- 2023.05.16
- 文春オンライン
【草彅剛主演『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』】コーダが語る“葛藤”「両親の耳が聴こえないと誰にも知られてはいけない」と…
五十嵐 大
出典 : #文春オンライン
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
聞こえない親を持つ聞こえる子ども、コーダ(Children Of Deaf Adults)を主人公にした小説『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(文春文庫)が、草彅剛さん主演で、2023年冬にNHKで総合・BS4Kドラマ化されることが決まりました。著者の丸山正樹さんは「『ろう者役はろう者俳優で』という当事者たちの長年の夢を実現できたこと、関係者の皆さんに心より感謝いたします」とコメントを寄せています。
ドラマ化を記念して、コーダであるライターの五十嵐大さんが、『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』について寄せたコラムを再公開します。(初出:2020/06/25)
◆◆◆
コーダ(CODA)という言葉を知っているだろうか? おそらく、本稿を読んでいる人のほとんどが知らないのではないかと思う。なにせ、当事者であるぼく自身も、この言葉に出合ったのは大人になってからだった。
日本では知られていない「コーダ」とは
コーダとはChildren of Deaf Adultsの頭文字をとった言葉だ。その意味は「両親のひとり以上が聴覚障害を持つ、聴こえる人」。つまり、ろう者のもとで育った聴こえる子どもたちのことだ。
コーダという言葉が誕生したのは、1983年のアメリカでのこと。以降、アメリカではコーダの研究がさかんに行われ、貧困にもなりがちなコーダを支援するための基金も立ち上げられた。
ぼくもそんなコーダのひとりである。ぼくの母は生まれつき耳が聴こえず、父は幼少期に音を失った。そんなふたりのもとで、コーダとして育ったのだ。
コーダには特有の生きづらさがある。
たとえば、自身の置かれた環境が“ふつう”ではない、という想いによる葛藤だ。幼い頃、ぼくは“手話”を言語として用い、両親とコミュニケーションを図っていた。けれど、小学校にあがる頃になり、それが“ふつう”ではないことを知った。手を動かし、表情をくるくる変えて“話す”様子を、「おかしい」「珍しい」と揶揄され、なにより手話が世間に通じないことに衝撃を受けたのだ。
聴こえない両親に対する差別もあった。いまでも忘れられないのは、自宅に遊びに来たクラスメイトから言われたひとことだ。
「お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」
生まれつき音を知らない母が発する言葉は非常に不明瞭で、聴者からすればなかば滑稽にも響く。それを指摘されたとき、恥ずかしさとともに「両親の耳が聴こえないことを、誰にも知られてはいけない」とさえ思った。耳が聴こえないことは“ふつう”ではない。それを知られたら、馬鹿にされるのだ。そうやってぼくは、大好きだったはずの両親のことをひた隠しにするようになり、次第に彼らを疎ましく思うようになっていった。
どうして障害者の家に生まれてこなきゃいけなかったんだよ――。
思春期の頃、こんな言葉を何度も両親にぶつけた。彼らが悪いわけではない。そんなことはわかりきっていた。それでもやり場のない怒りを持て余し、傷つけることを知っていながらも、彼らを責めたのだ。その都度、母は「ごめんね」と力なく謝るのだ。
母の「ごめんね」にはどんな想いが込められていたのだろう。当時のことを思い返すと、いまでも後悔の念で一杯になる。
ろう者でも聴者でもない、コーダ特有の生きづらさ
大人になってからも、コーダとして生まれてきたことで感じる生きづらさは消えなかった。しかし、それを他者に理解してもらうのは難しい。
聴者からすれば、耳の聴こえるぼくもただの聴者である。けれど、そうではない。ぼくはろう者でもなく、聴者でもない。聴こえない世界と聴こえる世界を行き来しているのに、そのどちらにも居場所がない感覚にずっと苛まれ続けてきた。
そんな寄る辺なさと決着をつけられたのは、コーダという言葉に出合ったことがきっかけだった。
ぼくはろう者でもなく聴者でもなく、コーダなんだ。自分自身が安心して腰を下ろせる場所が見つかり、しかもそこには同じような仲間が大勢いる。その事実はこれ以上ないくらいの“救い”になったのだ。
しかしながら、やはり第三者にコーダについて説明するのは骨が折れる。
「聴こえない親に育てられたとはいえ、あなたは聴こえるんだから問題ないんでしょ?」。そのようなことを何度も訊かれた。そのたびに上述した感覚について共有しようとするのだが、なかなか理解されない。
そんななかで出合ったのが一冊の小説、丸山正樹さんのデビュー作『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』だった。
コーダを描いた小説『デフ・ヴォイス』を読んで
元警察事務職員の荒井尚人を主人公に据えた本作は、過去と現在、ふたつの殺人事件がリンクしていくミステリー小説だ。
荒井はコーダとして生まれた。聴こえない両親や兄と異なり、家族のなかで聴こえるのは自分だけ。家族なのに、わかり合えない。そんな孤独感と常に隣り合わせだった。
故に、荒井はろう文化と距離を置いてきた。しかし、仕事に失敗したことを機に、唯一の技能でもある“手話”を活かし、手話通訳士として働くことになる。その矢先、荒井はひとりのろう者の法廷通訳を担当することになり、不可解な事件に巻き込まれていくことになる。
事件の真相が明らかになっていく流れは圧巻のひとこと。けれど、なによりも素晴らしいのは、ろう者やコーダ、手話の在り方、独特のろう文化などについて丁寧に描かれているところにある。
荒井の職業である手話通訳士。ろう者にとって彼のような存在がどれほど大切なものか、聴者はうまく想像することができないだろう。新型コロナウイルスの会見映像でも、会場にいたはずの手話通訳士の姿が映し出されていないことが大きな話題となった。手話通訳がなければ、ろう者に正しい情報が届かない。それなのに手話通訳士が軽んじられている。その原因は、聴者のろう文化に関する認識不足に他ならない。
ろう者にとっての手話はどういったものなのか、そして彼らはいかに聴者の世界で虐げられてきたのか。本作を読めば、その一端に触れることができる。ときに痛みを伴うほど切実な筆致に、涙する場面もあるくらいだ。
「おじさんは、私たちの味方? それとも敵?」
そして、コーダである荒井自身の葛藤についても深堀りされている。
ある人物が、荒井に問いかける。
“おじさんは、私たちの味方? それとも敵?”
この問いは「あなたはろう者? それとも(ろう者を理解できない)聴者?」と置き換えられる。けれど、荒井はうまく答えることができない。自分はろう者なのか、聴者なのか。何度も自問を繰り返してきたが、答えなど見つけられなかったのだ。
この荒井の葛藤は、まさにぼく自身が感じてきたことだった。
ところが荒井は、事件の真相へと近づくなかで、自分自身の生い立ちとも決着をつけることになる。ろう者への差別や偏見によって起きてしまった哀しい事件が解決へと向かうなか、荒井もひとつの答えを見出す。
“荒井は、ずっと考えていた。自分は、どちら側の人間なのか、と。”
荒井が辿り着いた答えは、まさに現実を生きるコーダが手にするそれとイコールだろう。複雑でややこしくて、なかなか理解されない。本作のラストでは、そんなコーダの胸の内が荒井によって代弁される。そのラストシーンを読んだとき、荒井はぼく自身なのだと感じた。
手話通訳士としてろう者たちと関わり続ける荒井。ぼくはひとりのコーダとして、これからも彼の生き様を追いかけていきたい。
●筆者プロフィール
五十嵐 大/いがらしだい フリーランスのライター・編集者。両親がろう者である、CODA(Children of Deaf Adults)として生まれた。現在、2冊の著書を執筆中。
https://twitter.com/daigarashi
●『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』
生活のため手話通訳士となった荒井尚人。ある時、彼の法廷通訳ぶりを目にした福祉団体の女性が接近してくる――。知られざるろう者の世界を描く感動の社会派ミステリ。書評サイト「読者メーター」で話題となり、シリーズ第二弾『龍の耳を君に』(創元推理文庫)、第三弾『慟哭は聴こえない』(東京創元社)も好評を博している。また、同作は韓国での映画化も決定した。
デフ・ヴォイス
発売日:2015年09月18日
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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