ロックバンド「クリープハイプ」の尾崎世界観さんの新刊『転の声』が、7月11日いよいよ発売されました。『母影』以来、3年半ぶりとなる待望の小説単行本3冊目です。
今作の主人公は、ロックバンド「GiCCHO」のフロントマンとして活動する以内右手。尾崎さん本人に近い人物設定に、「文學界」掲載時より、ファンを中心に大きな反響を呼んでいます。
尾崎世界観さんにしか書けない、人気バンドマンの赤裸々な心裏が覗く冒頭シーンを、刊行を記念して無料公開します!
【Rolling→Ticket】の台頭とともに、ここ数年でライブチケットの転売に対する世間のイメージは激変した。アーティスト自身の力はもとより、チケットにプレミアが付くことでライブがより特別なものになる。プレミアによって感動は数値化され、保証される。アーティスト側がそのことを積極的に発信し始めたことで、忌避されてきた転売や転売ヤーに対するこれまでの見方が覆った。しかし、依然としてファンの好意を食い物にして不当な利益を得る昔ながらの転売ヤーも多い。そんな中、転売賛成派のアーティストたちが絶大な信頼を置くのが、音楽系ライブのチケットに特化した転売ヤーを数多く抱える、転売専門のマネジメント会社【Rolling→Ticket】である。
“餅は餅屋、プレミアは転売ヤー”というテロップが、画面いっぱいに映し出される。
カメラがスタジオへ切り替わった。いま最も関心のある話題を前に、ひな壇二列目の右端で左に重心を傾ける。首を捻りながら出演者用モニターを食い入るように見つめる自分の左肩から先が、ちょうど画面から見切れていた。デビュー当初はそれなりに注目を集めたものの、その後なかなか勢いに乗れず、新曲をリリースしても現状維持が精一杯。そんなバンドにとって、ライブチケットにプレミアが付くかどうかは死活問題だった。これまで表向きには転売に反対しながら、自分のチケットにプレミアが付くたび密かに湧き上がる喜びを噛み殺してきた。もっと転売について知りたい。あわよくば有名な転売ヤーと繋がりたい。そうした願望は、今や焦りに変わりつつある。なので、渡された台本を読んでこの特集コーナーを知った時は、出演が決まった時以上に嬉しかった。【Rolling→Ticket】の紹介VTRが終わり、司会者とアナウンサーの簡単なやりとりの後、今度はメガネをかけた小太りの男が画面に映し出された。画面中央下には、男の声とともに、いちいち視聴者を馬鹿にしたかのような大きさのテロップが出ている。
「地力のあるアーティストこそ、転売を通してしっかりとプレミアを感じるべきです。定価にプレミアが付く。これはただの変化じゃない。進化だ。だから、私は発展の展と書いてそれを【展売】と呼んでいます。良いものの価値が上がるのはごく自然なことで、それで得た自信がまた次の作品に反映される。チケット不正転売禁止法がなどと言いながら、いざ自分のチケットにプレミアが付くとそれが可愛くて仕方ない。子供なんて要らないとか言いながら、いざできたらできたで結局親バカになるのと一緒ですよ」
スタジオ中央で、司会者の男はうっすら笑みを浮かべたまま微動だにしない。メガネをかけた小太りの男が画面の中で話し続ける。得ノ瀬券。エセケンの愛称で皆に親しまれているこの男が、【Rolling→Ticket】の顔でありすべてだ。各メディアに連日取り上げられ、今やその名は音楽業界のみならず、実に幅広い層に知られつつある。出てきた当初の叩かれようを思えば、こうした世間の反応こそが、エセケンが追い求めるプレミアそのものと言えるだろう。
「誤解されている方も多いと思うので、まずこれだけはちゃんとお伝えしたい。【Rolling→Ticket】所属の転売ヤーが転売で得た利益は、弊社と契約を結んでいるアーティストに限り、きちんと分配されています」
ワイプに抜かれる出演者たちはそれぞれ前のめりになって、小首を傾げたり、大袈裟に頷いたりしている。右隣に並んで座るバンドメンバーは全員がつまらなそうな表情をしていて、それがいつ抜かれるか、気が気でない。そればかりか、カメラの遥か奥、スタジオの隅でよそ見しながらぼうっと突っ立っているマネージャーを見つけて、彼らと自分との圧倒的な温度差を感じる。
「また、私が立ち上げから携わっているSNSアプリ【Rolling→Voice】、通称「転の声」も好調です。【Rolling→Voice】は、これまであえて転売アンチの意見も積極的に取り込んできたことで、幅広いシェアの獲得に成功しています。元はX社のサードパーティー製アプリとして開発された「転の声」ですが、今や転売には欠かせない重要なツールとなっています。ここまで転売の良い面ばかり話してきましたが、もちろん、転売にだって悪い面はあります。まず、筋トレと一緒で、一度やり出したら歯止めが利かなくなる。プレミアに執着するあまり、チケットの販売価格に過剰な負荷をかけたり、付いたそばからすぐそのプレミアを見せびらかしたりしてしまう。その点、弊社所属の転売ヤーには、各アーティストの状態に合ったバランス良いサポートを心がけるよう、しっかりと指導を行っています」
再度カメラがスタジオに切り替わり、出演者の一人が画面に大写しになった。韓国発のオーディション番組から生まれた、六人組ボーイズグループのリーダーだ。彼は視聴者にもわかるよう、ゆっくり大きくス、ゴ、イと口を動かしながら、胸の前で小さく手を叩く。
「とにかく、良いものにプレミアを付けるのは、肩や腰をマッサージするのと一緒。買うか買わないか悩んでガチガチになったところ、まさに購買筋をほぐしてあげる。人は自分が欲しいものが欲しいのではなく、誰かが欲しいものこそが欲しい。この番組でもよく出演者の方が、失って初めて気づく系の失恋ソングを歌われてますよね。要はあれと一緒で、人は、売り切れて初めて気づく。私はあれが欲しかったんだと。それに、サブスク全盛のこの時代、やっぱりアーティストにとっての生命線はライブです。需要によってチケットの価格が変動するダイナミックプライシングというシステムもあるにはありますが、前売りですべて売り切ってしまう音楽ライブとは相性が悪い。もちろん一般発売後もチケットが残っているライブなんて論外。だから、餅は餅屋、プレミアは転売ヤーなんです」
ついに抜かれた。慌てて表情をつくってから、映っているのが別のバンドのフロントマンだとわかる。自分と同じく前髪が目にかかった彼は、ワイプの中で微動だにしない。
続いて、どこかのライブ会場前で収録されたインタビューが流れた。二十代と思しき若い男女が、プレミアの付いたチケットを笑顔でカメラ前に差し出す。
「チケットが取れないのはそれだけ人気がある証拠だから、まずそこで判断します。いくら音楽そのものが良くても、人気ないアーティストのライブに行くのは恥ずかしいし、時間と体力の無駄だから。まず最初に気になったアーティストのチケットが転売されてるかどうか調べて、ちゃんと転売されてたら、そこで初めてライブに行こうって思いますね。たまにわざわざ高いチケットを買おうとする意味がわからないって不思議がられるけど、グッズを買うのと同じじゃないですか。お金を払って買ったグッズを身につける。その人が身につけたTシャツとかタオルを見れば、どれだけそのアーティストが好きかわかるのと一緒で。でも、グッズって邪魔だなと思ってて。だからその分、チケットにグッズを身につけさせるような感じですね」
他にも数人の若者が転売について似たような考えを話し、最後には決まって、紙チケットやスマホの液晶画面に表示されたQRコードを自慢気に見せた。その表情はとても幸せそうだ。そして、彼らは転売されたチケットの価格を決して隠そうとしない。恥ずかしげもなく、むしろ嬉々としてそれを伝えた。
続いては【Rolling→Ticket】提供の週間プレミアムチケットランキング、【Rolling→Countdown】です! 今週もっともプレミアがついたチケットは⁉ 社畜ダンスでバズりまくりのあのお経系ヒップホップユニット⁉ 大ヒットアニメ「あの夏の線香花火が落ちるまで、何度だって出逢い直そうボクら」の主題歌を歌うあの国民的ロックバンド⁉
スタジオ中が一斉にどよめくなか、ワイプに抜かれたアイドルグループのリーダーが、手で口を押さえながら大袈裟に目を見開く。
「それではいよいよ今週第一位、LIVE IS MONEYの皆さんです」
司会者が気の抜けた声でバンドを紹介し、ボーカルのハネダアガリに一位になった感想を求めた。劇場版主題歌の最新週間ストリーミング総再生数は、集計開始以来歴代最多の七千六百万回超え。元は漫画原作で、テレビアニメ版からじわじわ火がつき、劇場版は公開二十週目で興行収入三百五十億円を超えた。国内のみならず海外でも爆発的な広がりを見せ、今や社会現象となっている。そして、そんな大ヒット映画の主題歌を担当するLIVE IS MONEYのライブチケットは、平均取引価格が一枚につき四十八万四千円台と、驚異的な数字を叩き出した。
「エセケンさんには感謝してます。さっきのVTRでも彼が言ってましたけど、サブスク全盛の今だからこそ、ライブが生命線だと思っていて。バンド名もエセケンさんが考えてくれたものに変えたんです。そこでようやく覚悟を決めれたっていうか。今回のタイアップも、最近のチケットの動きが関係者の目に留まったことがきっかけなんです。とにかく今このバンドにとっては、エセケンさんの存在が凄く大きいですね」
その後も彼らのファンだと言うアイドルとのやりとり、新曲についてのインタビューなどがあり、番組としては異例の好待遇だった。
「最後に、じゃあ転売って一言で言うと何?」
司会者が抑揚のない声で訊ねる。
「今ですね。良い悪いじゃなくて、転売は今でしかない。反対意見があるのももちろんわかるけど、でもそれだっていずれ過去になっていく。だからこそ、今はこれが今なんです」
「それではスタンバイお願いします」
イントロを聴いただけで生演奏だとわかる。出演者が座るひな壇から観覧席まで、スタジオ全体が一気に熱を帯びてくる。バンドは迫力の生演奏で、あっという間にフルコーラスを歌い切った。尺は二分半のテレビサイズ、セッティングの手間や音声トラブルを避けるためにほとんどが当て振りの音楽番組において、これも異例の待遇だ。バンドそのものから上質なプレミアが滲み出ていて、それが羨ましくてしょうがない。
「最後は初登場、GiCCHOでーす。それにしても凄い名前だね。これ横文字じゃなかったら完全にアウトだよ。いや横文字でも十分やばいけど」
台本通りの話題だ。思わず力が入る。
「あ、それに関してはちょっと言いたいことがあって、俺左利きなんですけど、子供の頃から周りの大人にそうやって言われることにずっと違和感があって。そういう違和感をぶつけていきたくて、バンド名にしました」
「へー。でもそれで名前が以内右手っていうのも面白いね。もしかして他のメンバーも全員左利きだったりして」
これも台本通りだった。それなのに、メンバー三人は苦笑いを浮かべながら首を横に振るのが精一杯で、まったく使い物にならない。
「右手を使うか左手を使うかってだけで、そこに自分の本質はない。ただ左手を使ってるってだけで、真ん中から外れてまるで自分が標準じゃないような気分にさせるあの言葉に違和感を感じるし、だったら逆にその標準を名乗ってやろうって」
「へー。じゃあそろそろスタンバイお願いします」
さっきまでこちらを向いていたカメラがパッと散っていく。歌い始めると、ただでさえ短いテレビサイズが一瞬で終わった。
「改めて、初出演、どう」
エンディングで出演者の列の端に加わるや否や、司会者から質問が飛んだ。突然のことで焦ってしまい、最高でしたと大声を上げるのが精一杯だった。
徐々に“転売”に惹かれていく以内を待ち受ける展開とは?
続きは、単行本『転の声』(尾崎世界観著、文藝春秋刊)にてお楽しみください。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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