小武は国語の宿題として出された課題作文「わたしの街」に取り組む中で、井戸の底に暮らす蛙の物語を作り出す。井戸の水が涸れたことをきっかけに外に出た蛙はみずからにふさわしい場所を求めて旅を続け、ついに大海でクジラと出会う。蛙がどんな結末を選ぶのか、それは作品をお読みいただき、ご自身の目で確かめていただきたい。ただはっきりと断言できるのは「小さな場所」に生まれ育った小武がこの一話において、愛すべきその地を旅立つ日を漠然と意識し始める事実だ。
思えばこの物語に登場する人々のほとんどは、それぞれの「小さな場所」に長く留まりはしない。ニン姐さんを訪ねてきた女の子、三つの名前を持つ小武の先生、氷砂糖の天使たる小波……だが第一話「黒い白猫」の冒頭において、ピッグボーイと弟の喜喜、ニン姐さんなど小武を取り巻く刺青師たちの行方までが明記されながらも、我々は忌々しくも愛すべき小さな場所に暮らす人々が永遠に同じ姿で留まり続ける夢を見ずにはいられない。彼らが――そして小武がそこから立ち去る痛みこそが人生だと理解する一方で、自らのよりどころたる小さな場所への哀惜を、小さな小さな刺青の如く身体の奥底に刻み付けてしまうのだ。
本作の親本はコロナ禍直前の二〇一九年十一月、当節の出版事情には珍しいことに、日本・台湾同時刊行という形式で出版された。台湾版での書名は『小小的地方』。なにせ子ども時代に遊び場にしていた台北の繁華街・西門町の一角、紋身街を舞台とするだけに、東山氏は刊行直後には日台双方のメディアを伴って、幾度もこの通りを歩く羽目になったという。この詳細は、二〇二二年十月に刊行された氏のエッセイ集『Turn!Turn! Turn!』(書肆侃侃房)収録の「日台同時発売『小さな場所』は子どものころの遊び場、西門町の一角」に詳しいので、ご興味がおありの方はぜひご覧いただきたい。ただここですべての読者に向けて指摘しておきたいのは、このエッセイによれば『小さな場所』屈指の魅力的なキャラクターであるニン姐さんは、東山氏の従妹がモデルという事実だ。
自分の身体には一カ所たりとも刺青を入れず、その癖、刺青店の看板を掲げる堂々たる彫り師。ただニン姐さんと異なることには、従妹氏は東山氏を練習台にするべく、顔を合わせるたびに刺青を彫らせろとせっついてくるという。
紋身街の彼らの物語が初めて文芸月刊誌「オール讀物」に連載されてから、すでに五年。何度も店を営んではつぶしてきた従妹氏は、まだ紋身街で刺青を生業としているのか。それともある日、忽然と姿を消したというニン姐さんそっくりにどこかに行ってしまったのか。はたまた東山氏は従妹氏の熱意に負けて、ついに刺青を入れたのか。わたしは東山氏とは家族ぐるみのお付き合いがあるが、それを聞くのは不思議に躊躇われてならない。
なぜなら小さな場所に暮らす人々流に言えば、刺青は覚悟の証であり、身体の奥深くに秘めた牙であり、生きるためのよすがである。ならばどれだけ親しい仲であったとしても――いや親しい仲であればこそなお、その存在を言葉に出して問い質してはならぬのだから。
昨年二〇二二年、東山彰良はデビュー二十年を迎えた。さて、そんな氏はこれからどんな旅に出るのだろう。生きることの憂鬱を怠惰を、その平凡に対する後ろめたさと鬱屈をどんな光景に織りなすのだろう。
なにせ愛の複雑さと冒険を入れ子の如く描いた『怪物』、幕末を文字通り駆け抜ける男たちの葛藤を描いた『夜汐』など、既存のジャンル区分を軽々と飛び越え、我々を自らも気づかぬ旅に誘う彼のことだ。事前の予想なぞさらりと裏切り、あっと驚く、その癖どうにもならぬほど愛おしい異境に連れ去ってくれるに違いない。その日が今から待ち遠しくてならない。
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