「ル・パスタン」、路地裏の喫茶店にありそうな響きだが、かつて週刊文春に連載されていた池波正太郎の画文エッセイのタイトルである。
新連載のタイトルをどうしようか、これまで小説の題名は池波さんご自身がサラっとつけてピタリと決まっていたのに、このエッセイはかなり悩んだ。
当初、池波好み、通の選択、みたいなタイトルもろもろを提案するも、「それはイヤミだな。ダメだ」と即、却下された。
「じゃあ、ヒマつぶし、なんていうのはとんでもないですよね」とダメもとで恐る恐るいってみたら、「いいじゃないか。ごたいそうじゃないところがいいな。それ、フランス語だとなんだ?」「自分の趣味や特技を謙遜して、フランス語で時間つぶしというんですが、それだったらル・パスタンかな。あと、画家のアングルは趣味のヴァイオリンが玄人はだしだったので、アングルのヴァイオリン、っていうのもあります」「そのパスタンがいいよ。パスタンにしようや」という経緯で「ル・パスタン」という耳慣れぬ題に決まった。
まあ、いま思えば、たぶんに当時フランスかぶれだった池波さんと担当編集者のせいである。
還暦を過ぎてからの池波さんは、ジャン・ギャバンとルノワールに自身の老い方を投影していた感があった。
担当だったわたしは、新しく出来たミニシアターに足繁く通い、美男美女が出てこない等身大のフランス映画を観ては、宝くじが当たったら会社を辞めてフランスに住んでみたいなあ、と思っていた。
というわけで、親子ほど年の離れた日本史に疎い担当でも、それなりに話が合っていた気がする。
「ル・パスタン」は毎週一ページの連載で、「画はできるだけ大きくしてくれよ、原稿は四百字に三枚弱で、すきな画を描けるんだな、いいねえ、おもしろそうだな」と昭和六十一年十一月に始まった。池波さんなら朝めし前かと思いきや、しばらくして、「とんだものを引き受けてしまったよ。これはなかなか大変だ」とボヤいてらした。
こちらは真に受けず、むかしの話をもっと読みたいです、などと気楽にお願いしていたが、いま、ページを開いてみると三十年の歳月を経て、時代が改めて証明している池波さんの至言の数々に驚く。
文庫は四部構成で、Iは食の記憶、IIは映画と芝居、IIIはフランスとヴェニスの旅日記、IVは思い出と嘆き(時に憤怒)、といった感じでまとまっている。
心に残る箇所は人それぞれなので、説明不要と知りつつも、参考までにいくつか書き留めておきたい。解説というより回想、メモワールです。
何度読んでもたまらないのは、「ホットケーキ」と「祇園小唄」だろう。
そしてこの原稿をいただいた時に、話されたことが忘れられない。
「ぼくだって五歳までは父と母に囲まれて幸せに暮らしてたんだよ。両親に大事にされてたその時の記憶があるから、生活が変わっても大丈夫だったんだな」
だから、生まれてから物心つくまでの子供はうんとかわいがらなくてはいけない、と。
いつの頃からか、「文豪の愛したホットケーキ」と呼ばれるようになった神田須田町にあった万惣(まんそう)のホットケーキだが、池波さんにとっては特別な存在だったことがわかる。