ビジネスパーソンの課題は宗教と経営理論で解決できる!
- 2024.07.25
- ためし読み
本書を手に取った方の中には、表紙のタイトルを見て不思議に思った方もいるだろう。「なぜ、宗教を学べば経営がわかるのか?」と。
しかし、これこそが本書の狙いなのだ。これから述べていくように、宗教をよく理解することは、現代のビジネスや経営を考える上でとてつもない学びとなる。いや、むしろこれからは変化が激しく、不確実性の高い時代だからこそ、経営者、管理職、一般社員、起業家、すべてのビジネスパーソンにとって宗教を学ぶことが不可欠とすらいえるかもしれない。そもそも私は経営学者として以前からこの問題意識を持っていたのだが、本書で展開されるように、世界の宗教事情に精通した池上彰さんとの何度にもわたる知の交換を通じて、ますますその確信を深めた。結果、本書を池上さんと上梓することにしたのだ。したがって本書の対象読者は、まずは日本中のビジネスパーソン全員ということになる。
しかし本書をお読みいただきたいのは、ビジネス関係者だけにとどまらない。なぜなら、一般教養として宗教の理解はいまや不可欠だからだ。宗教は、我々の社会の隅々にまで影響を与えている。日本では旧統一教会の問題もあり、「宗教」という言葉に忌避感を感じる方もいるかもしれない。しかし、そもそも人は宗教的な生き物であり、何かを信じながら日々を生きている。「自分は無宗教」という方も神社に行けば手を合わせるし、結婚式は教会で挙げ、葬式で経を唱えるなど宗教的なスタイルで行う。流れ星を見たら願い事を唱えたり、大自然の中で神秘的な何かを感じる方も多いだろう。宗教の定義は「超自然的な何かを感じ、信じている」こと(※1)なので、我々は全員が、どこか宗教的な心を持っているのだ。
さらに世界を見渡すと、中東の戦争(イスラム教vs.ユダヤ教)も、ウクライナ・ロシア戦争(ウクライナ正教vs.ロシア正教)も、宗教がその根底にある。今後の不透明な世界を見渡す上でも、宗教を一般教養として理解しておく重要性はますます高まっている。
そしてこれから述べていくように、本書は宗教に対して、私の専門である経営学の視点を使うことで、画期的かつわかりやすい説明を試みている。したがってビジネスパーソンだけでなく、一般教養として宗教を理解したい方にも、本書は「ああ、宗教はそう考えればいいのか!」という視点を提示する入門書ともなるだろう。
このように、宗教と経営は互いに学び合えるのだ。「宗教を学べば、自分の経営・ビジネスがより深く考えられる」(宗教の理解→経営・ビジネスの理解)ようになるし、逆に「経営理論から宗教を読みとけば、宗教がよりわかりやすくなる」(経営理論→宗教の理解)のだ。この両方向の視点を提示することで、読者の皆さんに知的刺激を感じていただけるだろう、というのが本書の最大の特徴である。
■宗教は経営であり、経営は宗教である
なぜ宗教とビジネス・経営が互いに学び合えるのかを、もう少し深く、三つの切り口で説明しよう。
第一に、最も重要なこととして、両者は根底にあるものが「人」であり、「組織」であり、「信じることに向けての行動」という意味で、本質的にほぼ同じだからだ。先にも触れたが、宗教とは根源的に「何か(超自然的なもの)を信じている人たちが集まり、共に行動する行為・組織のこと」と言える。よく考えれば、これは現代の「理想的な民間企業」そのものである。今後はさらに社会・環境問題が顕在化し、何よりデジタル技術やAIの台頭で変化が激しく、不確実性の高い、先の見通せない時代になっていく。この時代に企業が自らを変化させながら前進するには、(それが超自然的なものでなくても)経営者や従業員が共に信じるべき目的・理念が必要だ。だからこそ、いま多くの企業で「パーパス経営」が注目されている。
すなわち、そもそも理想的な民間企業とは「同じ経営理念・パーパスを信じている人たちが集まり、共に行動する」組織なのだ。この意味で、民間企業と宗教に本質的な差はほとんどない。実際、私の知る優れた企業には、「入山さん、外ではこういう言い方はできないけど、ウチの会社は宗教みたいなものなんだよ」と、笑いながら語る経営者が実に多い。
他方で、「理念・パーパスの浸透」が社内で行き渡らないことに悩む経営者・ビジネスパーソンが多いのも事実だ。つまり自分の企業を、いい意味で宗教化できていないのである。もしかしたら、いま本書を手に取っているあなたもそうかもしれない。だとすれば、理念が浸透したからこそ成功してきた宗教から、ビジネスパーソンが学ぶことは多いのではないだろうか。
よく考えれば、歴史上最も成功した「組織」は、キリスト教やイスラム教だと捉えることもできる。紀元前一三~前七世紀ごろに人類の最古の啓示宗教とされるゾロアスター教が現在のイラン高原に登場して以来、人類の歴史では数えきれないほどの宗教団体が生まれては消えていった。この中で一〇〇〇年以上も大きな勢力を保ち続け、今も広く市民権を得ているのがキリスト教とイスラム教だ。両宗教だけで、現代の世界の宗教人口の五六%を占める。だとすれば、自分の企業やビジネスを長く、遠くまで普及させたいと考える経営者やビジネスパーソンなら、この二大グローバル宗教のメカニズムを理解することから学べることは、間違いなく多いはずだ。
第二に、だからこそ、宗教と経営をつなぐ橋渡しとなり、宗教のメカニズムに明快な説明を与える道具として、経営理論が使えるということだ。なぜなら、経営学とはつまるところ、「人と組織が何をどう考え、どう行動するか」を社会科学的に突き詰めた学問に他ならないからだ。会社とは結局は人でできており、人の考え、信念、行動で動いている。これは宗教も同じなのだから、経営理論の視点は宗教のメカニズムの説明にうってつけなのだ。幸い、私はアメリカで経営学博士号を取り、世界の経営理論に通じた一人であり、それをわかりやすく説明できることだけには自負を持っている。だからこそ、経営理論で宗教を紐解くことが多くのみなさんの学びになる、と確信しているのだ。
■宗教は経済・社会のオペレーティング・システムになっている
宗教と経営をつなぐべき第三の意味は、実は世界を見渡せば、我々のビジネス・経営観念は、宗教の視点が前提としてインストールされている、ということだ。ビジネスは、そもそも様々な経済・社会を前提に行われている。異なる国では、異なる経済・社会背景があり、それらは圧倒的に宗教の影響を受けている。つまり、知らず知らずのうちに我々のビジネスの基本思考や基本動作には、宗教の考えが埋め込まれているのだ。
たとえば、アメリカという国の本質を理解したければ、キリスト教プロテスタントのカルヴァン派の影響の理解が不可欠だ。本書第六章で池上さんが語るように、アメリカは、我々が想像する以上にカルヴァン派思想で規定されている。アメリカに仕事で行った経験のある方なら、あの激しい競争社会や、貧富の格差に愕然とした方も多いはずだ。なぜアメリカはあそこまで競争社会なのか、なぜ経営者が巨額の報酬を得ても誰も文句を言わないのか……これも実は、カルヴァン派の理解なしには読み解けない。
さらに、今後の世界はイスラム経済の台頭が不可避である。イスラムというと中東のイメージが強く、縁遠く感じる方もいるかもしれない。しかし、日本の今後の重要な経済パートナーになる一国は、東南アジアの人口三億人のインドネシアであり、同国は国民の大半がイスラム教徒である。同じく東南アジアのマレーシアは、いま「イスラム金融」のハブになる国家戦略を立てている。本書第五章で述べるように、イスラム経済は西欧の資本主義とは異なる考えを持っているため、その理解なしには対応できない。
このように、宗教とは我々のビジネス・経済活動の基盤である「オペレーティング・システム」(OS)のようなものなのだ。パソコンのWindowsとmac OSが全く異なるように、あるいはスマートフォンのAndroidとiOSの使い勝手が違うように、宗教を背景とした社会・経済はそれぞれ異なるOSでできている。このOSの違いを知らないまま同じアプリケーションを動作させても、機能しないのである。
ここまでをまとめると、本書の目的は大きく三つあることになる。
(1)池上さんと私の対談を通じて、宗教の基本や最新事情を知ってもらい、ビジネスパーソンに自身のビジネス・経営へのさらに深い理解を得てもらう(宗教の理解→経営・ビジネスへの学び)
(2)「人と組織の学問」である経営理論の視点を使うことで、一般教養としての宗教をさらにわかりやすく理解してもらう(経営理論→宗教の理解)
(3)国際社会の基本OS(オペレーティング・システム)である宗教を学び、これからさらにグローバル化するビジネスやご自身の仕事への示唆を得てもらう
■池上さんとの対話だからこその成果
本書は、池上彰さんと私が対談をしながら、そこで得た知見により、私が宗教と経営・ビジネスの共通項やポイントを各章冒頭でわかりやすく解説する、というスタイルをとっている。各章は私のかんたんな解説で始まり、そのあとに池上さんと私の具体的な対談が続く。まずは解説だけざっと読んでいただいてもいいし、あるいは池上ファンなら対談の部分だけ読んでもらっても構わないようになっている。
このスタイルをとった理由は、本書の出版に至った経緯によるところが大きい。実は、今でこそ宗教を学ぶことの大切さを説いている私だが、かつてはその重要性をまったく認識できていなかった。汗顔の至りである。
先にも述べたように、私はアメリカの大学院で経営学の博士号を取得し、その後もアメリカで研究を続けた経験を持っている。滞在期間は一〇年に及んだ。その意味で世界の先端の経営理論がどのようなものであるかを、徹底的に学んできた自負はある。だが、世界を見渡しても、宗教に着目した経営学の研究はほぼ皆無で、私自身、そこに重要なカギがあるとは気づけないままだった。
宗教を意識するようになったのは、日本へ帰国して、様々なビジネスパーソンと交流するようになってからだ。さきほども書いたように、「ウチの会社は宗教みたいなものだ」と何人もの経営者から言われるうちに、「これは重要な視点なのではないか」と思い至ったのである。また、私自身も複数の企業の社外取締役やアドバイザーを務めるようになり、経営者と社員との関係に宗教との類似点がある、と実感する場面に何度も遭遇してきた。
宗教について学びたい、誰かに教えを乞うことはできないだろうか──。
そんなふうに考えていたとき、文藝春秋に勤務する旧知の編集者と話す機会があった。「宗教を学びたいと思っている」と話したら、彼は「池上彰さんと対談してみませんか?」と提案してくれたのだ。こうして生まれたのが本書である。池上さんが持つ世界の宗教についての豊富な知見と、私が持つ経営学の知見をぶつけあって、互いに学び合うとともに、新たな視点を見つけようとしたのである。対談は盛り上がり、日を改めて何度も行われた。
みなさんもご存じのように、池上さんは様々な分野で膨大な知識を持つ「知のモンスター」のような方だ。その池上さんがやさしく丁寧に解説をしてくださったおかげで、宗教についての入門書という意味でも、非常にわかりやすい内容になっていると思う。
私のほうは、これからの経営・ビジネスを紐解く上で必須である最先端の経営理論を、できるだけ簡潔に解説するよう心がけた。また、ジャーナリストの池上さんが具体的な事象を豊富に紹介してくださるのに対して、研究者の私はその事象を抽象化、構造化して、メカニズムを俯瞰して眺めることができるよう試みた。
結果、お互いの持ち味が生かされて、とても充実した対談シリーズとなったと思う。何より、宗教と経営を結びつけて論じるという、これまでにない本を生み出せたことに感慨もひとしおだ。池上さんには心より感謝している。
■宗教×経営の「掛け算」を楽しむ
最後になるが、宗教や宗教学の専門家からご覧になると、本書の特に私の記述・発言には、不適切だったり未熟な部分が多々あるかもしれない。ご容赦いただきたい。私は池上さんと対談するまで、宗教についてはほぼ素人であった。今後も謙虚に学んでいきたいと思っている。他方で、経営学や経営理論は専門であり、本書を通じてその部分での不備や間違いは、すべて私の責任に帰するところである。
では、宗教×経営の「掛け算」という、世界で初めてかもしれない試みを、みなさんに楽しんでいただきたい。ビジネスパーソンはもちろん、宗教に興味のある人、歴史に興味のある人など、さまざまな読者の知的好奇心を刺激できる内容になっているはずだ。本書が、あなたのビジネスや生活に何か少しでもヒントを提供できたなら、この上ない喜びである。
二〇二四年初夏
「本書を手に取った方へ」より
※1 宗教の学術的な定義については、たとえばRodney Stark & Williams Simsa Bainbridge. (1996), A Theory of Religion, Rutgers University Press, を参照
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