が体験した上野の戦争とか、黙阿弥の作劇が明治になってどう変わったかとか、政治を牽引したのではない人に自分の身を置いてみる。幕末を書くことは苦手だったのですが、そうやって何となくつかめてきた気がします。小説家になったばかりの頃は、戦国と幕末は書かないと言っていたのですが(笑)」
人を死なせる話よりも、生き延びる話を
カバー袖のキャッチコピーに「激動の時代に『生きる選択』をした女性たちを描いた物語」とある。この「生きる選択」という言葉は今回、著者ご自身からいただいたものである。
「戦国時代をあまり書きたくないのは、人を死なせる話を書くのが苦手だからです。北条義時を書いたときも、すごくストレスが溜まってしまって(笑)。男性も女性もそうですが、出来ればどう生き延びるかということを書きたい。特に時代小説では、どうしても女性がより生き辛さを感じてしまうことが多いと思うのですが、彼女たちが死ぬのではなく、どう生き延びるかを考えていく話を書けるのが嬉しいです」
激動の時代、小説の中で描かれる数奇な運命をたどった女性たちの姿は、その労苦よりもむしろ清々しささえ感じさせてくれる。
著者プロフィール
1966年愛知県生まれ。
2007年「平家蟹異聞」(『源平六花撰』所収)で第87回オール讀物新人賞受賞。古典への造詣を生かした作風が高く評価され、『恋衣 とはずがたり』『時平の桜、菅公の梅』などを執筆。近年は児童向け歴史小説なども手がける。2018年に『葵の残葉』で第37回新田次郎文学賞、第8回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。
ほかの著書に『圓朝』『浄土双六』『流転の中将』『義時 運命の輪』『やわ肌くらべ』、「寄席品川清洲亭」シリーズなど。
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