- 2024.03.25
- 文春オンライン
「麻婆豆腐が中国や日本、米国で味が違うのと同じ」謝罪会見でトヨタ社長が中国の人々の心をつかんだ“うまい表現”
峯村 健司
峯村健司が『トヨタ 中国の怪物 豊田章男を社長にした男』(児玉博 著)を読む
2010年3月1日、朝日新聞北京特派員だった私は北京市内のホテルの一室にいた。トヨタ自動車の大規模リコール問題を受けた豊田章男社長(当時)の会見を待っていた。会場に集まった数百人の中国人記者らの前で、豊田氏は深々と頭を下げた。
「中国の皆様にご心配と大変なご迷惑をおかけしていることに対し、心からおわびします」
豊田氏は米下院公聴会でリコール問題について証言した直後、訪中した。中国内でトヨタ車に対する不信感が高まったことを受け、トップ自らが釈明する必要に迫られていたからだ。
中国人記者からはトヨタの品質管理への厳しい質問が相次いだ。「海外で生産する製品は日本国内で生産された製品より品質が劣っているのでは」と問われると、豊田氏はこう切り返した。
「使う環境を考慮して多少味付けは変えている。麻婆豆腐が中国や日本、米国で少し味が違うのと同じように」
緊迫していた会場の雰囲気は少し和らいだ。中国の人々の心をつかむうまい表現だと私は感心したのを覚えている。中国メディアによる「トヨタ叩き」は収束し、販売台数も前年比で増やすことができた。
こうしたトヨタの巧みな対中戦略の裏に服部悦雄氏の存在があったことを本書で知った。服部氏は1943年、満州で生まれた。戦後も中国に残り、飢餓で7000万人余りが犠牲となった「大躍進運動」や、文化大革命を生き抜いた。日に日に薄くなる粥をすすり、友人の父親の公開処刑を目の当たりにした。
27歳で帰国した後、トヨタ自動車販売に入社した。当時、トヨタは中国への進出に出遅れ、ライバル社に後れを取っていた。提携先の天津汽車は巨額の赤字を抱えており、中国事業の足を引っ張っていた。
2001年に服部氏は中国事務所総代表となり、アジア本部長となった豊田章男氏と共に、中国事業の立て直しを図った。服部氏の中国語力と独自の中国政界の人脈を駆使し、事業を軌道に乗せることができた。この実績が評価され、章男氏は09年に社長となった。
「中国は本当に、服部さんなくして成功はありませんでした」
18年に服部氏が退任する際、章男氏はこう謝意を述べたという。服部氏が憎しみを抱き続けた中国が結果として、ビジネスの成功を導いたのだ。
だが、中国で育った服部氏は日本の大企業の文化にうまく馴染めなかったようだ。中国人張りの直接的な物言いに反発する人も少なくなかった。退任後、こう自問したという。
〈中国人からは苛められ、母国だと思い描いていた日本でも、自らの安息の地を見つけられない。一体、自分は何者なのか〉
日中両国と、そしてトヨタに翻弄された男の本音だった。
こだまひろし/1959年、大分県生まれ。2016年「堤清二『最後の肉声』」で大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞。著書に『テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅』『起業家の勇気 USEN宇野康秀とベンチャーの興亡』『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』など。
みねむらけんじ/1974年、長野県生まれ。キヤノングローバル戦略研究所主任研究員。近刊に『台湾有事と日本の危機』。
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