「ハンチバック」で鮮烈なデビューを飾った市川氏と、同氏が執筆にあたり大きな影響を受けたと語る『凜として灯る』の著者・荒井氏による、社会の「健常者優位主義」をめぐる対話。
◆プロフィール
荒井裕樹
あらい・ゆうき●1980年生まれ。二松学舎大学文学部准教授。専門は障害者文化論、日本近現代文学。著書に『差別されてる自覚はあるか――横田弘と青い芝の会「行動綱領」』『障害者差別を問いなおす』『まとまらない言葉を生きる』『凜として灯る』等。
市川沙央
いちかわ・さおう●1979年生まれ。早稲田大学人間科学部eスクール人間環境科学科卒業。筋疾患先天性ミオパチーによる症候性側彎症および人工呼吸器使用・電動車椅子当事者。今年、「ハンチバック」で文學界新人賞受賞。
市川沙央→荒井裕樹
荒井裕樹さま
この度は、往復書簡の申し込みにお応えくださったこと、心から感謝いたします。市川沙央と申します。『ハンチバック』という小説で、作家になりました。ほんの半年前までは、名もない医療的ケア者でした。――医療的ケア児・者という言葉は、2021年に「医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律」が成立したこともあり、活字文化的には近年かなり一般化した言葉であると言ってよいかと思いますが、私がこの言葉で自分の身体の状態を定義するようになったのも、メディア上で見聞きするようになってからのことです。医療機器を用いた在宅療養の世界には物心ついたときから自他を含めて深い縁を持っているのですけれども、その昔を思えば隔世の感があります。
まずは、私が荒井さんと対話させていただきたいと希望しました理由から、お話ししたいと思います。昨年まで私は通信制の大学生でしたので、身体障害者表象をテーマに論文を書いていました。しかしご存知のように、障害者が描くこと、障害者を描くこと、あらゆる表象文化の内の〈障害〉を読み解く試み、ということの少なさと併せて先行研究じたいが稀、という現実がありました。それでも文献を掻き集めた中にいくつか有用な論考があり、のちのち書き上げた論文草稿の引用文献リストを見返しているとき、恥ずかしながらそのとき初めて、それらが同じ一人の荒井裕樹さんという方が書かれたものだと気付いたのでした。また私は若いころ、哲学者の池田晶子さんに傾倒した時期があって、その名を冠した「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」2022年受賞者であった荒井さんに、俄然ますます興味を持ち、ご著作の『凜として灯る』を手に取りました。そう、これが米津知子さん、そして「『モナ・リザ』スプレー事件」との出会いです。
これまで〝反体制〟には全くぜんぜん惹かれたことのなかった私なのですけれど、あの「モナ・リザ」にスプレーを噴射する米津、科料3000円をすべて1円玉で払う米津を、とてもかっこいい、と思ったのです。私などが言うまでもないことですが、「『モナ・リザ』スプレー事件」に至る米津知子の半生を、主観でも客観でもない、熱すぎる赤でも冷たすぎる青でもない、まさにこの美しい装幀が表象するような紫色の言葉で描ききった『凜として灯る』は、本当に素晴らしい一冊です。かの「事件」に対して、体制的な規範意識によってよく訓練された昨今の大衆が小市民のお作法通りの炎上や冷笑を向けてくるなら、この本を私は彼人らの前に差し出したい。
米津知子と並んで、荒井さんのお仕事のおかげで私の中に新たな像が結ばれようとしているのが「青い芝の会」です。「青い芝の会」については長らく、川崎バス闘争や健全者手足論などの過激な運動と主張で賛否両論ある運動体だったという認識でおりましたが、今さら私の胸に、荒井さんのお仕事を介して、彼らの思想と言葉が必然的なものとして響くようになったことに自分でも驚いています。それはおそらく私の中の当事者意識の芽生えと関係があるのでしょう。
『ハンチバック』は、私の当事者意識、そこから発せられる自己表象の欲求に駆られて構想した小説です。
では、私の当事者意識の起点はどこにあったかと言えば、それは3・11の東日本大震災および原発災害――その影響下の計画(輪番)停電でした。
医療機器という命綱が使えなくなるかもしれない停電の不安はいつも、私にとって原体験の一つと言える記憶を呼び起こします。玄関先に置かれた発電機と、そこに漂う腐ったガソリンの刺激臭。それは私がまだ医療的ケアの当事者ではなくきょうだい児であった幼い頃に嗅いだ匂いなのでしたが、先天性ミオパチーという難病が、そういう子どもを持った私の両親に、これでもか、とかけてきた精神的負荷を象徴する匂いであるように思います。発電機を使う機会はないほうがいいけれど、使わないでいるとすぐ発電機ごとダメになるから、何度も買い替えなければならなかった。電気を失わないための努力は他にも、自動車のバッテリーの延長コードや、カセットボンベ式の発電機や、「いざというときは交代で夜通しアンビューバッグを押すからな」……。2011年3月の計画停電の頃、ニュースでも人工呼吸器患者の問題は取り上げられていましたが、眠っているように見える人々ばかりで、私のような者の姿は映っていなかった。終末期患者なら社会の緊急事態に命をあきらめざるをえないのも仕方ないと思っていいとか、共感しなくていいということでは絶対にないのだけれども、世間というものはどうせ自分たちに近しくて理解できるものにしか共感しないのだろうと私は思いました。だから2011年以降、私はTwitterでもブログでもどこでも、自分が背骨の曲がった重度障害者であること、人工呼吸器を使っている医療的ケア者であることを、映画やアニメの感想や、自作のキラキラしたライトノベルのPRや、どんどんプロデビューしていく創作仲間への「おめでとう!」の合間に混ぜて、シームレスに発信するようになったんです。それまでのフォロワーはぎょっとしたかもしれないけれど。
電気がなければ生きられない人間は、あなたと同じありふれた人間だと示したかったからです。
私だって「たかが電気」が言葉のあやであることはわかっているのです。でも、だけど「たかが電気」と言われてしまうと、両親の半生の心労は何だったんだろうと思ってしまう。たとえ言葉のあやであっても「たかが電気」などと言わせないために、私は自己表象を手段とし、多くの人の目に触れる場所に立たなければならないと思った。彼人らも私も、批判するべきは原発事故への危機感が足らず安定した電力供給を維持できなかった政府であるはずだし、私のような人間が視界に入っていれば彼はもっと正しい言い方ができたはずだし、今も続く不毛な揚げ足取りのループを避けられたはずだと。
ところで、健常者優位主義のルビは本来ならエイブリズムとするべきところを、わざとマチズモとした私の底意は想定以上の効果を発揮しながら読者の皆様に刺さりにいっているみたいで、実のところ私は今うろたえています。(「言葉が強い」とのご感想に触れるたび、そこまで刺すつもりはなかった、良心ある人々の心を脅かすつもりはなかったと、ひたすら申し訳ない気持ちになっています。)うろたえつつも、至らぬばかりの拙作において唯一会心の出来と言える箇所はやはりそこなのだろうと思います。
エイブリズムではなくマチズモというルビを振った時点で、私は小説家になったのかもしれません。と言いますのも、小説家になれないならば、健常者優位主義にエイブリズムとルビを振るような、つまり学術・批評的な文章で世に出ていくというのはどうだろう、何かそういう道はないものかな、と昨年の私はどこか異様な強迫観念に追いつめられながら考えていたからです。ここからは荒井さんにも面白がっていただきたいのですが、学業が2023年の1月で終わって、もし文學界新人賞の選考に残ったという連絡が来なかったらば(常識的に考えればその確率のほうが高いはずでした)、私は『凜として灯る』を出されている現代書館の向山さんに、どうにかしてコンタクトを取るつもりでいたのでした。『季刊福祉労働』に、障害当事者として何か書かせてもらえないだろうかって……。
そこまで私を思いつめさせている/いたものって何なのでしょう。電子書籍のない紙の本? 出生前診断の拡大? 少子高齢化を背景とする安楽死言説? 生産性があるとかないとか? 障害者施設で大量殺人犯のやったことは許されないが、しかし……のしかしって何、とか?
個々のトピックへの意見はともかくとして、何か今の時代の雰囲気が、割とずっと〝体制派〟を自認してきた私をして米津知子や横田弘に強烈な憧れと尊敬を抱かせるのは確かなのです。
昨年からずっと、彼女や彼の精神と行動と言論の、私なりの継承の仕方を考えている気がします。
だからおそらく、『ハンチバック』は私なりの、「モナ・リザ」にスプレーをかける試みだった、という読み方もできると思います。
『ハンチバック』を読んで、作者が障害者だから表立って言いにくいんだけど果たしてこれが小説だろうかね、という気持ちを湧かせるひとも、私に見えないところでは沢山いらっしゃるのではないかと思っています。そのように小説、文学というものの背骨を変形させたことに一抹の罪悪感を私自身、持っているので。
とはいえプロテストソングがあるならプロテストノベルがあってもいいのだろうし、警察のお世話になるほどの事を起こすよりもよほど穏当ではあるし、2022年に起きていた戦争や暗殺のことを思えば、ペンの力が暴力よりも強く、ペンの紡ぐ言葉の力をもって通じよ、と願えば通じるのだと信じられる社会のほうが絶対に絶対によいはずだと、開きなおる気持ちもまた持っているのです。
市川 拝
(五月十二日)
荒井裕樹→市川沙央
市川沙央さま
はじめまして。荒井裕樹と申します。この度は「第一二八回文學界新人賞」の受賞、おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。また、大学での論文も書き上げられたとのこと。きっとお疲れになったことでしょう。これまで私がほそぼそと(本当にほそぼそと)書き継いできたものが少しでもお役に立てたのなら幸いです。
今回、こうして往復書簡の相手にご指名いただき、とても嬉しく存じております。拙著『凜として灯る』にも過分なお言葉をいただいてしまいました。まずはこの点、お礼を申し上げます。市川さんがこの本を〈紫色の言葉〉と表現されたことに不思議なご縁を感じます。ご存じの通り、本書は米津知子さんという女性運動家の評伝ですが、ご本人は、女性であり障害者でもあるご自身のことを赤紫に喩えられていました。赤紫は青地に置くと赤味が目立ち、赤地に置くと青味が目立つ。女性運動の場では障害者としての自分を意識させられ、障害者運動の場では女性としての自分を意識せざるを得ない。そうした居たたまれない感覚を表現された言葉でした。市川さんが褒めてくださった本書の装幀も、そうした米津さんの傷と情念を表わしたもので、著者・編集者・装幀家・原画作家、全員の思いが一致した(私にとっては奇跡のような)一枚です。ここまで深く汲み取っていただけて、まさに感無量です。
以下に綴るお手紙は、半分は小説家・市川沙央さんに、もう半分は『ハンチバック』の主人公・井沢釈華さんに、お二人に宛てるつもりでしたためます。どうか、こうした変な手紙をお許しください。
『ハンチバック』拝読しました。初読の際は釈華の鬱屈したルサンチマンの印象が強く、どのように受け止めればよいのか正直戸惑いました。が、再読、再々読する内に、本作が実は驚くべき画素数で描かれていることに気がつきました。
きょうだい児であったご幼少の頃から人工呼吸器や吸引器といった医療機器が暮らしの一部にあった市川さんに、こんなことを書くのはまさに「釈迦に説法」なのですが、少しだけ書かせてください。
医療機器を必要とする釈華のような重度障害者が、病院や施設ではなく自宅や地域で生活できている背景には、当事者たちが繰り広げてきた命がけの運動の歴史があります。他にも、グループホームのような生活形態の構築(釈華が暮らすホームは〈イングルサイド〉でしたね)、重度訪問介護のような介助者派遣制度(〈イングルサイド〉にこの制度の利用者がいるかどうかわかりませんが)、特に入浴・排泄時の同性介助の原則(釈華は自らそれを辞退するのですが)など、障害者の生命と暮らしを支える制度の一つ一つが過去の運動によって積み上げられてきたものです。
まだまだ改善すべき点は多々ありつつも、それでも障害者たちが街中で暮らすことができる環境が整ってきたのは事実です。が、また一方で、私の友人・知人たちからは時折、何か大事なものが損なわれているような危機感が吐露されることもあります。「生きる」ための福祉制度が整えられる反面、「生きる」という営みが「福祉」という枠の中に、小さく、狭く、閉じ込められているのではないか。「生きる」ために「福祉サービス」を獲得したはずなのに、いつの間にか「生きる」ことが「福祉サービス化」してしまったのではないか。もしかしたら釈華も、そうした悩みを抱えている一人なのではないか、と感じました。
カニューレでも吸い取りきれない痰のように、釈華の喉に貼り付いて彼女を息苦しくさせるルサンチマンのようなもの。それを吐き出したくて、そうしたものの吐き出し方を知りたくて、ウーマン・リブの米津知子や青い芝の会といった運動の起点を追い求めていく釈華の言葉と、私へのお手紙に〈当事者意識の起点〉を詳細に記してくださった市川沙央さんとが、どうしても重なって見えてきます。
釈華という人物は、おそらく、介助者からするとお付き合いしやすい障害者なのだろうと思います。余裕のない介助体制を気遣い、介助者にも配慮し、グループホーム開設者の娘としての責任感も持っています。〈山下マネージャ〉(福祉現場に時々いらっしゃる資格複数持ちの支援の達人のような人物と読みました)も、釈華に対して、介助サービスの一利用者として以上の信頼感をもって接しているように読めました。
しかしながら、釈華は、どこかで摩擦を求めているのではないかと思いました。裕福な両親からの庇護もあって、社会や世間との摩擦を経験せずに生きてきたことに違和感を抱えているのではないか。実は彼女の胸の奥では、世界にとっての異物になってやりたいといった情念が静かに燻っているのではないでしょうか。
釈華が抱く中絶への願望をどう解釈すればよいのか戸惑いましたが、これは彼女なりの加害や摩擦への憧れなのかもしれません。重度障害者は自ら暴力をふるうことはできませんし、しゃべれない人は暴言さえ吐けません。にもかかわらず、生存自体が社会資源を浪費する加害的存在としてバッシングされる。もしかしたら、重度障害者は生きていること自体が「反体制」なのではないか。だったら、何が何でも生き抜いて社会自体を問いなおしてやろう。不自由な身体で世の中と摩擦を起こし、障害者が生きていることを知らしめる。自分はここに生きているのだと、周囲に見せつけ、自分自身に言い聞かせる――というのが青い芝の会のメンタリズムだったように思います。
小説の後半、釈華は隣人に憧れのような感情を抱きますね。寝たきりの隣人女性は差し込み便器で排泄を済ませると、手を叩いてヘルパーを呼び、後始末をしてもらう。世間の人は〈私なら耐えられない。私なら死を選ぶ〉と顔を背けるような行為ですが、釈華は〈間違っている〉と断言します。
〈隣人の彼女のように生きること。私はそこにこそ人間の尊厳があると思う。本当の涅槃がそこにある。私はまだそこまで辿り着けない。〉
青い芝の会の横田弘さんは執着という言葉を大事にしていました。生きることへの執着です。それが全ての起点なのだ、と。この一節に、私は釈華という人物の生への執着を垣間見たような気がします。
それにしても、〈健常者優位主義〉に〈マチズモ〉とルビを振られたのには驚きました。紙の本に慣れ親しんでいること。紙の本に愛着があること。そんな素朴な感覚にこの言葉を投げつけられ、私自身胸がしくしくと痛みました。自分は誰のことも傷つけていない。問題なくスマートに振る舞えている。そう信じて疑っていない感覚を鋭く刺されたような思いです。〈エイブリズム〉より〈マチズモ〉の方がダメージが大きいのは、「良心的市民」を装う私を含めた少なくない人が、普段この言葉で他人のことを責めることには慣れていても(この言葉で誰かを責めることで「良心的市民である自分」を演じることには慣れていても)、自分自身が責められるなど夢にも思ってないからでしょう。妊娠した人に伝える「元気な赤ちゃんを産んでね」という祝福の裏に、「元気でない赤ちゃん」を排除する優生思想がうごめいていると指摘したのは青い芝の会でしたが、なんだか、これに近い疼きを覚えました。(念のため弁解させていただくと、『凜として灯る』の発行元・現代書館では、ずっと以前からすべての発行物で「活字で利用できない方」へのテキストデータの提供を行っています。)
市川さんは、ご自身の想定を超える〈マチズモ〉の威力に、〈良心ある人々の心を脅かすつもりはなかったと、ひたすら申し訳ない気持ち〉であると綴っていらっしゃいます。が、また一方で〈拙作において唯一会心の出来と言える箇所はやはりそこなのだろう〉ともおっしゃっています。礼儀正しく思慮深い言葉の底に、自身の尊厳を守るための反抗心を忍ばせつつ、同時に反抗そのものを楽しむような悪戯心も見え隠れする――こうした言葉の持ち主に私はどこかで出会った気がすると思い、一晩考えて思い当たりました。米津知子さんが、まさにこうしたお言葉を発する方なのです。
市川さんは〈プロテストノベルがあってもいいのだろう〉とおっしゃっていますが、〈プロテスト〉とは必ずしも崇高な理念だけでなされるものでもないのではないか。どこか〈プロテスト〉そのものを楽しんでやろうという気持ちも必要なのではないでしょうか。ウーマン・リブに集った女性たちも、青い芝の会に魅せられた重度障害者たちも、やはり、どこかで運動そのものを楽しむ気持ちを持っていたのです。
〈プロテストノベル〉。読み返すたびに素敵な言葉だと感じ入ります。あの忌まわしい相模原障害者施設殺傷事件があった後も、なぜか波風さえ立たなかった文芸界に向けたスプレー噴射として『ハンチバック』を受け止めました。どうか「小説」という概念ごと文芸界の背骨を歪ませてやってください。
荒井 拝
(五月十六日)
※〈 〉は、小説『ハンチバック』および市川沙央さんの手紙からの引用を意味します。「 」は荒井による語句・文言の強調を意味します。
市川沙央→荒井裕樹
荒井裕樹さま
心強いお言葉をいただき、勇気づけられました。どうもありがとうございます。あまりこういうことを言うのは気恥ずかしいですけれども、お手紙の言葉は釈華にも確かに届いていると思います。
「いつの間にか「生きる」ことが「福祉サービス化」してしまったのではないか。」
お話を聞いて思い出しましたが、『ハンチバック』内でも言及した図書館の視覚障害者向けサービスへのクレームがあった1970年代から、2000年代初頭の電子書籍黎明期~現代まで一貫して著作権者や出版界の側には、障害者対応は福祉施策を充実させるべきであるとか、「そっち方面」(当事者・支援者・政治家など専門家を指す)から働きかけてほしいといった、障害者の読書権の問題をあくまでも福祉領域のものごととして捉え、押しやろうとする考え方があったとされています。ここに私が感じる違和感はまさしく「「生きる」ことが「福祉サービス化」してしまった」ことへの違和感、危機感と同じものでしょう。本を読むという普遍的な行為すら、努力して「獲得」しなければならないこと。何気ない日常のしぐさであるべき営みが、「障害等級」や「算定単位数」や「加算」という用語と時間の制約に括られ、福祉サービスとして評価されることで、失われていく何か。
「The power of the Web is in its universality. Access by everyone regardless of disability is an essential aspect.」これはWWWの開発者ティム・バーナーズ=リーの言葉ですけれど、やはり発展して栄える文化というのはこういう言葉が周縁ではなく最前線から自然に出てくる文化なのじゃないかと、私などは思います。
障害者の問題は福祉方面で――こうした分離意識は今でもあらゆるところに根を張っていると感じます。「バリアフリートイレ」が普及しはじめたころ、私は素直にその個室内の行き届いた設備に感心していたものです。しかし、男女別トイレ+バリアフリートイレという配置構造は、まさしく障害者の分離・排除と無性化を示すものと今はわかります。障害者には性別がない、なくてよい、ないほうがよいと思われている。障害者は無性化されている。障害者は無性化されてきた――。という分析と訴えを論文にも書きましたが、「障害者は無性化された存在である」とキーボードを打つと、一瞬、とても気持ちがいい。こういう言葉を使うと頭が良くなったような気がする。その万能感に呑みこまれていくとしたら、自分は人文学の研究者には向いていないだろう、とも思いました。だからもっと複雑なことを複雑なまま伝えられる小説という表現手段が、私には合っているのかもしれません。
複雑なことを複雑なまま直球で心に届ける表現手段という意味で、『まとまらない言葉を生きる』(柏書房刊)に取り上げられた言葉たち、そしてその言葉たちの真髄を伝えるため荒井さんが取られたアプローチもまた、この時代の文学であると感じていました。根気強く大きなエネルギー消費を要する「継承」のかたちだと。
「〈妊娠と中絶がしてみたい〉」
複雑なことと言えばこれほど複雑な言葉もないだろう、この一文について、少しお話ししてみたいと思います。『ハンチバック』を解題するつもりはありません。『ハンチバック』の外で進行していた市川沙央の物語として、一つの打ち明け話をさせてください。
当然のことながら妊娠中絶は非常にセンシティブなテーマです。だから早めに世間様へ言い訳をしておきたい、というわけではないのですが――いや、やはりその気持ちがぜんぜんないとも言いきれません――私という人間は、とても素朴な倫理観を持って生きている者なのです。根本にあるのは、生まれたからには人は生きなければならないという明朗な価値観です。現代社会ではこの一線すらが反出生主義や安楽死主義――特攻隊や武士道じゃあるまいし〝尊厳ある死〟などない、と思いますので、私は「尊厳死」という政治的に作られた言葉を使いません――によって揺らいでいる気配もありますが、生命讃歌を心地よく聴く者はまだ一応の多数派ではあるでしょう。問題はその前段階、狭義の優生学や、生命倫理学がテーマとしてきた、生まれる前の命について。
誰が取り組んでも正解のない、この問題について、ちょうど去年のいまごろ私は自分の中にある傾向を認めました。つまり、プロ・チョイスかプロ・ライフか、と問われたならば、私はどちらかといえばプロ・ライフにシンパシーを抱く人間であるということです。それこそ「青い芝の会」の切実な思想によって積み上げられたコンテクストを共有しているのでなければ危険な誤解を招きかねない告白であると重々承知の上で、このことを記します。去年のいまごろアメリカでは「ロー対ウェイド判決」が覆され、女性の健康と自由と尊厳を脅かす社会の到来が予感されていました。それでも、なお。
さすがに自分でも愕然とし、暗黒面に堕ちてしまった、という言い方で自嘲もしました。二次元カルチャーで言うところの「闇堕ち」です。体制派の傾向はあるものの自由主義を信奉する近代的市民の一人であると自認していた私が、いつの間にアメリカ的宗教右派にかぶれる羽目となってしまったのでしょう。闇堕ちまでの道に立てられていたいくつかのフラグを挙げていく必要がありますね。
例えば私は、出生前診断の進歩と拡大を伝える新聞記事やWEBニュースの見出し、記事中に、特定の疾患名を入れることはやめるべきだと思っています。現在の技術では出生前診断において発見できる疾患はごく僅かで、それ故いつもそこに同じ疾患名が代表して書かれている。いったい、〝社会からの殺意〟を日常的に目にする当事者の気持ちを誰も考えないのでしょうか。将来もしそこに「先天性ミオパチー」と書かれる日がくれば私は心を病まずにいられる自信がありません。また例えば私は、ドナルド・トランプによって合衆国最高裁判事に指名されたエイミー・コニー・バレットが実践している博愛主義的な家族構成が、この日本において保守だろうとリベラルだろうと何処にどれほどあるだろうかと首を傾げてしまう。ナチス政権下のドイツで障害者虐殺政策が進行していたとき、非難の声を上げたのはカトリック教会だけでした。病気の子どものいる家庭は宗教勧誘を受けやすく、昨今顕在化しているカルト献金問題は一歩間違えば他人事ではなかったから、宗教の負の側面を軽んじるのではけしてありません。しかし、近代社会が自己決定権の印籠の元に、明晰な自己意志を持つ標準的な身体のみを社会に揃えることを目指しつづけ、不良品の排除を進めるというのならば、宗教や素朴な道徳の他に何をブレーキとして頼んだらいいのだろう。欧州の安楽死制度先進国ではすでに、神経筋疾患を含む重篤な難病患者の身体は、状態のよい臓器のドナープールとして移植医から認識されているらしい現代において。
私の持った暗黒面に、新たな方向から光が当てられることとなったのは、飯野由里子さんがインターセクショナリティについて説明している記事を読んだときです。引用します。「フェミニストにとって「結婚しない」という選択は社会のジェンダー規範に対抗する抵抗的なあり方だと理解されている向きもあると思います。/しかし、社会に結婚することを期待されていないどころか、「結婚してはいけない」という禁止を強く受けてきた障害女性にとっては、結婚するということが抵抗として捉えられてきた側面があります。1」
そう……まさに荒井さんが例えてくださったように、「障害者は生きていること自体が「反体制」」と見做されるゆえの抵抗の転倒。ここに辿り着いてやっと、遡れば10代から私が体制的人間に傾いてきたことの機序が解き明かされたわけです……Eureka! 全く以ってすっきりしました。そしてこれがインターセクショナリティという概念に目を向けるきっかけでした。インターセクショナリティの理解は、暗黒面に堕ちた心のコンフリクトの解毒に役立つと私は直感しました。
そこからインターセクショナリティの物語を生きてきた大先輩である米津知子との邂逅は前回のお手紙のとおりです。
インターセクショナリティを知ることは、現代社会で進む「分断」の中和にも有効だと、狭間に置かれた米津さんの苦悩と奮闘から学びました。
さて、「バリアフリートイレ」が象徴するように、日本社会において障害者は今でも「そっち方面」(マジョリティの目に触れにくいどこか)に分離された暮らしを生きていると言えます。国連から分離教育の中止要請が来てしまったほどですね。この分離状態に、昨今ではさらに別のレイヤーの分断が重なって濃くなりつつあるように思うのです。それは、党派性の対立です。SNSで障害当事者の言動が非難を受けて炎上するとき、とみにその傾向を感じます。「障害者」だから叩くというよりは、「ポリコレ」で「反体制・左派」で「反安倍」だから叩くというような行動様式が出来上がっている。逆もまた然りです。しかし一当事者としては、本来「障害」はあっち側でもこっち側でもなく、数の少ないマイノリティだからこそ、「障害」という属性が党派性に括られることは危険だと考えています。党派性の二項対立に巻きこまれているかぎり、障害者は分離された状態から脱することができないのではないか。
だから……「どこかで摩擦を求めている」「世界にとっての異物になってやりたい」釈華を描いたこの私もまた、異物的な属性に光を当てるインターセクショナリティという概念を使って社会を撹乱し、攪拌し、二項対立をぐちゃぐちゃにしてやろうと試みた/試みているのかもしれません。
最後にちょっと気の抜けたことを申してしまいますが、元来ポジティブな人間観を持つ私は、何しろ体制派でもあるので、この日本社会が昔よりも障害者にとってマイナスな社会になったとは思わないのです。こういう私は荒井さんから見ればあまりにも迎合的で危うく思えるだろうことも承知の上で。コロナ禍が始まったとき、NHKの特別番組では一定の時間を割いて医療的ケア児の家庭の困難が取り上げられ、私の元にも自治体から消毒綿が届きました。社会は良くなっていく部分と悪くなっていく部分で五分五分くらい。感動する部分には感動し、良い部分は良い部分として高らかに数え上げていきたい。『文學界』に私のような者と荒井さんの往復書簡が載るなんて、ものすごく良い部分です。(笑)
2023年にもなってトントンではだいぶ情けないとも思いますし、先が読めない没落国家ではありますけれど、医療的ケア児・者がこれほどの数で存在しているのは日本の死生観と制度の中だけであることも客観的事実でしょう。私はある意味でとても日本らしい存在として、日本文学に一人の医療的ケア者の足跡を刻めれば本望です。曲がった身体と同様に覚束ない私の作家としての足取りを、荒井さんの確かなまなざしで見守っていただけたらこれほど嬉しいことはありません。
市川 拝
(五月二十四日)
1 NOISIE「フェミニズムで必須の概念「インターセクショナリティ」、なぜ日本で知られていないのか」(https://noisie.jp/works/1105/)
荒井裕樹→市川沙央
市川沙央さま
お手紙ありがとうございました。こちらこそ、市川さんのお言葉に勇気づけられています。
複雑なことを複雑なままに描くこと。今この社会に必要なのは、そうした「言葉の在り方」ではないでしょうか。世界はとてもややこしく出来ていて、そんな厄介な世界で生きる私たち一人一人も、自分でも自分を「分かり切る」ことがないまま、ともかく今日という日を生きているのでしょう。
私たちは今、世界や自分がはらんでいる複雑さやわかりにくさに耐えられなくなってきているのではないか。さまざまなメディアで物事を単純化する言葉――どんなに浅薄で胡乱なものであっても⁉――がもてはやされている様子を見ると、こうした危惧を抱かずにいられません(市川さんのおっしゃるSNSでの〈党派性〉も、こうした単純化信仰の一側面かもしれませんね)。
振り返り見れば、障害者はずっとややこしい存在とされてきました。歩けない人、聞えない人、見えない人、難しいことを考えにくい人……〈健常者優位主義〉の社会では、みんな厄介な存在です(紙の本を読めない人も出版事業者からしたらややこしいでしょう)。まともに付き合うと厄介だから「可哀想な人枠」に押し込めておいて、波風立たない程度に住み分けておこう――と考える人も多いはずです。
本来なら、障害者をややこしい存在にしてきた〈マチズモ〉が問われねばならず、その中をサバイバルする一人一人の障害者が抱えた「ややこしい生き方」をこそ丁寧に言葉で描き出す必要があるはずです。そう、『ハンチバック』は、まさにそんな一編ですね。
高度な医療機器がなければ生きられない釈華も、周囲から「厄介な人扱い」をされてきたのかもしれません。両親が彼女に与えた庇護の厚さを考えても、世間の波風から我が子を守ってやりたいという並々ならぬ意志が感じられますし、釈華が介助者(特に〈山下マネージャ〉)とコミュニケートする様子を見ても、また、炎上しそうなツイートは冷却期間を置いて判断しているところを見ても、「ややこしい人扱いされ続けた人物が身につけた処世術」を感じます。
ただ、保護と隔離は紙一重なのでしょう。時々釈華の心に響く母の声も、この両面を含んでいるように読めました。男(〈田中さん〉)の精子を買うために親の遺産を使うという行動の奥底にも、隔離をぶちこわしたいという秘められた願望があるのでは……とも思いました。世間から守られると同時に遠ざけられてきた釈華の中で、〈妊娠と中絶がしてみたい〉という慾望が醸成されていく様子を緻密に描いた『ハンチバック』は、なんと、なんと、ややこしい小説なのでしょう(賞賛の言葉です、念のため:笑)。
作中、釈華は〈普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です〉とツイートをするのですが、これは「世間知らずの釈華が、世の中の女性はみな妊娠・中絶を経験していると誤解している」というわけではないのではないか。彼女はあくまで〈普通の人間の女〉と書いています。釈華の言葉の背後には、一方には「生殖経験をした女性だけが人間扱いされる(人並みに扱われる)社会風潮」があり、もう一方には「障害者は生殖とは無縁の存在である(べき)という先入観」があり、そうした風潮と先入観が、保護と隔離の内側で咀嚼されるうちに転倒した表現へと行き着いたのではないか。「障害女性である釈華が〈普通の人間の女〉に近づくためには、最も禁じられ遠ざけられてきた生殖経験を手に入れるしかない」といった具合に、です。
女性差別と障害者差別。二つの差別が交わる世界を生きる釈華は、自身の「こじらせ」を曲がった背骨に重ねて〈せむしの怪物〉と自嘲しています。ただでさえややこしい差別は、複数が交差すると更にこじれて、厄介になって、見えにくくなる。そうして見えにくくなった差別を可視化するための分析ツールがインターセクショナリティ(交差性)という概念なのだとしたら、この作品は、まさにインターセクショナリティをど真ん中に置いた小説でしょう。
市川さんはこの概念を得て、ご自身の〈抵抗の転倒〉〈体制的人間に傾いてきたことの機序〉を解き明かしたと書かれています。一方の釈華は、こうした〈転倒〉の〈機序〉も見えないまま、何とか自分を変えようとして、男の精子を一億五五〇〇万円で買い、オーラル・セックスを行うという突飛な行動に打って出ます。結果、誤嚥性肺炎で大変な目に遭い、当の〈田中さん〉からも〈死にかけてまでやることかよ〉と吐き捨てられるのですが、釈華からしてみれば、自分にまとわりついた厄介な絡み目を断ち切るには、命をかける必要があったのでしょう。その飛躍ぶりに初読時は正直おどろきましたが、再読、再々読を重ねるに従い、彼女の生きようとする意志が愛おしく感じられてきました。
思えば、青い芝の会の運動家の中にも、ウーマン・リブの女性たちの中にも、衝動的で自己破壊的な跳躍に挑む人がいました。余りにも複雑に絡まり合った差別の中で窒息の限界まで追い込まれた人は、時に世界を殴りつけて空気孔をあけようとする。「『モナ・リザ』スプレー事件」も、きっとそうした一面を含んでいたはずです。だとしたら、釈華がこの事件に惹かれた理由もわかる気がします。
それにしても、こんなややこしい小説を書き上げられた市川さんが、実はプロ・ライフ寄りの〈とても素朴な倫理感〉をお持ちだと自認されているところが面白い。ただ、意外に思われるかもしれませんが、〈素朴〉な市川さんが青い芝の会やウーマン・リブにリスペクトを抱いたというところに、私は妙に納得しました。
青い芝の会は中絶反対派でプロ・ライフ。ウーマン・リブは中絶肯定派でプロ・チョイス。しばしばこうした図式で捉えられるのですが、両者のことをそれなりに調べ、運動の渦中にいた人物(横田弘1と米津知子)の評伝も書いた私からすると、この図式はしっくりとこない。少なくとも、一九七〇年代に両者がぶつかりあい、互いの主張を交し合っていた頃の議論は、こうした図式にはどうにもおさまりきらないのです。
青い芝の運動家にも、経済的理由から中絶を選択した人がいますし、リブの運動家たちは「中絶の権利」という言い方に違和感を抱えていました(もちろん、青い芝もリブも個々の運動家たちの個性が強く、皆それぞれの主義主張を持っていたので、一口に「青い芝」「リブ」とは括れないのですが……)。青い芝の横田弘さんは障害児の中絶に反対してきたことは事実ですが、その主張を丁寧に読むと、彼が真の敵としているのは「障害児は生まれても可哀想だ(だから中絶されても仕方がない……)」という言い訳に寄ってしまう一人一人の心の在り方だったように思います。また、リブの女性たちも単純に「中絶させろ」と主張したわけではありません。むしろ日本のリブは子どもを産み育てることを肯定的に捉えようとしています。
青い芝やリブの運動の底にあったのは、「いのちの問題を自分の手に取り戻したい」という主張だったと思います。自分はどう生きるのか? 自分は誰のために、何のために、子どもを産んだり産まなかったりするのか? どうしたら自分の人生を生き切ったことになるのか? 障害者や女性は、生命や人生にかかわることさえ誰かから決められてきたのではないか。だったらそれを私に返してほしい――そう、彼らや彼女らの主張は、緻密に調べれば調べるほど「生命を肯定したい」という素朴で単純なところに行き着くのです。
青い芝とリブの議論から半世紀が経ち、生殖技術はテクノロジーの面でもアクセスの面でも劇的にステージが変わりました(これを「発展」というか「進歩」というか。どんな言葉で表現するかに私たち一人一人の立場性が問われるのですが、ここでは措きましょう)。釈華は作中〈生殖技術の進展とコモディティ化によって障害者殺しは結局、多くのカップルにとってカジュアルなものとなった。そのうちプチプラ化するだろう〉と述べ、市川さんはお手紙で〈近代社会が自己決定権の印籠の元に、明晰な自己意志を持つ標準的な身体のみを社会に揃えることを目指しつづけ、不良品の排除を進めるというのならば……〉と書かれています。そして、猛烈な勢いで突き進む「命の選別」に対し、何が〈ブレーキ〉になり得るのかを悩まれています。
私も、微力というよりむしろ非力ながら、ほとんど同じ悩みを抱えてきました。そうした〈ブレーキ〉のようなものが、半世紀前の青い芝やリブの運動家一人一人が抱えた迷いや悩みや葛藤の中にあるのではないかと考え、横田弘さんや米津知子さんのもとを訪ねたのでした。そんな私の本を読んで下さった市川さんが『ハンチバック』を書かれ、その『ハンチバック』を読んだ私との往復書簡が伝統ある文芸誌『文學界』に掲載されていることを思うと、なんだか感慨深いものがあります。
私は、たぶん、市川さんよりももう少し悲観的な人間で、社会はじりじりと悪い方へと押し込められていて、「いやいや、五分五分はないんじゃないですか……」とも感じています。でも、絶望するにはまだまだ早いし、望みを棄てるには素晴らしい人が多すぎる。「粘れるだけ粘ってやるさ」という気分でしょうか。こうした心意気は、施設を飛び出して自立生活へと挑んだ重度障害者や医療的ケア児・者から学ばせてもらいました。
私のような冴えない物書きが見守っても見守らなくても、市川さんはこれからきっと、ますますご活躍されるはずです(もちろん、心の底から応援しています、念のため:笑)。むしろ、私は見張ってやろうと思っています。
人と人が、同じ人間同士、互いの存在感をかけて向き合い、受け止め合うことを、ウーマン・リブの女性たちはしばしば「真向う」と表現しました。似たようなことを、水俣病の運動家の中には「相対する」という言葉で表現した人たちもいました。〈マチズモ〉に満ちたこの国は、社会は、文学業界は、市川沙央という作家と、どのように真向かい、相対するのか――全身全霊で見張ってやろうと思います。
荒井 拝
(五月三十日)
1 『差別されてる自覚はあるか――横田弘と青い芝の会「行動綱領」』現代書館、二〇一七年
(初出「文學界」2023年8月号)
「文學界」2023年8月号 目次
【創作】高瀬隼子「明日、ここは静か」
芥川賞を受賞し、多忙の日々を送る早見有日。取材のたびに思ってもいない言葉が口をついて出て――
石原燃「いくつかの輪郭とその断片」216枚
私は一緒に母を看取った歳上の友人・香川さんと二人で暮らし始めた。小説デビュー作「赤い砂を蹴る」を超える傑作
岸川真「崩御」
小林エリカ「風船爆弾フォリーズ」(短期集中連載 第二回)
【鼎談】円城塔×千葉雅也×山本貴光「GPTと人間の欲望の形」
生成AIはわれわれの思考をどのように変えうるか。記号接地問題から精神分析、文学までを縦横に語る
【往復書簡】市川沙央 ⇄ 荒井裕樹「世界にとっての異物になってやりたい」
デビュー作「ハンチバック」が衝撃を与えた市川氏と、氏がその著作に強い影響を受けたという荒井氏が、障害と表現をめぐって言葉を交わす
【新連載】江﨑文武「音のとびらを開けて」
WONK、millennium paradeのメンバー、ピアニストとして活躍する著者が自身の音楽的ルーツを辿る
【対談】江﨑文武×荒井良二「一人のための音楽と百年後の絵本」
【批評】長谷部浩「野田秀樹、妄想の闇」
安藤礼二「哲学の始源――ジル・ドゥルーズ論(中編)」
【リレーエッセイ 私の身体を生きる】鳥飼茜「ゲームプレーヤー、かく語りき」
【巻頭表現】竹中優子「水」
【エセー】板坂留五「私の建築のつくりかた」
【コラム Author’s Eyes】池松舞「本当に欲しいものは」/鳥山まこと「記憶倉庫の①番棚」
【強力連載陣】松浦寿輝/円城塔/砂川文次/金原ひとみ/綿矢りさ/宮本輝/西村紗知/王谷晶/辻田真佐憲/藤原麻里菜/成田悠輔/平民金子/松浦寿輝/犬山紙子/柴田聡子/住本麻子/渡邊英理
【文學界図書室】島田雅彦『時々、慈父になる』(山﨑修平)/多和田葉子『白鶴亮翅 』(倉本さおり)/吉田修一『永遠と横道世之介』(宮崎智之)/千葉雅也『エレクトリック』(鴻池留衣)/山下澄人『おれに聞くの? 異端文学者による人生相談』(青柳菜摘)
表紙画=柳智之「ウラジーミル・ナボコフ」
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