アジアの発酵食の源流をたどって、チベット~雲南の「茶馬古道」からインド最果ての地まで挑んだ、発酵デザイナー・小倉ヒラクさんの新著『アジア発酵紀行』。「発酵界のインディ・ジョーンズを見ているようだ!」と本書を激賞する、『イラク水滸伝』が話題のノンフィクション作家・高野秀行さんと、ディープなアジア発酵食の魅力を語り合った。
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高野 対談にあたって『アジア発酵紀行』を改めて読んだのですが、すごく面白かったです。もうそこらじゅうに付箋を立てて感想メモをつけてきたので、今日は話したいことが沢山あります。
小倉 ありがとうございます。僕にとって2023年で一番面白かった本は『イラク水滸伝』で、謎の巨大湿地帯に挑んだ冒険譚があまりにも凄すぎて、読み終わったら3日間ほど“高野ロス”になってしまったほど(笑)。
高野 嬉しい感想ですが、今日はせっかくだしアジアの話をしましょう。本書で小倉さんが旅しているネパール~雲南省や、ミャンマーやタイとの国境は、僕がとても馴染みのある場所です。以前『謎のアジア納豆』という本を書いていて、あのあたりの少数民族が食べている納豆についてかなり調べたんですけど、この本を読んでると、懐かしの納豆民族が次々と登場してくるんですね。
僕は、納豆や少数民族や反政府ゲリラにフォーカスしましたが、小倉さんは発酵全般に通じているから、食だけでなく藍染めなども含めてアジアの発酵文化を掘り下げられるのが強みだと思いました。
小倉 今回の旅をしながら、まさに高野さんワールドの気配を各地で感じました。雲南省の「茶馬古道」の標準ルートはミャンマー国境の雲南省の一番南、シーサンパンナのあたりからチベット世界へ行く「北ルート」ですが、もう一つは高野さんも行かれた、途中で分岐してミャンマーを超えてインドまでいく「西ルート」がある。どちらも非常に不思議な食文化の宝庫で面白かったですね。
僕の専門は麹ですが、古来日本の麹は米を使って作ることが多く、確証はないものの米麹の起源はどうやら雲南省にあると示唆する論文がいくつかあって、長年現地をめぐって確かめたいと思っていたんですね。そこで米麹のルーツを探しにいったら、どの街も発酵ワンダーランド! なんせ中国56民族のうち25の民族が雲南省に集まっていますから、主流の漢民族ではない独自の食文化が色濃く根づいている。
僕が今回行って一番好きになった街は、西南シルクロードと茶馬古道が交わるダーリー(大理)でした。
高野 ダーリーは昔『西南シルクロードは密林に消える』の旅の時に通りました。ちょっと観光化されてるけど、ペー族の人々の生活が根付いたまま綺麗になった街で、すごくよいところ。建物や城壁や石畳が美しく、水路では地元の女性が野菜を洗っていたりしてました。
小倉 富山の高岡に近い印象もあるダーリーは、中国にありがちな金と赤がほぼなくて、ブルーグレーと白の色調がとても美しい。街でみかける文字のタイポグラフィとかも、デザインセンスが突出してるんですね。そこでふと思ったのが、ペー族のように平野を押さえている民族は「名門」だということ。
高野 どういうこと?
小倉 雲南省はもともと平野が少ないですが、最大の平野であるクンミン(昆明)という州都は漢民族の街で、その次に大きいのがダーリーです。ペー族は漢民族が入ってくる以前に雲南で初めて統一王国を作った貴族の末裔で、漢民族が入ってきた後も、高い文化力とコミュ力で広く平野部を押さえてきました。
高野 歴史的に平野を押さえられたから、強く大きくなったとも言えるけど、あのあたりは山岳地帯なので、確かに盆地を支配するのが強い民族ですよね。ミャンマーでシャンと呼ばれるタイ族も山岳民族の中では盆地にしか住まない有力な名門と言えますね、シーサンパンナを牛耳っていますし。
小倉 あと人数は少ないですが、リージャンを押さえているナシ族もそう。名門は平野にいるのに対して、そこから押し出された人々が山の中にいるという構造がありますが、やっぱり納豆カルチャーは主に山のほうでしたか?
高野 完全に山ですよね(笑)。チベット族のように乳が採れて大豆をあまり栽培しないところ以外は、山岳地帯では本当に納豆ばっかり食べていますよね。納豆は保存がきいて栄養価が高いですから。
今回の旅は、発酵茶も大きなテーマの一つだったんでしょう?
小倉 はい、発酵茶の世界はすごく面白くて、雲南省の南部の経済は文字通りプーアル茶で回っていました。プーアル茶を作っている二大勢力はタイ族とハニ族で、僕が今回の旅でお世話になったのは後者でしたが、お茶の栽培の仕方は二つあります。
一つは日本と一緒で、低く刈り込んで、斜面とかに綺麗な茶畑を作っていく茶畑で、タイ族の一般的な茶園の作り方です。一方、ハニ族はジャングルなんですね。「茶園見せてあげるよ」と言われて行ったら、森のように鬱蒼とした茶園で、先祖代々数百年間受け継いでいる茶樹は幹が太すぎて刈り込めないから、もうジャングルのようになっている。だからお茶を摘む時も、ハニ族の人たちは木にハシゴかけて、リスのように木登りして、背中の籠にお茶を摘んでいく。
お茶の作り方も二つあって、一つは茶に熱を入れて固めた後に、コンポストみたいなことするんですよ。茶葉を摘んで、熱を入れて、酵素の働きを止めて、カビがいっぱい付いている布団をかける。するとカビが茶葉について、お茶の麹みたいになるんです。それを圧縮して固めて出すのがスタンダードな作り方で、「熟茶」と呼ばれるタイ族のやり方です。
ハニ族のほうは「生茶」といって、カビ付けをしないで、そのまま圧縮してお餅の形にして、3年~5年、勝手に菌が生えてくるのを待って熟成させていくスタイルです。
高野 へー、どこか倉庫とかに置いておくの?
小倉 そうなんです、時間をかけて置いておく。現地で聞いてすごく面白かったのが、娘が生まれたら、出来立ての生茶を2~3セット買い、娘が20年後とかに嫁に行くときになったら嫁入りの資金にするんだとか。20年以上熟成させたお茶は何十万円にもなるそうです。
高野 実は僕、30年ほど前に、茶樹王を探しに行ったことがあるんです。当時大学を卒業してライターとしての仕事もないし、ただ中国語が少しできたから、雲南省をウロウロして、「なんか、面白いものないか」って探したら「茶樹王」というのがあると地元の人に訊いて(笑)。
そこでバイクタクシーを雇って、2日がかりで僻地をさまよった挙げ句、巨木の前に連れていかれて、「これだ!」と。知識がないから、見かけは単なる巨大な木で全然お茶に見えないし、途方に暮れた思い出があります。
小倉 あれは予想を超えた大木で、突然見てもわからないですよね(笑)。今回の旅でプーアル茶を通して、僕は中国の大地の思想を実感しました。日本のお茶は「かぶせ茶」といって高級茶になればなるほど覆いをして光合成しないようにする。すると茶葉が蓄えているうま味成分がポリフェノールに変わらないので、うま味のまま保存されるんですね。土には大量の肥料を入れて、うまみと甘みを出すというアプローチです。
一方、茶樹王は光合成できるように葉が一杯茂ってるし、追肥を全くしない。「肥料はどうしてるの?」と聞いたら、ハニ族のお兄ちゃんが「良い茶の木は大地の力をそのまま飲むものだからいじらない」という。これをそのまま緑茶にすると、めちゃくちゃ渋い味なのですが、発酵させてプーアル茶にするとポリフェノール分が微生物で分解されて、味がまろやかになるんですね。
日本茶とは発想が真逆ですが、プーアル茶は他の中国茶の中でも他にない文化で、シーサンパンナだけが異次元の世界です。
高野 僕が今まで深くコミットしてきたのはミャンマーのシャン族(中国のタイ族)ですが、彼らの故郷はシーサンパンナ。2000年以上前にシャン族の王国があって、そこから広がっていったと彼らは信じています。ミャンマーの山奥からインドのナガランドにも行きましたが、カチン族やナガ族などの村ではどこもみなプーアル茶を飲んでいるんですよね。
当時はそうと気づかなかったんですが、ミャンマー旅行に行った友達が、プーアル茶を竹のカップと一緒にお土産にくれて、はっと気づいたんですね。あっ、カチン族の村で飲んでいたのはこれだったのか、と。
小倉 まさにそのナガランドのすぐ隣り、マニプル州に米麹の源流をたどっていったのが今回の旅のクライマックスでした。そこにはメイテイ族が住んでいて、ナリという謎の“なれずし風”発酵調味料を使っているし、アジア最古の米麹の製法が温存されていたんです。詳しくは本書に譲りますが、本当はナガランドにも行ってみたかったんですよね。やっぱりあのエリアはナガ族が一番多いんですか?
高野 ナガ族なんですが、ナガは20以上ある小さい民族の総称をそう呼んでいるだけで、誰がナガなのか実は意見が分かれます。僕が聞いた限り、共通していることは二つだけで、一つは昔みんな首狩りをやっていたこと、もう一つは、みなめちゃくちゃ納豆を食べるということ。
小倉 首狩りと納豆!
高野 他はまったく共通点ないんですよ。社会構成も、畑の作り方も着ているものも違いますが、熟成納豆の作り方に長けていて、みな通年で納豆を食べている。ナガでは納豆をつつむ葉っぱを取り替えながら囲炉裏の上で1ヶ月以上かけて長期熟成させます。これを出汁にして作る芋とか野菜の煮込みがめちゃくちゃ美味いんです。
小倉 納豆出汁!?
高野 そう、でも納豆の味じゃない。上質な昆布出汁みたいな感じで納豆臭もない。塩が簡単に手に入らず味噌をつくるのも難しい地域でもタンパク源を得るための、すごい知恵ですよね。麹と納豆はとても似ていると思いました。
小倉 主流でない民族の“サバイバル食”としての知恵ですよね。麹と納豆、そこに発酵茶も加えたいのですが、この三つの発酵食が同じエリアに集まっているのは、文化人類学的にすごく意味があることのように思います。
お茶といえばウーロン茶か緑茶という中華圏から外れた辺境で発酵茶は作られているし、麹といえば麦麹の世界の外側で、米麹は作られている。山岳地帯に追いやられたマイノリティが納豆も作っている。そんなアジア辺境の発酵食文化は日本に引き継がれ、形を変えて、息づいているのもすごく面白い。
高野 結局、発酵食文化はマジョリティでもなく名門でもない人たちのところに色濃く残っているんですよね。
小倉 思えば『イラク水滸伝』に、くさやのような発酵させた魚を使った強烈な煮込み料理が出てきますよね? あれも、湿地帯に追われたマイノリティによる、食材が限られた地でのユニークなサバイバル食だと思いました。
高野 マスムータね。発酵させた魚を炙って、タマネギや燻製ライムと煮込んだ湿地帯の名物料理です。くささがたまらない絶品です(笑)。湿地帯は歴史的に、迫害されたマイノリティの宗徒や、権力にあらがうアナーキーな人々が集まっていた。そんな追いやられた辺境地で生きる人々のソウルフードが発酵食なんですよね。
「発酵はアナーキーだ」って小倉さんは本書に書いてたけど、まさに微生物の働きは予想もつかないし、人間が作った国境とか民族の垣根に関係なく自由に動いている感じがします。
小倉 発酵はどこまでもアナーキーだし、アナーキーに生きる人々のアイデンティティと深く結びついてきた。これからもその面白さを探求し続けたいですね。今日は興味深いお話をありがとうございました。
高野 こちらこそありがとうございました。
(ジュンク堂書店池袋本店にて)
小倉ヒラク(おぐら・ひらく)
1983 年、東京都生まれ。発酵デザイナー。早稲田大学第一文学部で文化人類学を学び、在学中にフランスへ留学。東京農業大学で研究生として発酵学を学んだ後、山梨県甲州市に発酵ラボをつくる。「見えない発酵菌の働きを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、全国の醸造家や研究者たちと発酵・微生物をテーマにしたプロジェクトを展開。絵本&アニメ『てまえみそのうた』でグッドデザイン賞2014受賞。2020 年、発酵食品の専門店「発酵デパートメント」を東京・下北沢にオープン。著書に『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』『オッス!食国 美味しいにっぽん』『アジア発酵紀行』など。
高野秀行(たかの・ひでゆき)
1966年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。ポリシーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で酒飲み書店員大賞、『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)で講談社ノンフィクション賞等を受賞。他の著書に『辺境メシ』(文春文庫)、『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮社)、『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル)などがある。最新刊は『イラク水滸伝』(文藝春秋)。
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