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あごが欠け、局部がえぐられた死体……その道30年のベテラン監察医が見つけ出した「意外な犯人」

あごが欠け、局部がえぐられた死体……その道30年のベテラン監察医が見つけ出した「意外な犯人」

上野 正彦

出典 : #文春オンライン

「化け物が寝ている」近所を騒然とさせた、廃品回収業の男性の“不可解すぎる死体”〉から続く

 偽装殺人、他殺を装った自殺……。どんなに誤魔化そうとしても、もの言わぬ死体は、背後に潜む人間の憎しみや苦悩を雄弁に語りだす。

 変死体を扱って約30年の元監察医・上野正彦氏が綴る大ベストセラー『死体は語る』(文春文庫)を一部抜粋して紹介する。廃品回収業の中年男性・池さんが自宅で亡くなっているのが発見されたが、その死体には「謎」が多かった。顔の下半分の骨が露出し、さらに局部がえぐり取られたようになくなっていたのだ。検死の中で、上野氏が発見したものとは――。(全2回の2回目/最初から読む)

◆◆◆

検死の結果、「のど」から見つかったものは

 監察医の出番である。

 いくら慣れているとはいえ、このような現場は苦手である。臭くて、汚くて、たまったものではない。それにウジ虫の集団がうごめく様を見ていると、からだ中がザワつくような異常感が走って、薄気味悪くなる。しかし、職務上手を抜くわけにもいかない。ゴム手袋をした刑事が、着衣をぬがせ全裸にする。大変な作業である。

 検死が始まる。頭部に外傷はない。首を締められたような痕跡も見当たらない。ただ右の耳たぶがギザギザに切り取られたように半分なくなっているが、周囲に出血がないので、死後の損傷と思われた。

 陰部も耳と同じように、えぐられ、その周辺に出血はなく、現場にも血液の流出や血痕などは見当たらない。また池さんが犯人と格闘したような乱れや抵抗の様子もなく、防御創などもない。

 やはり、死後何者かに切り取られたのであろう。その他、下腹部に線状の擦過傷が十数本縦に横に不揃いに散在している。しかし、外観から死因になるような所見は見当たらなかった。

©AFLO

 聞き込みその他捜査状況からも、疑わしい点はなく、殺しの線も出てこない。とりあえず、死因究明のため監察医務院で行政解剖をすることになった。解剖室のライトに照らし出された死体には、監察医をはじめ立ち会いの警察官など十人近い人の眼が集中していた。

 胸から腹へとメスが走る。

 各臓器はかなり腐敗が加わっているものの、これという病変は見当たらない。ただ肝臓は肝硬変があって、アルコール中毒を思わせた。頭蓋も開けられた。しかし、外傷や脳出血などもなかった。

 無言のうちに解剖は進んでいく。

「これだ」

 という監察医の声に、一同の眼はその方向に向けられた。喉頭部の気管の入り口に、クルミ大の食物塊が詰まっている。カメラのフラッシュがたかれた。

 団子のように丸まった食物塊をピンセットでほぐしながら観察する。マグロのブツギリのようであった。これがのどに詰まって窒息したのだ。

 陰部、顔面、右耳の損傷および下腹部の線状擦過傷には、すべて生活反応がなく、死後の損傷であることがはっきりした。 

浮かび上がった意外な犯人と、なくなった局部の行方

 胃内容、血液、尿などの化学検査の結果を待たなくては結論は出せないが、解剖終了の時点では、酒好きの池さんが、マグロの刺し身をおかずに焼酎を飲んでいるうちに、誤ってのどにひっかけ、窒息死したものと推定された。

 主の急死によって、数匹の猫たちは餌に窮した。小屋の中の食べ物が全部食べ尽くされると、あとは池さんののどに詰まっている魚だけである。猫がその魚を食べようと必死になり、口の周りを食べていく。しかし、のどの魚までは届かない。

 顔がやや右下向きになっていたので、池さんのよだれが頬を伝わり右耳に達していたのだろう。空腹の猫は右頬から右耳たぶまでかじった。

 そこまでの推理は簡単であった。耳たぶのギザギザの咬創は、それを裏付けている。ネズミや犬の咬創とは、歯型が違う。

©AFLO

 それでは、陰部はどうしたものか。えぐり取られたようになっているが、出血などの生活反応はなく、黄色い皮下脂肪が露出し、死後の損傷であることは明白である。まさかこの汚い小屋に女性が訪れてくるとは考えにくい。

「やはり猫の仕業か?」

 解剖に立ち会っていた検視官は、そうつぶやいた。

 とすれば、池さんは死亡前に下半身だけ裸になっていたことになる。暑い季節ではない。むしろ肌寒いのである。そう考えるならば陰部にも魚の臭いがついていた方が都合がよい。

 独り暮らしの池さんが、ズボンをぬぎ、下半身を裸にして、そこに魚の汁などをつけて猫になめさせ快感にひたっていたとは、考えすぎであろうか。

 下腹部の線状擦過傷は猫の爪痕のようなのである。食べにくい股間の場所がらを思うと爪痕ができておかしくない。

 うがった考えだが、推定の範囲を出ない。現場には数匹いた猫が、一匹しか残っていなかった。食べ物がなくなったので、あとの猫は居所を移したのだろう。

 数日後、化学検査の結果がわかった。血液、尿中から多量のアルコールが検出された。胃内容から毒物は検出されなかった。池さんは予想した通り、泥酔状態で魚を誤嚥し窒息死したのである。

 陰茎から睾丸まで根こそぎもぎとった猟奇事件も、結局犯人は猫のタマであったということで落着した。追いつめられたとき、人間はどうするのか、考えさせられる事件であった。

文春文庫
死体は語る
上野正彦

定価:726円(税込)発売日:2001年10月10日

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