- 2024.10.28
- 読書オンライン
村ぐるみでリンチ殺人、一家7人を皆殺しにしたが…あまりにハードな「500年前のお悩み相談」の内容とは
清水 克行
『室町ワンダーランド あなたの知らない「もうひとつの日本」』#2
〈「学者にわざと間違ったことをしゃべらせて…」トンデモ取材にあ然、歴史学者がテレビ番組の制作手法に感じた“危うさ”〉から続く
都の路上でバクチにカツアゲ、大乱闘……500年前の日本はどのような様相を呈していたのか? ここでは歴史学者・清水克行さんの新刊『室町ワンダーランド あなたの知らない「もうひとつの日本」』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介する。
京都大学のすぐ横、緑豊かな吉田山の山中にある吉田神社は、室町時代に「お参りすれば、日本中のすべての神社をお参りしたのと同じご利益が得られる」といわれる超パワースポットだった。また、室町後期に異端の宗教家・吉田兼倶(かねとも)を輩出している。
そんな吉田神社に寄せられた「500年前のお悩み相談」の内容とは?(全2回の2回目/最初から読む)
◆◆◆
吉田兼倶が創始した“唯一神道”は、彼の死後、半世紀ほど経つと、“新興宗教”特有のケレン味も消えて、次第に多くの人々の支持を獲得するようになっていった。兼倶の孫兼右(かねみぎ)、曾孫兼見(かねみ)の残した日記を開いてみると、戦国時代、吉田神社は全国の人々から篤い信仰を集めるパワースポットとしての地位をすっかり確立していたことが分かる。
日記には、彼らのもとに全国の人々から様々な相談ごとや祈禱の依頼が寄せられていたことが記されている。霊験あらたかな吉田神社は、すでに悩める庶民たちのよろず相談窓口となっていたのだ。ここでは、そんな吉田神社に寄せられたお悩み相談の内容を紹介しよう。いったい500年前の日本人は、どんなことに悩んでいたのだろうか?
ハードすぎる悩みの数々
Q1 10年ほど前、円阿弥という男を殺しました。その祟りに苦しめられています。祟りを鎮めるために円阿弥を神として祀ってもらえないでしょうか? ちなみに彼の命日は、6月26日です。(永禄11年〔1568〕3月・竹内左衛門太郎)
Q2 80年以上前でしょうか。嶋野という男の悪行があまりにひどいので、村のみんなで殺しました。そのとき、ついでに男児5人と妻1人も殺しています。最近、不吉なことが起こるのは、そのときの祟りでしょうか。彼らを神として祀ってください。(同年同月・伊賀国〔三重県西部〕某村)
いきなり刺激が強すぎただろうか? さすがは戦国乱世、どちらもなかなかハードな相談内容だ。Q1の相談者、竹内左衛門太郎は、名前からして武士。殺された円阿弥は出家者なのだろう。どんな理由か分からないが、仏に仕える者を殺害するのは大罪なので、さすがに寝覚めが悪かったようだ。10年経った今も命日を記憶しているところが、悩みの深さを物語っている。このときは吉田神社からお札を送ってあげたところ、礼金として一貫二百文(現在の約12万円)が届いている。
Q2の相談は、村ぐるみのリンチ殺人。おまけに一家皆殺しだ。当時は「自検断」と言って、村が村人に対して独自の警察裁判権を行使することも珍しくなかった。しかも「犯罪はケガレである」との考えのもと、罪人の家族にも犯罪の連帯責任が負わされ、一家全員が粛清されてしまうこともしばしば見られた。とはいえ、罪も無い子供たちまで処刑してしまうのは、いくら当時の人でも胸が痛んだようだ。80年前の話なら、もはや当時を知っている者は存命していないはずだが、惨劇の記憶は世代を超えて村の“黒歴史”として語り継がれ、ことあるごとに思い起こされたらしい。ここでも吉田神社は依頼に応え、祈禱料二貫四百文(約24万円)を受け取っている。
公権力を頼らずにみずからの暴力ですべてを解決していた時代、それによって生じる罪悪感とどう折り合いをつけるかは、人々にとって大きな問題だった。吉田神社の霊験は、そうした悩みに一定の解決策となっていたのだろう。
健康問題の解決法
また、今も昔も変わらないのは家族の健康にまつわる悩みだ。
Q3 47歳の女が夫と子供を慕いながら病死しました。ところが、彼女の情愛があまりに深かったせいでしょうか、その翌日には夫が取り殺され、その後、子供たち4、5人が相次いで取り殺されました。これ以上、犠牲者が増えないように、ご祈禱をお願いします。(天文3年〔1534〕12月・摂津国〔大阪府北中部〕の人)
Q4 すでに息子を2人亡くしている27歳の夫と25歳の妻です。今月に子供が生まれる予定ですが、今度こそは無事に育ってくれるように息災祈願をお願いします。(元亀元年〔1570〕6月・近江国の夫婦)
Q3の相談は、おそらく家族内の伝染病感染を疑うべき案件だが、もちろんそんな科学知識も乏しかった時代、その原因は妻の祟りと考えられた。また、Q4の相談も、すべては当時の乳幼児死亡率の高さが原因であろうが、これらのお悩みは、いずれも医療の問題ではなく宗教の領域で処理された。
ちょっと可笑しいお悩みも
なかには、当人たちは大真面目なのだろうが、僕らから見ると、少し笑ってしまうお悩みもちらほら。
Q5 私の子供3人(彦三郎・満・くら)が病弱で、いつも体調を崩しています。以前に私が手を付けて捨てた女がいまも生きているのですが、その女の恨みによるものでしょうか?(天正10年〔1582〕2月・彦左衛門)
Q6 我が家のかまどが去年7月頃に2、3度音を鳴らして、割れ砕けました。その後に修繕をしたのですが、またも音を鳴らして割れ砕けました。気持ち悪いので、お札をください。(天文3年11月・ういろう屋の藤五郎)
いずれも、当時の人々の霊威に対する怖れが前提にある。実際、鎌倉~室町時代の人々は、何かというと神仏に誓約をした。その誓約書のことを「起請文」といい、そこで誓った内容を裏切ると大変な神罰・仏罰が下ると信じられた。ところが、その一方で戦国時代の吉田神社には、こんな依頼も舞い込んでいた。
クーリング・オフOK
Q7 禁酒を起請文に書いて誓ったのですが、その後、どうしても出席しなくてはならない会合があり、そこで酒を飲んでしまいました。その後、精神状態が不安定になり、真剣に悩んでいます。「起請返し」をお願いできないでしょうか?(文禄5年〔1596〕正月・寺西筑後)
Q8 離婚しようと夫婦で一度は起請文を書いたのですが、子供や親類のことを考えると別れ難く、やはり復縁することにしました。とはいえ罰が当たるのは怖いので、「起請返し」をお願いします。(天正12年〔1584〕12月・青山助兵衛尉)
神仏に対する信仰心が薄らぎ始めたこの時代、あれほど恐れられた起請文での誓約すらも、所定のお祓いをうければ無かったことにすることができるという考えが広まっていた。吉田神社では、「起請返し」と呼ばれる、この神仏へのクーリング・オフ業務も受注していたのだ。依頼する側も依頼する側なら、引き受ける側も引き受ける側だ。中世も終わりに近づき、他方で神仏への畏敬の念は確実に希薄になっていたのである。
ただし、Q7の禁酒破りの祈禱料は一貫二百文(約12万円)。現代に生きる僕らが何の躊躇もなく神仏への約束を反故にするのに比べたら、彼らは遥かに律儀だったと言える。
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