しかし『青春とは、』の虎水高校には緑の山河(そして湖も)がある。男子と女子の性に対する意識のギャップ、誤解と勘違いといった素朴なエピソードも面白いし、明子が画策するミッシェル・ポルナレフのコンサートへの道はもはや大冒険である。なんと物語があふれていることか。むろんそれは小説家、姫野カオルコがつくりあげた世界なのだが、読んでいる間はつゆほども疑わず、本当にあったことのように思って読んでいた。
そして、次第に語り手の乾明子なる人物への興味が湧いてくる。年齢、地域、家族構成など、作者である姫野カオルコと重なる部分が多い。ゆえに、作者の実体験が反映されていると想像できるが(刊行後のインタビューなどで作者本人もそう語っている)、明子はシェアハウスに住むスポーツインストラクターである。その点でははっきりと別人なのだが、高校時代を分析し、「青春とは、」と論じていく思考の流れは、これまでの姫野カオルコ作品と共通するものがある。すると、作者は、もしかしたらあったかもしれない自身の進路のうち、その一つを明子に歩ませ、平行世界に生きるもう一つの存在として明子をつくりだしたのかもしれない。明子という名前なのに「暗子」のほうが合っていると言われる「もう一人の自分」を。
そして過去を「思い出す」のではなく「見る」と表現する明子の記憶との関わり方はいかにも姫野カオルコ的である。幼少期の記憶をテーマにした短編集『ちがうもん』(文春文庫)のあとがきに「私は二、三歳のときに住んでいた家の便所の戸のペンキの色や塗りムラや把手(とつて)のかたちをはっきりとおぼえて」いて、その記憶の明瞭さを「おそろしい」とまで表現している。心に焼き付けられた記憶だと。なるほど『ちがうもん』に収録されている小説は、子供ながらの視野の狭さ、知識の乏しさから来る勘違いも含めて、きわめて鮮明に描かれている。大人から見た子供ではなく、子供から見た大人が「たしかにこうだった」とこちらの記憶まで呼び起こされるほどに。
『青春とは、』は『ちがうもん』よりも主人公の年齢が上がっているため、当時の明子自身も冷静に環境に対応している。しかし、視野が広がっているからこそ、自分がいまいる場所が自分を幸福にしているのかという疑問が生じている。
そこで、この小説のもう一つの重要な場所「家」が浮かび上がる。明子いわく「暗家(クラケ)」。「わが家は厳しくない。たんに暗い」。明子は両親が年がいってから生まれた子供で一人っ子。夫婦仲は悪い。父を頂点とした家のルールが厳然として存在し、「小隊化した空間」がつくられている。それは周囲の同世代の子供が育った、戦後民主主義の「子供に甘い」家庭とは大きく異なっていた。ゆえに彼女にとってほかの家庭、民主主義的家庭で育った同級生とは相当な齟齬がある。明子がこの「家」とは別の場所、呼吸のしやすい場所として虎水高校という場を得られたのは幸福であった。
姫野カオルコは鋭敏な作家である。『青春とは、』の文章のリズムはゆっくりとなめらかで表現はやわらかく、するすると読めるが、その底流にはささいなことをも見逃さない視線がある。恐るべき傑作『彼女は頭が悪いから』でも、淡々とした語り口の中に狙った獲物を逃さないスナイパーのような眼光鋭い観察眼があり、読者の肺腑をえぐった。『青春とは、』は吹き出してしまうようなユーモラスな描写をたびたび交えながら、やはり当時の(そしていまも?)男尊女卑文化に対する異物感を、さりげなく、しかし、青い炎のごとき静かな炎で燃やしている。
『青春とは、』は、私のように青春から遠く離れた人にとって、青春とはなんだったのか、どんな価値観が支配的だったかを考えるきっかけになる。いま青春の渦中にいる人は、自分のことからいったん離れて、親の世代、ひょっとすると祖父母の世代の青春を客観的に見ることで、ほっと息をつけると思う。現実の青春に向き合うのは楽しいことばかりではないから。一九七〇年代にはインターネットもスマホもない。それはもはや、時代小説、もしくはSF小説のような別世界かもしれないが(そんな不便なメタバースがあったら行ってみたい)、意外とやっていること(考えていること)は似ているかもしれない(し、似ていないかもしれない)。
なお、『青春とは、』を読んだ読者は、ぜひ、姫野カオルコの『終業式』も読んでみてほしい。ドストエフスキーの『貧しき人々』、宮本輝の『錦繍』も青ざめる書簡体小説の傑作である。高校時代の女子生徒同士の手紙のやりとりから始まり、彼女たちが中年に至るまでに起こるあれやこれやの出来事を、関係者の手紙だけで描ききっている。高校時代のエピソードには『青春とは、』と通ずるものがあるので読み比べるのも一興だ。また、姫野カオルコの代表作『ツ、イ、ラ、ク』とそのスピンオフとしても読める短編集『桃』も、もしもまだ読んでいなかったら必読。それらはどれも青春というものの無残さ、悲しみとおかしみが背景にある人間喜劇だからだ。
『青春とは、』は、それら姫野カオルコが書いてきた作品のうえに、あらためて青春とは、という問いを立てた、真性の青春小説なのである。
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