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道標の人 池波正太郎

道標の人 池波正太郎

文:今村 翔吾 (作家)

『ずばり池波正太郎』(里中 哲彦)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #随筆・エッセイ

『ずばり池波正太郎』(里中 哲彦)

 池波正太郎。その名は私の中で特別な光芒を放っている。

 一九九五年七月の上旬、当時十一歳だった私は、母の買い物に付き合うことになり外出した。私は京都府出身だが、生まれた場所は相楽郡加茂町(現木津川市)という最南端の町であったため、日常以外の買い物をするならば、もっぱら県境を越えて奈良に行く。

 その奈良の小西通という然程道幅もない道に小さな古本屋がある。丁度、その向かいが母が向かう先であるデパートの入り口である。買い物に向かう前だったか、終えた後だったかは、はきとしない。が、古本屋の前を通った時、軒先に山積みとなっている小説に目を奪われた。

 この小説が氏の『真田太平記』であった。書庫の整理をした時に売りに出されたのか、あるいは持ち主が死んで遺族が纏めて売り払ったのか。単行本で全巻揃っていた。私は母に、

「これ、買ってくれへん?」

 と、恐る恐る尋ねた。値段も覚えていないが、全巻纏め売りだったこともあり、恐らくは一万円ほどはしたのではないだろうか。それなりの金額である。

「あんた、こんなん読まんやろ」

 母の第一声はそのようなものであったと思う。それもそのはずで、これまで課題図書などは嫌々ながら読んだことはあるものの、自らの意志で本を読んだことは一度も無かったからである。だが、私は再三食い下がり、何とか買って貰うことが出来た。先述したように、うろ覚えなところも間々あるのだが、軒先で夏の日差しを受ける山積みの本、その光景だけは今もはっきりと覚えている。

 私は家に帰ると、さっそく一巻を手に取った。そして、最終巻まで四十日足らずで一気に読み終えたのである。これには母も驚いていたが、何より私が驚いた。一見、難読そうな歴史大作を読み終えられたこと。そして、これほどまで小説とは面白いものかということに。

 何故、池波正太郎が特別なのか。それは私にとって初めて自らの意志で読んだ小説の作者であり、小説の魅力を教えてくれた人であるからだ。

『真田太平記』を読み終えた後、私は町の小さな書店に小遣いを握りしめて走り、池波正太郎の作品を買い求めた。それから一冊、また一冊と読み進めていく。中学生になった頃には、文庫に収録されている作品に関しては全て読み終えたはず。いや、収録されていない短編なども、図書館で過去の雑誌を求めて出来るだけ読もうとした記憶がある。

 小説を読破すると、エッセイにも手を伸ばす。もう読む小説が無いから、渋々といった心境であったと思う。だが、これがまた面白い。

 幼少期から作家になるまでの経験談。散歩の中で見つける江戸の風景の残滓のこと。様々な人々との関り。作家として、人としての処世と流儀。そして池波正太郎のエッセイの代名詞ともいうべき食。それら全てが面白い。

 これは膨大な知識に裏付けられているからか。違う。勿論、それもあるだろうが、それ以上に池波正太郎の「心」に由来しているように思う。同じ景色を見て、同じ人と逢い、同じものを食しても、銘々で感じ方が違うのは当然だろうが、池波正太郎は中でも一味違った受け取り方をする心を持っているように思う。ある点を見ながら、その周囲にも想いを馳せ、さらにはその時の花鳥風月の光景、音、匂いまで混ぜ合わせて記憶に留めているように思える。あとはそれを後にのびのびとした筆致で描くのだ。視野が広いだとか、記憶力が良いとか、そのような表現は相応しくない。ただ、池波正太郎の心がそのような構造になっていたというのが最も適当に思える。

 何故、このような男が世に生まれたのか。本書は池波正太郎の来歴や、その家族、影響を与えた人、その辺りにも深く迫っている。池波正太郎をつくったものは一つの理由ではなく、その全てであるということも改めて感じさせられる。

 私は自他共に認める池波正太郎ファンだが、本書の中には初めて知ることも書かれていた。今になってまた、池波正太郎の新たなことを知れるというのは素直に嬉しい。

文春文庫
ずばり池波正太郎
里中哲彦

定価:935円(税込)発売日:2023年01月04日

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