- 2022.02.16
- 書評
新型コロナで露わになった人間の非合理性を学問的に証明した二人の天才の物語
文:阿部 重夫 (ストイカ・オンライン編集代表)
『後悔の経済学』(マイケル・ルイス)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
一九八九年以来、時代の最先端を読み解くルポルタージュを世に送り続けるマイケル・ルイスは、さすがに勘が鋭い。前作『フラッシュ・ボーイズ』で株式などの超高速取引(HFT)の“先回りの詐術”を暴いたと思ったら、今度は毒舌家のトランプが米大統領選で逆転勝利した一カ月後の二〇一六年十二月に出版した本作で、Post-Truthの世界に斬りこむという離れ業をやってのけた。
Post-Truthという新語は、実は訳が難しい。「ポスト真実」と直訳してもピンとこないが、英国が国民投票でブレグジット、すなわちEU(欧州連合)離脱を選択してから、ネット空間を無数のデマ、擬似ニュースが乱舞したあげく、誰もが仰天する予想外の結果が飛び出すという異変によっておよそのイメージがつかめる。
難しいのは接頭辞のpostの意味が拡張され、「~の後」だけでなく「パラダイムが変わり従来の意味が損なわれた」というニュアンスを含んでいるからだ。ユビキタス(遍在)化したスマートフォンの液晶画面で虚実の境が失われ、すべてが情報のエントロピーに覆われていく世界では、デモクラシーもこの流砂現象から免れられない。そんな「衆愚」政治のミリュー(環境)を示すのが、Post-Truthという新語なのだ。これによって既存のエスタブリッシュメントが無残に蹴散らかされ、大手メディアや世論調査機関から、政治家、経済人、学問の府まで権威が地に墜ちる「下剋上」が出現した。
なぜなのか。「嘘も百回繰り返せば真実になる」というナチス宣伝相ゲッベルスの口真似に、天を仰いで嘆息するだけなら思考停止にひとしい。「真実を暴けばデマに勝てる」という単純な二分法はもはや通じない。嘘を真実と錯覚させる操作そのもの、「見えざる手」が見えてこない限り、Post-Truthの津波に呑まれるだけなのだ。
ルイスが本作を書いたきっかけは、米大リーグの選手発掘に統計手法を使って貧乏チームを強豪に一変させた奇跡を追う『マネー・ボール』(ブラッド・ピット主演で映画化)の書評で、シカゴ大学の行動経済学者が「野球をよく知るスカウトたちがなぜ見誤るのか、深い理由があるのを著者は知らないのか」と鋭く突いたからだ。
錯覚の科学とも言うべき「認知心理学」のことである。ルイスは知らなかった。その無知を逆手にとって、開祖ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーという二人のイスラエル人の軌跡を追いかけたのには脱帽する。その結果、ゲッベルスの手の内はおろか、現代マーケティング理論や経済学の均衡理論の前提を揺るがす最深部、すなわち行動経済学の誕生前夜まで錘鉛を下ろすことができた。