ステーキ屋「チャコあめみや」には、瀬川六段、三枚堂達也七段、山本博志四段、梶浦宏孝七段、室谷女流三段のみなさんと行きました。
1㎏のかたまり肉のステーキがどーんとテーブルに置かれると、棋士たちはマンモスの生肉を奪い合う原始人のようになるという、まさにその通りの光景が繰り広げられました。その席で、梶浦七段が僕に聞いたんです。最近、ABEMAの将棋中継や連盟のツイッターなどで将棋メシのグルメリポートを頼まれることが増えたが、どんな風に話せばいいのか、と。
僕は、将棋指しなら、肉汁が口に広がるさまを将棋にたとえるべきだ、とアドバイスしました。
それから一年くらい経って、あるタイトル戦の中継を見ていた時のことです。梶浦七段が、おやつに出たケーキを食べてリポートするという企画がありました。すると梶浦七段、「この意外な甘さは、まるで居飛車党の棋士が振り飛車をした時のような驚きです」。すっかりものにしておられました。いやはやお見事です。
「チャコあめみや」での若手棋士の切磋琢磨は、今や肉を争うだけでなく、グルメリポートでも行われていることをここにご報告します。
第五局の焼肉屋さんの話は、心に沁みましたね。天童の人間将棋よりも大きい将棋盤の駒を、イベントに駆り出された三十人の奨励会員が人力で押すという、若手がよくわからない労働をさせられる話です。
これはもう、将棋界すべらない話ですね。
僕も若い頃、所属している吉本興業から電話がかかってきて、千原兄弟のジュニアさんの家の引っ越しを手伝ってくれ、と言われたことがあります。引っ越しの手伝いのために芸人になったわけじゃないし、当時は京都に住んでたのに、何で大阪までいかんならんのや、とブツブツ言いながらも行ったんですよね。
それでマンガの棚を片付けていたら、ジュニアさんに突然、「好きな漫画家を三人言え」と言われた。もしかして試されてる? とすごい考えた末に、「手塚治虫」と答えたら、「アカン、手塚先生は抜きや」。一体何のルールや、と冷や汗かきながら三人答えたら、後でジュニアさんが飯を食べに連れて行ってくれたんです。
だから、ここで奨励会のみなさんが味わった、よくわからない労働の後に先輩に奢ってもらう上カルビとレモンサワーのうまさが、僕にはよくわかります。
逆に、奢ろうと思っていたよりもたくさんの予期せぬ後輩が来てしまった、という経験もあります。が、三十人分の焼肉を二人で割り勘という先崎先生のような事態に陥ったことはさすがに一度もありません。これは想像しただけでも震え上がりますね。
この本を読んで僕が思い出したのは、大阪の「たこしげ」という居酒屋です。芸人が集まる店ですが、僕らも若いころほぼ毎日、ひとしきりお笑いの話をしながら朝まで飲みました。「たこしげ」は、売れる前の若い芸人がどれだけ食べて飲んでも、「お会計して下さい」というと、マスターが「せんえーん」という店なんです。
ある時、ダウンタウンの松本さんがこの店に現れて、「マスター、いつも若手を食わしてくれてありがとう。俺が今まで芸人が世話になった分全部払うから、いくらか言うてくれ」と。ところが、松本さんに話しかけられたマスターは緊張してしまって、「い、い、いちまんえーん」と答えてしまった。芸人が十年間飲んだ総額が一万円は安すぎますよ。
良いことがあればここで祝勝会をしたし、みんなで大暴れして飲んだこともあります。よく店の外に出てプロレスをしてたんですよ。ある時、プロレスを喧嘩と間違われて通報されて警察が来たことがあって、説明して帰ってもらったんですけど、それから数か月後のことです。
テレビをつけたら、警察の密着ドキュメンタリー番組が放送されていて、「大阪のミナミで若者が暴れている」。すると、モザイクのかかった「たこしげ」が映り、ヘンな高い声に変えられた芸人たちが、「僕ら、プロレスしてるだけです、身内なんですよー」。
大阪の若手芸人が初めて全国ネットのゴールデンに登場したのが、この番組だったというエピソードを思い出しました。
こうしてつい、自分のことに引き付けて読んでしまうのは、この本の底に流れる「熱」のせいだと思うんです。
ここに書かれた「現場の将棋メシ」一番の読みどころは、外では決して見せない、棋士たちの勝負に賭ける熱い素顔です。たとえば、三段リーグを勝ち抜いて、ついに棋士になった日の鈴木大介九段が酔いつぶれる場面。鈴木九段が奨励会員だった頃から研究会に呼び続けた先崎先生だからこそ、こんな風に書けるんですよね。
僕は四十代で、五十代以上の先輩方の武勇伝の匂いはわかる世代です。あのコンプラゆるゆるの時代の、ムネアツで貴重な証言の数々を、今後もぜひ書いて頂きたいです。
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