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言葉が遅くて普通の小学校に入れなかったが…オックスフォードで修士号を得た自閉症の男性が「人と話すこと」に抵抗がなくなるまで

言葉が遅くて普通の小学校に入れなかったが…オックスフォードで修士号を得た自閉症の男性が「人と話すこと」に抵抗がなくなるまで

ジョリー・フレミング,リリック・ウィニック,上杉 隼人

『「普通」ってなんなのかな 自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』より#2

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #ノンフィクション

介助犬の足が踏みつぶされそうに…自閉症の男性が抱いた“デモに参加する人たち”への疑問「自分を見失ってしまってるみたい」 から続く

 5歳で自閉症と診断されたジョリー・フレミング。後に彼が高校と大学を卒業し、イギリスの名門オックスフォード大学で修士号を得ることになるとは、ジョリー本人ですら考えられないことだった。

 ここでは、そんなジョリーがインタビューで語った内容をまとめた『「普通」ってなんなのかな 自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方』(リリック・ウィニックとの共著)から一部を抜粋。言葉が遅くて普通の小学校に入れなかったジョリーの「苦労」と「努力」について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

ジョリー・フレミングさん

◆◆◆

環境によって言語運用能力が大きく変わる

ジョリー いつ言葉を無理なく使えるようになったか、それに答えるのはむずかしいです。というのは、自閉症の影響のひとつに、脳にあることを言葉に変換したり、耳にした言葉を脳内でイメージしたりしなければならない、ということがあります。でも、人がたくさんいる、音もうるさい、気持ちが集中できないといった、自閉症の傾向が普段より強く出てしまう環境に置かれてしまうと、その変換がうまくできない。この変換を司る脳の機能がやや低下したり、動きが悪くなったりしてしまうのです。

 あまり好きでない環境、特に新しい環境に入れられたりすると、言葉がうまく出てこないかもしれない。ゆっくりした話し方になってしまうかも。思考を言語処理する時間がいつもよりかかってしまうのかもしれません。「僕は何を言おうとしているのかな? どう言ったらいいのかな?」みたいに考えてから、ようやく口にすることができる。たぶんいつもよりゆっくりした言い方になっているでしょう。何もかもいつもよりゆっくりしてしまうし、精神エネルギーもたくさん使う。

 気持ちのいい環境だったり、前もそこにいたことがあって、慣れている環境だったりすれば、「何を言ったらいいか→どう言ったらいいか→それを話そう」という思考回路にそれほど遅れが生じることはない。みんな同じ僕がしていることだけど、こういうふたつの環境では、僕の言語運用能力は大きく変わるのです。

新しい知り合いを少しずつ増やしていった

ジョリー 環境への対応は、最低ラインから始めなくてはなりませんでした。その時にうまくやっていけたのは何人かだけでした。家族から始まって、それから時間をかけて、友人ひとり、近所の人がひとり、兄のガールフレンドというように広げていって。一度にひとりずつ紹介してもらいました。最初は、家族や、近所の友人のジェームズや、家の向かいに住んでいるナンシーさん以外の人たちとは話ができませんでした。

 ホームスクーリングを始めた時も、同じように最低ラインからでした。成長するために母が与えてくれた場所と時間が必要でした。それができるようになると、母に背中を押されて、新しい知り合いを少しずつ増やしていきました。僕が中学の後半の年齢に差し掛かる頃、母は僕の準備が整ったと考えて、そうするように勧めてくれたのです。その時はそう思わなかったけど、今振り返ってみると、確かに準備ができていたかもしれない。

 知り合いを少しずつ増やすのは、作業療法(※1)や理学療法(※2)、そしてよく覚えてないんだけどスピーチセラピーと同じような効果があったんじゃないかな。こうしたたくさんの療法は、僕が特に自分からはしたいと思わないことをするように促すものでした。

 

 母には地元の青年会に入り、テニスの練習に行くように強く勧められました。クラブ・デイ(※3)でも学ぶようになりました。これがホームスクーリングとうまく組み合わさる形になりました。

 クラブ・デイでイギリス文学と数学の授業を受講しました。でも、クラブ・デイでいちばんすばらしかったのはシェークスピア・クラブです。これに参加したのが僕にとってはすごく大きかったです。だって、そこでは人と話さなければいけないですし、ましてやシェークスピアの芝居の役を演じてセリフを言わないといけないですから、話し方をものすごく練習することになりました。

 僕は役者として演じるのは下手だったけど、セリフを覚えるのはかなり得意でした。衣装を着れば、別人のふりもできるし。『夏の夜の夢(※4)』で妖精の森に向かう職人のひとりを演じるのが好きでした。このアテネの職人たちは公爵の結婚を祝って芝居を上演しようと森で稽古を積みますけど、うまくできない。僕はおかしなことをして、みんなの笑いを取りました。

 みんなの前で演じたり話したりするほうが、みんなの中に入って話すより、ずっと楽です。舞台に立っていれば、社会的な交流は一切求められないから。みんな僕を見て、僕の話を聞いてるけど、舞台からその人たちとやりとりしなくてもいい。

©iStock.com

 でも、舞台を降りて人がたくさんいる中に入れられてしまうと、そうはいかない。みんなその中で動きまわっているし、みんなの身振りに注意してなくちゃいけない。特に僕は、みんなの言ってることが聞き取れないこともある。大勢の人の前で話すのであれば、一人ひとりの顔の表情はよく見えない。声や拍手やブーイングが確認できて、うんうんとうなずくような言い方が耳に飛び込んでくるだけ。ほかの人はそうじゃないかもしれないけど、僕は人前で話すほうが楽です。

 自分の考えを言葉にするのは大体うまくできるから、人の反応を読み取るとか、ほかにしなくてはいけないことをいくつかしなくてすむなら、人前で話すほうが楽。でも、みんなの前で話すのは少しもむずかしくないというわけじゃない。話すことは何もかも苦手です。

他者と会話する時、ジョリーが感じていること

リリック 気持ちよく会話できるということはある?

ジョリー 正直に言いますと、この段階なら気持ちよく会話できる、ということはないです。でも、訓練をたくさん積めば、脳をそれほど使わなくてよくなるということはありますね。ある人と知り合いになると、その人が前に言ったことや反応したことが頭のデータベースに保管されるので、それほど集中して言葉に置き換えなくてもすみます。

 たとえば母と話すのと、知らない人と話すのは、全然違います。その人と親しくなるほど、嫌な刺激は減らせるんじゃないかな。母と話している時は母が言うことを一語一語すべてイメージに置き換えなくても、ああ、これはあの時言ったことだなとわかるから、精神エネルギーをそれほど使わずにすみます。

 親しくなることで、皆さんの会話も変わるんじゃないでしょうか。会話をたくさん重ねれば、エネルギーをそれほど使わずにすむようになります。僕はネガティブな発言に打ちのめされることなく、いくつかポジティブなものに気づくことができるようになりました。避けたいと思うものが減って、大体いつでも大丈夫なものが増える。

 僕は、ああ、こうやって新しい情報が入ってくるんだ、こうやって新しい事実が確認できるんだと思いました。大学に進学してからですが、よく耳を澄まして、何も言わず、ただほかの人たちに話をしてもらえば、自分が取り込めるデータポイント(※5)をその人たちが与えてくれるとわかったのです。だから疲れるけど、聞いてみることは大切です。

 そうしたやり取りをすると、僕の精神エネルギーは消耗してしまうけど、寝ればまたエネルギーが充電されることもわかりました。翌朝までに完全に充電される再生可能エネルギーだから、好きなだけ使えます。

リリック 人と話すこと、会話することに抵抗がなくなったのはいつ?

 

ジョリー サウスカロライナ大学に入学するまで、ほかの人と問題なく話せると感じることはありませんでした。大学1年生の終わり頃まで、知らない人たちに会ったり、新しい刺激を受けたりすることに強い抵抗を感じていました。でも、その1年生の時に大学の研究プログラム、キャプストーン・スカラーズ(※6)に参加して、以前より人と話す機会が大幅に増えたんです。

 最初の学期にフレッシュマン・セミナー(※7)を、2学期にはリーダーシップ・コースを受講して、そこでも人とたくさん話しました。でも、みんなとてもいい人たちだったし、フレッシュマン・セミナーもリーダーシップ・コースも同じ教授に指導してもらえたから、すごくありがたかったです。その教授は僕の話をうまく引き出してくれましたし、よく面倒もみてくれました。

「デイジーを見ると、多くの人が僕に話しかけてくれました」

ジョリー もうひとつ、1年生の学期が始まる直前に、介助犬のデイジーを飼い始めたことも大きかったです。学生たちは犬を家に置いてきていたので、みんなさびしがっていたようです。どういうわけかみんなデイジーみたいな犬を飼っていたみたいで、こんなふうに声をかけてくれました。

「デイジーは僕の子犬みたいだよ」

「どんな犬なの?」と僕はたずねました。

「チワワだ」

「え、全然違うじゃん。デイジーはチワワより20キロ以上重いよ」僕はそんなふうに言いました。

 時々そんな面白い会話を楽しんでいましたけど、そのうちみんな次々に話しかけてくれたんです。うれしかった。僕は自分から話すのがあんまり得意じゃないから。1年生の学期が始まるまで、知っている人以外の人と話すことはほとんどありませんでした。そんな僕をデイジーが変えてくれたんです。デイジーを見ると、多くの人が僕に話しかけてくれましたから。

 それから1年、あまりやりたくなかった言葉の練習もたくさん積みました。でも、やってよかったです。だって、そのおかげで指導教官のジーン先生に勧めてもらい、海洋科学クラブに入ることもできたんですから。2年生の時は海洋科学クラブで活動しました。すばらしかったですし、楽しんで勉強できました。3年生になる頃には、提案されなくても自分で何かを進んでするようになりました。ものすごく遅いですけど、ひとりでできるようになったんです。進歩したんですね。かなりスタートが遅くなりましたけど、僕の人生の旅はここから始まりました。

 最低ラインから始めましたけど、今はさまざまな人たちとも話をすることができます。あらゆる環境で、初めての相手でも、いろんなタイプの人たちと話ができます。動揺して何もできなくなるということはありません。

◆◆◆

注1 日常で必要となる「食事」「洗顔」「料理」「字を書く」などの応用的動作能力や、地域活動への参加、就学・就労といった社会的適応能力を維持・改善し、「その人らしい」生活の獲得を目的に、リハビリテーションを行う専門的治療のひとつ。精神や身体の障がい者に適当な軽い仕事を与えることで身体的、精神的、あるいは発達に障がいのある人々の日常生活活動と作業スキルの回復や維持を図る。患者のメンタルケアも担う。

注2 日常生活の自立をリハビリテーションの分野でサポートする専門的治療のひとつ。「立つ」「歩く」「座る」「寝る」などの基本的動作能力の回復・維持を目的に、運動やマッサージ、電気刺激や温熱などの物理的手段を通して、患者の筋力や関節の機能回復を目指す。身体機能のうち、大きな動きの「からだのリハビリテーション」のみを担い、精神的な部分は担当しない。

注3 地元の組織が特に未就学児童向けに指導する教室。

注4 シェークスピアの喜劇(1595~1596年頃初演)。夏至の夜には妖精の力が強まり祝祭が催されるという伝説を下敷きに、妖精の森で逢引する2組の男女と芝居の練習をする6人の職人たち、妖精王オーベロンと女王ティターニア、狂言回しの小妖精パックが入り乱れ、ドタバタ劇が展開される。

注5 生データを処理して得られる情報単位のこと。1個(ジョリーの言葉でいうならビーズ1個)のⅩ値と1個以上(のビーズ)のY値を含む場合はグラフの値そのものとして表されることになる。

注6 キャンパスの文化を学び、大学生活を充実したものにするために、サウスカロライナ大学内のキャプストーン・ホールかコロンビア・ホールに住み込んで、さまざまなことを学ぶ。成績優秀者しか基本的に参加できない。https://sc.edu/about/offices_and_divisions/capstone_scholars/index.php

注7 1年次の最初の学期に履修するセミナー形式の授業。新入生が大学の勉強はど
ういうものかを学び、大人数の講義形式の授業以外に、少人数のセミナー形式の授業を経験する。

単行本
「普通」ってなんなのかな
自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方
ジョリー・フレミング リリック・ウィニック 上杉隼人

定価:2,750円(税込)発売日:2023年01月25日

電子書籍
「普通」ってなんなのかな
自閉症の僕が案内するこの世界の歩き方
ジョリー・フレミング リリック・ウィニック 上杉隼人

発売日:2023年01月25日

プレゼント
  • 『もう明日が待っている』鈴木おさむ・著

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    応募期間 2024/3/29~2024/4/5
    賞品 『もう明日が待っている』鈴木おさむ・著 5名様

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