第12回目を迎えた「本屋が選ぶ時代小説大賞」。目利き書店員の皆さんが本気で「いちばん売りたい」一冊を選んでいただく選考会は、2022年10月28日に文藝春秋本館にて行われ、本年度も白熱した議論が交わされました。
選考委員は、阿久津武信(くまざわ書店錦糸町店)、礒部ゆきえ(TSUTAYA BOOKSTORE 下北沢)、市川淳一(丸善ラゾーナ川崎店)、平井真実(八重洲ブックセンター京急百貨店上大岡店)、吉野裕司(紀伊國屋書店新宿本店)の5氏。
候補作については2021年10月1日~2022年9月30日に発表された単行本の中から、文芸評論家の縄田一男、末國善己、大矢博子の3氏の推薦をもとに、下記の作品を候補としました。
赤神諒 『はぐれ鴉』
今村翔吾 『幸村を討て』
梶よう子 『広重ぶるう』
木下昌輝 『孤剣の涯て』
谷津矢車 『北斗の邦へ翔べ』
選考会に出席された書店員の皆さま(敬称略)
直木賞受賞作『黒牢城』&『塞翁の楯』が大ブレイク!
――「本屋が選ぶ時代小説大賞」も今年で12回を迎えます。この1年間、書店の店頭の様子はいかがだったでしょうか?
平井 このジャンルでいえば、年頭に直木賞を受賞した、米澤穂信さん『黒牢城』(KADOKAWA)と今村翔吾さん『塞王の楯』(集英社)は両作ともめちゃくちゃ売れました。信長に謀反した荒木村重の有岡城での籠城戦を描いた『黒牢城』は、時代小説としてもミステリーとしても面白くて、幅広い客層の方が買われていった印象です。
私の店舗には、今村さんを贔屓にされていて、「新刊が出たら絶対買うから取っておいて」というおじいさまがいらっしゃるんですけど、「テレビでよく見るけど、次の新刊はいつ出るの?」って頻繁に聞かれます。テレビに出ると執筆時間が減ると心配されているんでしょうか(笑)。
市川 最近では一番売れたというくらい、出ましたね。たぶん、普段は米澤さんの作品に触れない方も読んだのではないかなと思います。
平井 コロナ禍も三年目を迎えて、だんだんと客足が戻って来た感覚があります。私が在籍しているのは百貨店内の店舗なので、午前中は年配の方が多くいらっしゃいます。
阿久津 私の店舗は若いお客さんも多いですが、やはり午前中は年配の方が中心ですね。午前と午後で、客層が二分されているような感じがあります。
市川 時代小説は、おじいちゃん、おばあちゃんと書店員が交流を深めるジャンルでもありますよね。
僕を指名して来てくれるお客さんで、通称「歴史小説のおじいちゃん」という方がいて。そのままですけど(笑)、最近バックヤードにいる僕をわざわざ探しに来てくれたり、検品作業をしていると「ああ今、外せないんだよな」と言って近くで待っていてくれたり。検品を終えてお声がけすると、一緒に本を探してほしいと言われることもありますね。そのタイミングで新しい作家さんをご紹介して、おすすめしたりもしています。
歴史小説に関しては、「この作家さんの新刊ある?」といつも来てくれる顔なじみのお客さんがたくさんいます。本を通してやり取りするのは、楽しいですね。
吉野 紀伊國屋書店新宿本店は、今年リニューアルがあり、とにかく改装作業をしていた一年でした。文芸コーナーも大きく変わり、リニューアルを経て、若い読者の方が多くなった印象です。
最近は外国人観光客の方も戻ってきていて、免税の件数も増えてきました。みなさん結構漫画を買っていかれますね。
平井 漫画と言えば最近、『ONE PIECE』を一巻からまとめ買いする方がまた増えています。映画の影響もあるかとは思いますが、大きな目で見ると、世代が一周したようですね。
礒部 今回初めて参加させていただきます。TSUTAYAの礒部です。どうぞよろしくお願いします。
以前は旭屋書店池袋店に在籍しており、現在はTSUTAYA BOOKSTORE下北沢に出向しています。今日は皆さんのご意見を伺えるのを楽しみにやってまいりました。
旭屋書店では、平井さんと同じく百貨店内にある店舗にいたこともあり、年配のお客さんも多く、時代小説がよく売れていたんです。でもTSUTAYAに来ると二十代のお客さんが多くて、売れ行きの傾向がまるで違います。前のお店ではたくさん売れていた文庫書き下ろしの時代小説が、ここでは一冊も売れないなんてこともあって。最初はびっくりしましたが、「読み継いでいくにはどうしたらいいか」と考えるようにもなりました。大変なことかもしれませんが歴史時代小説の読み手を育てていく姿勢も大事だと思っています。
今回は「若い人におすすめできるか」ということも考えながら、候補作を読みました。どうぞよろしくお願いいたします。
一同 (拍手)
――ありがとうございます。それでは、本題に移りましょう。5冊の候補作は、歴史時代小説に詳しい文芸評論家の縄田一男さん、末國善己さん、大矢博子さんの3名が今年度(2022年10月~22年9月まで)のベスト10を選定。複数の推薦のあった作品を候補としました。今年も、バラエティ豊かな読み応えのある五冊が揃いました。
『北斗の邦へ翔べ』谷津矢車
――箱館戦争を舞台に、家名復権を目指し戦う少年と、蝦夷地に流れ着いた新撰組の土方歳三を中心に据えた一作です。
谷津矢車さんはこれまで5度ノミネートされていて、毎回高い評価を得ています。
阿久津 谷津さんの作品となると、やはり期待が高まりますね。その分、厳しく見てしまうところもありますが、本当に面白く読みました。
主人公となる土方歳三の描き方も、一般的なイメージから離れすぎず、しかし最後には違いを見せてくるという絶妙な匙加減。まだお若い作家さんですが、大ベテランを思わせる技量をお持ちで、読み応えがあります。
市川 やっぱり土方ってみんながかっこいいと思うキャラクターですし、実際これまでたくさんの方が「絶対に外さない人物」として描いてきましたよね。阿久津さんがおっしゃる通り、谷津さんはそこに新しい土方像を作ろうとしている。司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』をはじめ、先人たちは旧幕府軍側の視点で、土方歳三を捉えてきました。そこに、市井の目線という新たな視点を、格好いい土方像を崩すことなく加えてきたのは「さすが谷津さんだ」と思いました。
読み進めるのも楽しくて、素晴らしい作品でしたが、ただ、どこかで谷津さんの他の作品と比べてしまった部分があります。それはたくさん活躍されているからでもあるのですが……。
礒部 蝦夷地の説明が多い点がやや気になってしまいました。もっと物語に入り込みたかったですね。
吉野 「鬼の副長」というイメージの強い土方ですが、一人の人間としての描き方が本当に面白くて、夢中で読み進めました。でも、読後感がとてもさわやかで良いものである分、インパクトが弱くなってしまった気もします。
平井 土方に関する先行作が多いこともあって、新鮮さという点では苦しいですよね。ただ先行作による予備知識があるからこそ、わかりやすいとも思いました。同じテーマの小説と比べて読みやすい作品だと感じましたし、土方以外の部分もとても面白かったです。
『幸村を討て』今村翔吾
――池波正太郎の名作『真田太平記』(新潮文庫)の大ファンであると公言されている今村翔吾さんが、満を持して真田父子を描きました。
礒部 今回の候補作の中では、ダントツで『幸村を討て』を推します。もともと私自身、『真田太平記』が大好きだということもあって、設定が盛り込まれていたりするので思わずのめり込んでしまいました。描き方やストーリー展開に、少し「あれ?」と思う部分もあるにはあるのですが、時代小説の読者層を広げてくれるようなパワーを感じます。『真田太平記』を読んだことがない方にも、興味を持ってもらえるのではないでしょうか。
何より、登場する武将一人ひとりのキャラクターが立っていますよね。若い読者に届けるという点で、「本屋が選ぶ時代小説大賞」にぴったりだと思いました。時代小説の入り口となる本として、今村さんの作品は「ちょっと読んでみて」とおすすめしやすいですよね。魅力的な登場人物を通して、歴史への興味を広げていってくれる可能性を秘めた一冊です。
平井 実は私自身、時代小説に苦手意識があったのですが、この小説に登場する武将たちは深掘りしたくなりました。真田兄弟の描き方や、作中に何度も出てくる「幸村を討て」というセリフも、格好よかったですね。
今村さんはストーリーの作り方がお上手で、正統派の歴史小説を書かれますよね。同じ江戸時代初期を書いた木下昌輝さんの『孤剣の涯て』の強烈なインパクトとは違ったオーソドックスな良さがあって、ここは好みが分かれる部分でしょうか。
阿久津 タイトルについても、作者の力量を感じました。ありふれているように見えていた「幸村を討て」というタイトルが、読み進めていくうちに「これしかなかった」と納得できる。今村さんの小説にはエンターテインメント性を高いレベルで求めてしまいますが、きちんとそれに応えてくれていて「やっぱりいいな」と思わせてくれましたね。
市川 今作も今村さんらしく、涙腺を刺激してくる熱いお話でしたが、僕は以前この賞にもノミネートされた『八本目の槍』(新潮文庫)と、つい比較してしまいました。『八本目の槍』は「賤ケ岳の七本槍」と呼ばれた、秀吉の子飼い7人が主人公の連作短編。同じく子飼いで七人と対立していたと思われた、石田三成と実は深い部分では繋がっていて……という秀吉好きにはたまらないカタルシスがあったんですね。でも『幸村を討て』は、「結局、幸村は一体何者なのか?」という部分があまり描かれていないので、そこに違和感がありました。兄の信之中心で進む作品の方向性は理解出来るのですが、実際に兵を率いて歴史に残る大活躍をしたのは幸村に間違いはないので。
吉野 周囲の目から主人公の像を立ち上げる書き方は、今村さんが得意とされている手法とは思うのですが、『八本目の槍』と物語の構造が似ている点も少し気になりました。
私も礒部さんと同じく、『真田太平記』が大好きで、池波正太郎へのリスペクトが見えるシーンには、思わずゾクゾクとしてしまいました。一方で、未読の方がどう感じられるかなという懸念もあります……とはいえ、大津城を舞台に鉄砲職人と石垣職人の対決を描いた『塞王の楯』で直木賞を取らなかったら、この作品で取られたに違いないという出来栄えで、エンターテインメントとして、読んでいて本当に楽しかったです。
『はぐれ鴉』赤神諒
――赤神諒さんは、今回初のノミネートです。江戸時代前期に豊後国・竹田藩で起こった凄惨な事件に対する復讐劇を描きつつ、ミステリーあり、恋愛ありと、ドラマチックな物語です。
礒部 私はすごく好きな作品でした。読みながら何度も涙を流しましたね。「人は信じたい神を信じりゃいい」という作中のセリフは、私自身が考えていることとも重なるように感じて、メッセージが素敵でいいなと思いました。
阿久津 謎解き要素も楽しめて、やはりミステリー好きとしては食いついてしまう作品でした。あと、真相を知って再読すると、冒頭から印象がガラッと変わるんですよね。「もう一回読むとさらに楽しめるよ」というすすめ方ができる作品です。加えて「起こった出来事の裏には、ほかの人の色々な思いがある」という現代的なテーマも伝えていて、今の人に読んでもらいたい一作だと思いました。
平井 私としては、竹田藩が隠れキリシタンの里のようになっていた史実を知らなかったので、藩に関する記述をとても興味深く読みました。
市川 竹田藩の名物、名菓、名所が随所に織り込まれていて、町を知ってもらおうという意図がありそうです。
平井 少し気になったのが、恋愛の場面ですね。すごく素敵な展開があっても、なぜか面白さがそこで失速してしまう感覚を覚えてしまったんですけど……。
市川 仇の娘である英里との恋路と復讐と、どちらを取るかを主人公の才次郎が逐一天秤にかけて悩む。揺れ動く心情が非常に丁寧に描かれている分、恋愛要素をそんなに好まない人は少し気持ちが離れてしまうかも? と思いました。
物語自体はミステリー仕立てで面白かったです。城代である玉田巧佐衛門というおじいさんがとても魅力的で、彼への興味だけでも読ませてくれる見事な人物造形でしたね。最後の最後にもう一回転する構成も大変楽しくて、面白く読み終えました。
吉野 一族郎党が皆殺しされる凄惨な事件がなぜ起きたのか、という謎は最後まで全く読めず、引き付けられながら読みました。ただ、藩ぐるみの大きな謎や恋愛の行方は見通せてしまった部分でもありました。
市川さんが先ほどお話しされていましたが、竹田市に行ってみたくなる小説ですよね。赤神さんは、戦国時代の大国・大友家を揺るがしたお家騒動を描く『大友二階崩れ』(講談社文庫)など、九州が舞台の作品を書かれるイメージがあります。もともと竹田藩に隠れキリシタンがいたということは知っていたのですが、これまで行ってみたことはなくて。実際にキリシタンが忍んで礼拝に行った洞窟なども残っているんですよね。この小説を片手に観光してみたい気持ちになりました。
『広重ぶるう』梶よう子
――梶よう子さんの『広重ぶるう』は、舶来品の顔料「ベロ藍」の青色に魅せられた江戸の浮世絵師・歌川広重の一代記です。
市川 タイトルだけ聞くと、一見、青の染料を探しに山へ行く物語なのかなと思うじゃないですか。青を探して秘境や山奥をみんなで奔走し、物語も終盤に差し掛かったところで「ついに……!」となる展開かなと予想してしまいました。ですが実際に読んでみると、江戸の市井の春夏秋冬が描かれ、町に暮らす人々の息遣いも感じられる、完成度の高い作品でした。「これぞ時代小説」という1冊ですね。
梶さんの描く市井の人々の物語がもともと大好きで、江戸弁でのやり取りを読むだけで満足できてしまうほど。梶さんは摺師の本も出していたり、絵に対する膨大な知識をお持ちの方です。版元と絵師との交渉の様子なんかも本作では描かれていますが、いかにもこういう場面がありそうだなと想像しました。時代小説に慣れている方なら「まさに時代小説」と思って、楽しんでもらえるかと思います。
吉野 冒頭から物語がすいすいと進んでいき、広重が人物を描くのを諦め、名所を描くと誓うまでの展開が非常に早い。中盤で「ベロ藍」に到達するんですね。重要な転換点をもう迎えてしまうのかと、正直びっくりしました。でもそこからさらに山あり谷ありの展開があり、クライマックスではきちんとまとまる。最後に待ち構えるメッセージにも、胸がグッと熱くなります。時代小説を読む楽しさを味わえました。
阿久津 広重が「ベロ藍」で青を表現しようとしたところの描き方で、梶さん自身の江戸そのものへの愛を強く感じました。「井の中の蛙」は悪い意味で使われますが、「井戸の中にいるからこそ空の深さを知っている」とも意味すると聞いたことがあります。まさにその境地に達していると思いました。キャリアの長い梶さんですが、今作でひとつ突き抜けたように感じます。ぜひとも推したい1作です。
作中では、歌川広重が良い悪いで言ったらむしろ悪いぐらいの人物として登場します。突出した芸術家ではなく、どこにでもいそうな人として描かれているところが、読みやすさにつながっているような気がしました。作品全体として、元は火消しとして炎の赤色に対峙してきた広重が、これまで目にしてこなかった青に出会ったという対比も込めているのかなと想像しています。
平井 今回の候補作は『広重ぶるう』以外がすべて戦記物でした。私は湯屋でののんびりしたシーンやおいしそうな朝餉の描写に癒されました。
市川 わかります(笑)。『孤剣の涯て』の後すぐに読んだので。
平井 あ、私もその順番で読んだからそう感じたのかな(笑)。あと、広重が春画を描く際に「色重」という隠号を用いたことなど、作中にちりばめられたユーモアも大好きで、読んでいてとても楽しかったです。恋愛要素も出てきますがさっぱりとしていたからでしょうか、「好き勝手している広重を支えてあげて、なんていい奥さんなんだ」と思いながら読みました。
この本を読んで、梶さんのことが気になり、インタビューもチェックしました。そこに、広重との出会いは「永谷園のお茶漬け」に入っている東海道五十三次のカード、と書いてあって。私も昔集めていたので、思わず共感してしまいましたね。そういう点も含めて、大好きな一冊です。
もうひとつ考えたのは、日本美術をテーマにした時代小説が、今、どれだけ受け入れられるだろうかという点です。西洋美術は原田マハさんがたくさん書かれていて、アートそのものも割と身近に感じられるかと思います。ですが、私自身の経験からしても、日本美術、ましてや浮世絵となると、読者の方がどのくらい積極的に関心を持ってくれるだろうか、というのは未知数ですよね。もちろん、まだ見ぬ世界に足を踏み入れていく面白さがあるのは、間違いありません。
『孤剣の涯て』木下昌輝
――本作では、宮本武蔵や、宇喜多家にかつて仕えた坂崎直盛など、木下さんがこれまで書いてきた歴史上の人物がそろい踏みしています。
市川 「徳川家康を呪った犯人はいったい誰なのか」という物語の推進力となる謎解きも面白いですし、やっぱり木下さんの筆によるアクションも素晴らしい。坂崎直盛が奇声を上げながら剣を振るうシーンを「赤子を失った母の絶叫を思わせる」と書くセンスも抜群に良くて、感動します。『魔界転生』の雰囲気で深作欣二に撮ってもらったらかっこいいかなとか、タランティーノもいいかな……と想像が広がります。シャープでポップなB級感があって。
一同 (笑)
市川 いや、やっぱり「B級感」という言い方には語弊があるかな(笑)。山田風太郎のような昔の伝奇小説を思わせながら、それでいて現代的なセンスが光っているところが、大好きです。
最近、ゲームの影響で、知名度の低い武将を知っている若い方が増えていますよね。戦国時代への造詣をゲームから深めていった方に、どうしたら時代小説へと足を踏み入れてもらえるか、と考えるのはとても大事なことだと思うんです。そういう意味でも、万人が「すごく面白いエンタメだ」と思えるこの一冊は、「本屋が選ぶ時代小説大賞」にふさわしいように感じました。「ちょっとこれはやりすぎかな」とか、こちらが勝手にブレーキをかける必要はないような気がしています。
吉野 読んでまず感じたのが、山田風太郎賞にノミネートされていたら、或いはこの作品が取ったんじゃないかということです(選考会の一週間前に受賞作が小川哲さん『地図と拳』に決定)。登場人物も、これまでの木下作品のオールスターキャストで、集大成なのかなとも感じさせられました。
物語の展開ひとつひとつに、「そう持ってきたか」、「ああ、あなただったのか」といった風に、腹落ちがあります。史実と照らし合わせてみると、「ものすごい書き方をしているな」とわかるんです。例えば、本当に宮本武蔵の養子になった三木之助や坂崎直盛の最期など、木下さんにしかできない歴史の描き方が随所に見られて、「らしさ全開」だと思いました。
時代小説を読んでいない方にはミステリーの面白さが先行するかもしれませんが、よく読んでいる方には玄人ウケする歴史の楽しさがありますね。
阿久津 谷津さん同様、木下さんは読む前からハードルが上がってしまう作家さんでした。だからこそ作品が面白くても、木下さんならこれくらい当たり前と受け止めてしまった部分があります。同じ木下さんの作品で、武蔵をほかの人物たちの視点から浮き上がらせる書き方を採用した『敵の名は、宮本武蔵』(角川文庫)と比較しても、心理描写が少ないように感じました。物語の展開もうまくいきすぎて、少し武蔵の輪郭がぼやけてしまった印象です。
礒部 新しいものを読んだなという感覚がありましたね。とても面白かった一方で、これは漫画のような読後感かも……と。これは完全に好みの問題ですが、歴史時代小説の良さをもう少し味わいたかった気もします。
平井 私は何よりも、怪奇や伝奇が大好きなので、まず「五霊鬼の呪い」や妖刀村正という時点でやられてしまいますね(笑)。加えて戦の描写が圧巻です。鼻を削ぐシーンとか、あまりにおどろおどろしくて。いつもならエンターテインメントとして距離を置きつつ読むのですが、怖すぎて、夢にまで見て眠れなくなってしまったくらいです。小説内の場面をまざまざと想像できる、書き方の凄みというものを一番強く感じた作品で、とてつもないインパクトでした。
木下さんが「読者を驚かせよう」と仕込んだであろうポイントで毎回びっくりして、本当にのめり込みながら読みました。
全員の満場一致で決まった2022年の一冊は!?
――議論は尽きず、長時間にわたって熱いご意見を伺ってまいりました。各作品の面白さがそれぞれに異なっていて、皆さん大変悩まれた印象です。
議論に議論を重ねた最終的な投票の末、大賞は木下昌輝さん『孤剣の涯て』となりました。結果として、全員一致の満票でした。予想を超える熱戦となりましたが、誠にありがとうございました。
一同 (拍手)
――今回の5作以外にも、今年読まれた作品で「これは!」というものがあったかと思います。おすすめの本を伺えますでしょうか?
礒部 私は砂原浩太朗さん『黛家の兄弟』(講談社)をおすすめしたいですね。昨年「本屋が選ぶ時代小説大賞」を受賞した『高瀬庄左衛門御留書』(講談社)に私も一票を投じたかった……という思いを込めて、砂原さんを推します。これからもずっと読んでいきたい作家さんの一人です。
阿久津 僕もこの賞に関連して言うと、蝉谷めぐ実さん『おんなの女房』(KADOKAWA)は外したくないですね。デビュー作『化け者心中』(KADOKAWA)で前回ノミネートされた際、「次回作に期待」と言ったので、ここで推薦させてください。
そして北原亞以子さん『慶次郎縁側日記』シリーズが、朝日文庫から新装版で復刊されています。新潮文庫でのシリーズには入っていなかった『雪の夜のあと』まで収録されているんです。長編作品なのですが、シリーズ第1話と第2話をつなぐ役割を果たしています。この話があることで、慶次郎の性格の移り変わりがよりわかりやすくなっていますね。これまでずっと読んできた方にも、改めて読んでいただきたいということで、おすすめです。
平井 私は、今回の選考会で読んだ『広重ぶるう』がきっかけで梶さんを追いかけるようになりました。中でも、先ほどお話に上がりましたが、浮世絵の摺師を主人公にした小説が、ハルキ文庫から「摺師安次郎人情暦」シリーズとして出ていておすすめです。
それから、「オール讀物新人賞」を取られた由原かのんさんのデビュー作『首ざむらい』も注目の1冊です。11月末発売の新刊です。「謎解きの怪異譚」という紹介文を読んで、「私の好み!」と思いました。「癒し系時代奇譚」とも書いてあってどんなジャンルなんだろうかと楽しみにしています。表紙には、「オール讀物」掲載時の扉絵になった首を持ったお侍さんがかわいらしいキャラクターっぽく描かれていて、すごく気になっていたんです。絶対に読みたい1冊です。
市川 僕は矢野隆さんの作品が大好きでずっと読んでいるのですが、集英社文庫の書き下ろしで出た『琉球建国記』がすごく面白かったです。格好いい英雄が大活躍する、昔ながらの歴史小説の面白さがあります。ド直球な男同士の戦いといったお話は最近あまり見かけなくなっているので、いいなと思いました。
吉野 市川さんと好みが似ているなと常々思っていましたが、ついにおすすめが完全に被りました。『琉球建国記』、私もとても面白かったですね。帯に「水滸伝」と書いてあったのですが、まさに「漢」と書いて「おとこ」と読むみたいな、そういった熱いお話です。
ここのところ文庫書き下ろしが多いですが、どうして単行本を出されないのか、不思議です。
市川 『琉球建国記』でさらに面白い作家さんになった感じを受けましたね。
――ありがとうございます。残念ながら、選考委員には五年の任期を設けておりまして、今回で阿久津さんと市川さんが選考のラストイヤーとなります。本当にお世話になりました。
一同 (拍手)
――2023年は、司馬遼太郎、池波正太郎の二人が生誕100年を迎えます。偉大な先人の名作の映像化も予定されていて楽しみですが、もちろん新しい歴史時代小説がたくさん出てくるはずです。また来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
(「オール讀物」12月号より)
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