- 2024.07.17
- 書評
デビュー半世紀! ホラーの帝王の衰えを知らない名人芸
文:千街 晶之 (ミステリ評論家)
『死者は噓をつかない』(スティーヴン・キング)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
アメリカの、いや世界の「ホラーの帝王」スティーヴン・キングは、一九四七年九月二十一日生まれであり、現時点で七十六歳である。もう高齢と言っていい齢であり、一九七四年に『キャリー』でデビューしてからの作家生活は今年で五十周年を迎えたけれども、その創作力は全く衰える気配を見せない。
今や巨匠と言っていい存在のキングだが、半世紀の作家生活が常に順調だったわけではない。初期はアルコール依存症や薬物依存の状態で執筆した時期があったし、一九九九年には交通事故で重傷を負った。しかし、ファンならご存じの通り、それらの負の体験すらも必ず小説として見事に昇華させたのがキングという作家なのである。また、初期作品『デッド・ゾーン』(一九七九年)に登場する邪悪な政治家グレッグ・スティルソンは、第四十五代合衆国大統領ドナルド・トランプの政界進出を先取りしていたかのようだと言われているが、キングはTwitter(現・X)で事あるごとにトランプ批判を繰り広げ、とうとうトランプ自身にブロックされたほど、歳を重ねても反骨精神が衰えない人間でもある。彼くらい、不屈のファイターというイメージが強い作家も珍しい。
二○二○年代に入ってからも、二○二○年には中篇集"If It Bleeds"、二○二一年には『ビリー・サマーズ』と"Later"、二○二二年には"Gwendy's Final Task"(リチャード・チズマーとの共著)と"Fairy Tale"、二○二三年には"Holly"……と、コンスタントに著書を上梓している("Gwendy's Final Task"以外は文藝春秋から邦訳予定あり)。
そのうちの一冊である本書『死者はをつかない』(原題"Later")は、二○二一年にHard Case Crimeから刊行された長篇である。長篇と書いたけれども(実際、邦訳で三百ページを超えているのだが)、邦訳すれば上下巻が当たり前のキングの長篇としては短めの部類だろう。
本書の語り手は、ジェイミー・コンクリンという少年である。いや、正確に記せば、少年時代の出来事を、二十二歳の青年になったジェイミーが回想するスタイルを取っている。原題の"Later"とは「後になって」といった意味合いだ。
ジェイミーは子供の頃から、文芸エージェントをしている母のティアと二人暮らしをしており、父の顔は知らない(キングは二歳の時に父が失踪し、母によって育てられた。恐らくその経験を反映して、彼の作品には片親の家庭がよく登場する)。ある日、六歳のジェイミーが母と一緒にアパートメントに帰宅すると、隣人のバーケット教授から妻が死んだと告げられる。だが、ジェイミーには死んだミセス・バーケットの姿が見えていた――夫のすぐ傍に。しかも、ミセス・バーケットが語りかけてくる言葉も聞こえていたのだ。その場にいるティアやバーケット教授には聞こえない死者の声を。
実は、ジェイミーが死者の姿を見たのはこれが最初ではない。特に恐ろしかったのは、幼稚園児だった四歳の時、交通事故死した男の血まみれの姿を見てしまった体験だ。そしていつしか、ジェイミーは死者たちがをつけないことに気づいていた……。
著者の作品には、成人した主人公が若き日の出来事を回想するスタイルのものが幾つかある。年老いた編集者デヴィン・ジョーンズが、四十年前の学生時代に体験した連続殺人犯との対決を回顧する『ジョイランド』(二○一三年)などがそれだ。
『ジョイランド』は、著者がHard Case Crimeから刊行した二冊目にあたる。Hard Case Crimeとは、チャールズ・アルダイ(自らもリチャード・エイリアス名義で『愛しき女は死せり』などを執筆)が二○○四年に創設した小出版社で、埋もれたパルプ・ノワール小説の復刊と、ハードボイルドの次世代を担う作家の新作を出版することを目的としている。アルダイは当初、キングにこの出版路線を宣伝してもらえないか相談したところ、キングは推薦文を書くのではなく新作を書き下ろすことで協力要請に応えたという。こうして上梓された一冊目が『コロラド・キッド』(二○○五年)だが、この作品も二冊目の『ジョイランド』も、版元のカラーに合わせてミステリ色が濃い仕上がりとなっている(大作ホラー路線ではない、適度な長さの小説であることも共通する。ただし、『ジョイランド』はハードボイルドやノワールのイメージとはかけ離れた、ほろ苦い青春サスペンスという印象が強いけれども)。
もともと、『ミザリー』(一九八七年)や『ドロレス・クレイボーン』(一九九三年)など、スーパーナチュラルな要素がないサスペンス小説もしばしば発表していたキングだが、ベヴ・ヴィンセント『スティーヴン・キング大全』(二○二二年)によると、子供の頃「母親が読んでいた〈ペリー・メイスン〉シリーズ(引用者註:E・S・ガードナーによる、弁護士ペリー・メイスンを主人公とするリーガル・ミステリ)は、あまりにスタイリッシュかつ人工的でキングの肌にあわなかったが、アガサ・クリスティーの推理小説は大好きだった。とはいえ、キングにはクリスティーのような細かいパズルの組み立て方はわからなかった」(風間賢二訳)という。実際、キングのミステリは犯罪小説やサイコ・サスペンスに近いものが多く、フーダニットの形式を踏まえているのは『ジョイランド』くらいだろう。キングはこの『ジョイランド』を発表した時期あたりから、退職刑事ビル・ホッジス三部作の第一作『ミスター・メルセデス』(二○一四年。翌年にエドガー賞長篇賞を受賞)のように、次第にミステリを意識した作品を手掛けるようになってゆく。二○二○年代の作品では、「最後の仕事」を遂行するため小説家になりすまして田舎町に潜入した殺し屋を主人公とする『ビリー・サマーズ』がその代表だろう。
Hard Case Crimeから刊行された三冊目の本書もまた、ミステリ的な要素が含まれた小説であり、同時にジェイミーが冒頭で「これはホラーストーリーだと思っている。読んで確かめてみてほしい」と述べている通りホラーでもある。ただし、それが顕著になるのは中盤になってからだ。
ジェイミーの母ティアには、リズ・ダットンという友人がいる。刑事である彼女は、ティアからジェイミーに特異な能力があることを聞かされ、それを犯罪捜査に利用できるのではないかと思いつく。折しも、サンパーと名乗る人物が十数年前から爆弾事件を繰り返し、多くの死者・負傷者が出ていたが、警察がやっとサンパーの正体がケネス・セリオーなる男だと突きとめたのも束の間、彼は自殺してしまったのだ。あと一カ所に爆弾を仕掛けたままにしていると言い残して……。
リズはジェイミーを連れ回し、セリオーの霊が見えないか尋ねる。ジェイミーはついにセリオーの霊と対面し、使命を果たす。だが、真の恐怖はそのあとに待ち構えていたのだ。「これはホラーストーリーだ」という冒頭の文章が、忘れた頃になってリフレインされるのが実に不気味である。
異能を持つ主人公が物語の中盤で犯罪捜査への協力を要請される……といえば、『デッド・ゾーン』を思い出す読者もいるだろう。しかし、『デッド・ゾーン』の透視能力者ジョニー・スミスが成人した元教師であり、彼に異能を役立てることを勧めるバナーマン保安官がまっとうな人物なのに対し、本書のジェイミーはまだ少年であり、そんな彼を強引に犯罪捜査に役立てようとするリズは倫理的にかなり危うい人物としか思えない。犯罪捜査に協力する異能者という似たモチーフを扱いつつ、その点が両作品の決定的な差異と言える。そもそも、母のティアからして、自分が担当していた作家が急死し財政的危機に陥った時、息子の能力を利用してその作家の遺作を完成させるという反則で切り抜けているくらいで、ジェイミーの能力をエゴイスティックな動機で役立てようとする点は(程度の差こそあれ)同様とも言える。
『スティーヴン・キング大全』によると、キングは本書の着想について「著作権エージェントについて書きたかった」「このエージェントの稼ぎ頭である顧客が急死する。彼女はどうする? 彼女に死者の見える息子がいたら? その息子がたずねることに死者はかならず応えなければならないとしたら? で、思った。“よし、これでストーリーになる”」と述べている。『シャイニング』(一九七七年)や『ミザリー』や『ビリー・サマーズ』などと同様、本書もまたキングらしい「小説についての物語」の一種として誕生したわけである(なお、本書がルーシー・リュー主演でドラマ化されるという情報が二○二二年に公表されたが、彼女の役柄はティアであると思われる)。
死者の姿が見えたり、その声が聞こえたり……といった設定のホラーやミステリの前例は数多く存在する。代表的なのが前世紀末に公開されたある映画監督の出世作であり、本書にもタイトルを出すことなくその映画に触れた箇所があるけれども、死者がをつけないというルールの導入によって、かえって先が読めない物語を構築している点が流石である。また、他の死者たちとは異なる力を持つセリオーとの対決を経ることで、ジェイミーの心が悪に支配されてしまうのではないかという可能性が仄めかされるあたりも読者の不安を誘う。
既に述べたように、本書の原題"Later"は「後になって」という意味である。読者の側からすると、少なくとも二十二歳の時点まで生き延びているということは、この主人公が作中の事件が原因で死んだりはしないと推測可能である。ならばサスペンスが減殺されてしまうのではないか……などというのは杞憂というもので、主人公が最後まで無事であることが想像できても緊迫感を最後まで保たせるのがキングの名人芸なのである。老いてなお盛んな彼の円熟の境地を、この一冊からも存分に味わえるに違いない。
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