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【対談】國分功一郎×ブレイディみかこ 「〈沈みゆく世界〉から立ち上がる」

【対談】國分功一郎×ブレイディみかこ 「〈沈みゆく世界〉から立ち上がる」

文學界3月号

出典 : #文學界

ぶれいでぃ・みかこ●一九六五年生まれ。ライター、コラムニスト。
2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』がベストセラーに。
『子どもたちの階級闘争』など著書多数。 写真•深野未季

■CMがケン・ローチみたいに

 國分 シリアスな話が続きましたが、ここで少し雰囲気を変えて、いい話があればおうかがいしたいと思うんですがいかがでしょうか。

 ブレイディ いい話とまでは言えるかわからないんですけど、クリスマスの雰囲気がいつもと違うんです。先ほどの物価高とも関係しますが、今年のイギリスでは貧困問題が通奏低音でした。2022年の4月から2024年3月までの税務年度で、絶対的貧困に落ちている人が300万人いるだろうという試算が出ています。相対的貧困じゃなくて絶対的貧困ですよ。衣食住に必要な最低限の収入がない人が300万人も増える。そしてイギリスの世帯の半数が食事の回数を減らしているという調査も報じられました。すさまじい状況なんですよね。
 ここまで来ると、クリスマスの気分にも影響が出るんですよ。國分さんもこちらにいらっしゃったときに感じられたと思いますけど、イギリスのクリスマスって大消費フェスティバルじゃないですか。コマーシャルもキンキンキラキラ流れるし、街の中も「お金を使いましょう」という雰囲気に包まれる。でも、今年はコマーシャルからして違うんですね。
 たとえば、ジョン・ルイスという大きなデパートのチェーンは、毎年かわいらしい子どもや動物を使ったり、特撮をやったりと、引きの強いコマーシャルを流すので、クリスマスの風物詩になっているんです。そこで使われた曲は毎年クリスマスのヒットチャートに入るくらい、みんなジョン・ルイスのコマーシャルを楽しみにしているんですね。ところが今年は、ケン・ローチの映画みたいなコマーシャルなんですよ。

 國分 ケン・ローチみたいなコマーシャルってどういうコマーシャルなんですか?

 ブレイディ 主人公はおじさんなんですね。おじさんが一生懸命スケートボードの練習をするシーンがしばらく続くんです。めちゃめちゃ一生懸命なんですよ。会社ではスケボーの動画を見てるし、若い子たちに混ざってスケートボードパークに行って練習する。でも全然できなくて、転んだりしちゃって。それがちょうどクリスマスの時期なんですね。
 ある日、おじさんと奥さんが家で料理をしていると、玄関のチャイムが鳴る。ドアを開けたら、ソーシャルワーカーが、スケートボードを抱えた一三歳ぐらいの女の子を連れて立っている。その女の子が玄関先に立てかかっているおじさんのスケボーを見て、「あっ」という顔をするんですね。そして「おじさんもちょっと滑るんだよね。お入り」と、その子を迎え入れるところで終わります。
 ここで視聴者は「そうか、このおじさんは里親になろうとしていたんだ。里子がスケートボードをやっているという情報をソーシャルワーカーから聞いて、自分も一緒に遊べるように練習していたんだろうな」と知るわけです。これを見て初めてクリスマスコマーシャルで泣いたという人が周りにけっこういました。
 あるいは、クリスマスプレゼントを買えないお父さんが、ものすごく情けない思いをして、自分はコートを着て暖房を消して寝ている。でも、子どもだけは暖かくさせて寝かせるんですね。それでプレゼントも買ってあげられないから、自分で小さな車を作ってあげるコマーシャルとか。自分で作っちゃったら、まったく消費喚起にならないじゃないですか。

 國分 買わせるコマーシャルじゃないですよね。

 ブレイディ そう。でも今年のクリスマスのコマーシャルは、こういうのが多くて。豪華な七面鳥の食卓なんかを出すと、「今年こういうクリスマスを過ごせる人がどれぐらいいるんだ」ってクレームがつくみたいなんです。だから、「今年のクリスマスのコマーシャルはケン・ローチみたいだね」ってみんな言うんですね。
 そうなると、コマーシャルを見ている人たちも「自分たちも何かしなきゃ」という気持ちになるのか、地べたの人たちの立ち上がりが見えてきて、それに積極的に加わるようになっています。たとえばいま、イギリスの公立学校の五校に一校が校内にフードバンクを作っているという調査結果があります。いかにもフードバンクな設えだとなかなか入りにくいから、パントリー(食品貯蔵室)みたいな感じにして、みんなで食べ物を持ち寄って並べておく。そんなふうにして、送り迎えをするお母さんとかが気軽に持って帰れるようにしているんですね。うちの息子のカレッジでも、九月から始まって、校長先生から保護者に届いた最初のあいさつに「校内にパントリーを作ったから寄付をお願いします」というメッセージが入ってました。
 近所のパブも、クリスマス当日も開けて七面鳥ディナーを激安で提供し、ディナーを作れない人たちが来られるようにすると言ってます。こういう立ち上がりがすごいんですよ。それこそアナキズムの感覚で言う相互扶助が、クリスマスを前に立ち上がっている。もともとイギリスって『クリスマス・キャロル』のような伝統もあるじゃないですか。今年は本当にそういうものを思い出させるクリスマスになってますね。

■アナキズムとスピノザ

 國分 消費を喚起するはずのコマーシャルが、逆に人々を消費から遠ざけ、ものを作る方に向かわせている。「立ち上がる」という今日のテーマがここで活きてきた感じがします。この対談に合わせて、ブレイディさんの本を読み直していたんですけど、今日は『ワイルドサイドをほっつき歩け』を読んでいたんです。

 ブレイディ またワイルドな本を(笑)。

 國分 これはおっさんについての本ですよね。いろんな問題を抱えた中年男性が登場する。このなかで、最近はコミュニティスピリットがよみがえってきていると書いてらっしゃるじゃないですか。あまりにも政治から見放されすぎて、貧乏人たちは自分たちで自治しないと生きていけない状況になってきていると。
 クリスマスの話も、もちろん笑えない状況があって、深刻なことを真剣に考える必要はあるんだけれども、その中で何か感動的なこととかユーモラスなことが起こる。それが立ち上がることに結びついていくんですね。ブレイディさんの本も、社会の中の強烈に苦しい状況を見据えてらっしゃるんですけど、どこかユーモアがある。それが大事だと思うんですよ。

 ブレイディ でも、イギリスってわりとそういうことをしますよね。ケン・ローチみたいなコマーシャルだって、たぶんみんな、本末転倒だよねって笑いながら作ってると思いますよ。日本のいい話はないんですか。

 國分 ブレイディさんの本は日本で大ヒットするじゃないですか。こういう本を読んで共感して、いろんなことを考える人がいるのは、とても心強い状況だと思うんですよね。僕の『スピノザ』も非常に硬い本で、専門的な議論もけっこうしている。「こんな難しい話が何の役に立つんだろう」みたいに思う箇所もたくさんあると思うんですけど、それにもかかわらず大勢の人に読んでいただけているんですね。そう考えると、日本は本をきちんと読むというカルチャーが根づいている国かなという感じがしていて、最近はそこに大きな期待感を持っているんです。

 ブレイディ 國分さんの『スピノザ』は、自分でこんなに楽しむと思わないぐらい面白かったです。たくさん付箋も貼っています(笑)。自分で興味を持って昨日の夜とか調べていたんですけど、スピノザって、結構アナキズムに近いことを言ってるんですよね。

 國分 ああ、そうですね。

 ブレイディ ホッブズを取り上げて、自然権を放棄できるかという問題に触れているじゃないですか。國分さんはスピノザを読み解くことで、ホッブズの言う「放棄」は「自制」と呼ばれるべきなんじゃないかと論じています。そして、この本の中でスピノザの「私は自然権を常にそっくりそのまま保持させています」という言葉を紹介していますよね。あれ、ほんとにアナキストが言いそうなことだなと思って。

 國分 なるほど。たしかにそうかもしれないです。

 ブレイディ アナキストってよく「自主自律」という言葉を使うんですよね。私がインタビューで「ジシュジリツ」というと、原稿では「自主自立」になって返ってくることが多いんですよ。たぶん自分を律するという言葉が、皆さんのアナキストのイメージと合わないからじゃないかと思うんです。でも、自律というのは自治のこと、自分を統治することだから、自分を律するの「自律」なんです。これは『スピノザ』で書かれている「自制」と似通ったものがあるなと思って、いろいろ調べていたら、やっぱりアナキストの中でスピノザに惹かれている人っているみたいで。たとえば、ダニエル・コルソンというアナキズム系の論者がいます。日本でもアナキズム系の雑誌に彼の文章が載っているようですが、この人が「アナキスト・リーディングズ・オブ・スピノザ」という文章を書いているんです。まだちゃんと読めていないのですが、有名なアナキストへのスピノザの影響を論じている文章のようです。
『スピノザ』を読んで、そういう接点を見つけられたのも収穫でした。それからスピノザが、「自然な権利に反することなく社会が作られ」ることを目指したという指摘も我が意を得たりです。2021年に『他者の靴を履く』という本を書いたときに、エマ・ゴールドマンというアメリカのアナキスト女性を紹介しました。彼女は「個人は心臓で社会は肺なんだ」と言っているんです。個人と社会のどちらが大事ということではなくて、個人という心臓を生かすために肺である社会は栄養を送らなきゃいけない。要するに、人間の自然な権利に反することなく社会は存在できるということを、この言葉で言い表しているんですよね。

 國分 ブレイディさんは、自分がもっとも共感できる思想をひとことで言うとアナキズムかもしれないと、ずっとおっしゃっていますよね。アナキズムって何なんですかと言われると説明が難しいところがあります。イメージで語られやすいし、社会のなかでなかなかマジョリティにはならないので、姿がはっきりしないんですよね。
 でも、いま「自律」とおっしゃったように、上からの抑圧をもとに秩序を作っていくんじゃない、ということがアナキズムの基本にあると思うんです。ホッブズだったら、まさしく上から抑えつけて秩序を作る。それに対し、抑圧や禁止に基づくんじゃなくて、人々が協力して生きていくことで社会を作るというのが、アナキズムの発想の根本でしょう。だから抑圧に対する反発心が根幹にある。スピノザにはその点でアナキズムに近いところがあります。抑圧に基づいて秩序を作るという考え方にどうしたら対抗できるかというのはスピノザの問いでもある。
 哲学史を紐解いていくと、上から押し付けて秩序を作っていくという発想のほうがメジャーです。でも全然違うことを考えてきた人たちの流れもポツポツとある。スピノザもこのメジャー路線から外れた側にいる人です。そもそも長い間スピノザは哲学史の裏街道にいた人で、そのことは、社会的な抑圧を前提に秩序を作ることを拒否するアナキズムが常にマイナーな側面を持っていたことに似てますね。
 ブレイディさんが『ワイルドサイドをほっつき歩け』で書かれていたような、政治にあまりにも見放されたから自治が盛んになってきたという状況はまさしくアナキズム的ではないでしょうか。

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