寝起きに1缶、出社前に1缶、ランチ酒、晩酌、そして寝酒も……金原ひとみ『ストロングゼロ』と“お酒のモバイル化”
ジャンル : #随筆・エッセイ
金原ひとみ『ストロングゼロ』では、主人公の生活の中に、たえずお酒が登場する。「ストロング」を会社でも飲み続けるためのライフハック、そして持ち運べるお酒の歴史とは。
『吾輩は猫である』から『しらふで生きる』まで、お酒にまつわる文学作品を紹介するブックエッセイ『BOOKSのんべえ お酒で味わう日本文学32選』から、金原ひとみさん『ストロングゼロ』について書かれた章を、1章まるごと公開します!
真の#ストロングゼロ文学
金原ひとみ『ストロングゼロ』
どんな本でも、ここが肝! と思ったときはページの角を折る。『BOOKSのんべえ』のために読んだ本はみんな、お酒が登場するページの角を折りながらめくってきた。その中でも『ストロングゼロ』ほど角を折った作品はない。主人公は、のべつお酒を飲んでいる。生活の中にお酒が、点ではなく線として存在している。
朝起きてまずストロングを飲み干す。化粧をしながら二本目のストロングを嗜む。
それから出社して、ランチ時あるいはその後に飲む。夕飯時に飲む。帰宅してすぐ飲む。寝る前には焼酎、ワイン、ウイスキーを飲む場合もあると記されているが、それらをどう飲むのか、たとえば焼酎はなにで割るのか、などは割愛されている。
『ストロングゼロ』は、ストロング系の缶酎ハイを飲んで身の回りの困難をやり過ごそう、ゼロにしようともがく女の人の姿がえがかれる短篇小説だ。#ストロングゼロ文学というハッシュタグがSNSで流行したのは2017年頃だけれど、この作品は真の#ストロングゼロ文学である。
サントリーが「ストロングゼロ」を発売したのは2009年で、当初の度数は8%。2014年に、幾種類かの味のうち「ダブルレモン」の度数を9%に引き上げた。
ただ、ストロングゼロの発売以前にもそれと同じくらいの度数の、缶に詰められたしゅわっとしたお酒は存在していた。さかのぼれば、宝酒造「タカラcanチューハイ」も発売当時の度数は今と同じく8%。1984(昭和59)年のことである。
そういう類のお酒は、さきがけとなったタカラcanチューハイからの流れで、缶酎ハイ、と総称されてきたけれど、焼酎が入っているものは少数派となっている。たいていはウォッカだ。その中でもアルコール度数が7〜9%のものが「ストロング系」と呼ばれているのは、ストロングゼロがたいへん売れ、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの棚の大定番となったゆえのこと。
お酒の純アルコール量の計算の仕方は、度数×量×0.8であって、計ってみると、9%のストロングゼロ350㎖に含まれる純アルコール量は25gで、度数15%の日本酒一合は20gなので、たとえロング缶でなくとも、カップ酒一本よりも利いてしまう計算になる。
主人公は、桝本美奈という名の、社食があるくらい規模の大きな出版社で編集者として働く、察するに20代の、面食いを自称する女の人。同棲しているたいそう美形で元バンドマンの彼氏が精神的に追い込まれたままに、ひとりで外出することも、実のある会話も満足にできなくなってしまったことを機に「ストロング」に頼りはじめる。そう、このお話のタイトルは商品名のままなのだけれど、作中では一貫して「ストロング」と表記される。だからサントリーの品ではなくて「系」なのかもしれないという想像の余地がある。とはいえ、「ストロング」の味については一箇所「レモン」と記されるのみで、美奈さんは特段感想を述べはしないゆえ、想像の翼はそれ以上は広げられない。
また、容量は350㎖か500㎖かも明示されない。とはいえ、お話の中程で「ストロング」をプラカップに注いで飲む場面があり、その容量を考えると350㎖ではと推察されたが、移し替えるときに入り切らなかったぶんはその場で飲み干してしまうともあり、そうなると分からない。
もう一本ストロングを飲んでから出社しようとコンビニに寄って気がついた。冷凍コーナーに並ぶアイスコーヒー用の氷入りカップにストロングを入れれば、会社内でも堂々とお酒が飲める。こんな画期的なアイディアを思いつくなんて、私はすごい。
ストローを挿したカップを持ってデスクに戻れば最高の職場が完成する。何飲んでるのと聞かれたらレモネードか炭酸水と言えばいいのだ。
「完全アル中マニュアル」というタイトルの新書を誰かに書いてもらうのはどうだろうと思いついて久しぶりに気持ちが盛り上がる。「アル中力」「アル中が一戸建て買ったってよ」「転生アル中」タイトルを考え、お酒好きな著名人を思い浮かべながら企画書の草案を書いている。
そう、唯一その姿がえがかれる酒器は、氷入りのプラカップ。
社内以外の場面では、同僚とお昼を食べた後に、路地で電柱に寄りかかりながら缶をハンカチで包んで飲むとき、帰宅途中にコンビニで買って飲みながら歩くとき、美奈さんは人目は気にしていない。そういえば、缶を隠すようにして飲み歩いている人を街角などで見かけたおぼえはあっても、ハンカチを覆いに使っているのは見たことはない。以前、電車中で缶に手袋を嵌めている人がいて、なるほど手袋にそういう使いかたがあったとは、と、感じ入ったのはおぼえている。私の見たところ、電車中では缶をなにかで覆っている人はちらほらいるけれど、保温もしくは保冷以外の目的でラベルが見えないようにして飲むものといえば十中八九アルコールのはずなので、無駄な抵抗ではという気もし。対して、ひとりで、歩きながら、あるいはコンビニの前や駐車場の片隅などで缶酎ハイを飲む人で、そういう風に隠す素振りを見せる人はあまりいない。すれ違う、あるいは道ゆく人は他人が何をしているか気にしていないはずだと信じているのか。
缶酎ハイは「場」を必要としないお酒である。自由を内包している。しかし、ひとりで世間から隠れて飲むお酒という色合いも加味されている。
まるで美観地区かのような閑静な住宅街の、曲がり角の植え込みのところに空缶がひとつ、捨ててあるというよりも置かれていたりするのが目にとまると、妙にはっとする。たいていつぶしたりせずにそっと立ててある。この小綺麗に見える家々の中には缶酎ハイを持ち込めない事情があるのだな、などと想像してしまう私。
腰を据えて飲むのではなく、移動しながら酒器要らずで飲めるというお酒のモバイル化を推進したのはやはり、プルトップ式の缶ビールが発売される前年、1964(昭和39)年にデビューした「ワンカップ大関」だろうか。それ以前には、容量は一合ちょっとで、ズボンの後ろポケットにちょうどおさまるようなかたちをした、スキットルという金属製の蒸留酒用携帯酒器が存在してはいたけれど、それはどちらかというと水筒みたいなもので、自身であらかじめ詰めておいて持って出かけないといけない。通りすがりに気が向いたら買えるという、カップ酒や缶ビール、缶酎ハイのまとっている気軽さとは無縁なものだ。
もしや、音楽を持ち運ぶ時代もそのあたりからはじまったのかもと思うも、調べてみたら、ウォークマンの発売は1979(昭和54)年でけっこう後のことだった。
『ストロングゼロ』にはカップ酒は登場しない。カップ酒の流行がかつてあり、それは2005年頃から3、4年のあいだだったのだけれど、『ストロングゼロ』の時代設定は、登場するスマホのアプリや、熟成肉や肉寿司などからして、発表されたのと同じく2019年だろうと思われるので、美奈さんはカップ酒の流行中にそれを口にすることはなかったにちがいない。
「ストロング」以外にもお酒はいろいろ登場する。たとえば銘柄名が明示されるのは、日本酒「庭のうぐいす」、シングルモルト「ボウモア」。前者の飲み口がスムーズであること、後者の産地であるアイラ島の話題に、気を緩めている。酔いよりも、味や背景がクローズアップされるお酒はそれらのみ。また、ポジティブな感情に彩られるお酒は、彼氏が元気だった頃に「たまに奮発して買ったいいワインを飲んだ」との思い出のみ。それも赤か白かとか、産地はどこかなどについては描写されていなかった。