- 2024.12.25
- 読書オンライン
中村俊輔でも、本田圭佑でもない…22歳で日本代表スタメン→「前半だけで交代」の挫折を味わった“世界的に有名な日本人選手”とは?《中村憲剛が解説》
中村 憲剛
『才能発見 「考える力」は勝利への近道』より #2
〈マラドーナ、メッシ、小野伸二だけじゃない…幼少期から「特別な才能の持ち主」だった“世界で活躍する日本人選手”とは?《中村憲剛が解説》〉から続く
JリーグでMVP(最優秀選手賞)を受賞し、日本代表としても活躍した元サッカー選手の中村憲剛。学生時代に“無名の選手”だった彼は、J2から日本代表まで這い上がった「苦労人」として知られている。
そんな中村憲剛が「才能」について紐解いた書籍『才能発見 「考える力」は勝利への近道』(文藝春秋)を上梓した。ここでは、同書より一部を抜粋。「挫折」を経験して大きく飛躍した選手について紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
◆◆◆
中村俊輔も本田圭佑も挫折を経験
サッカー選手として大成した選手は、ほぼ漏れなく挫折を味わっています。
元日本代表の中村俊輔さんは、横浜F・マリノスのジュニアユースからユースへ上がることができませんでした。神奈川県の強豪・桐光学園高校で部活に打ち込むのも、高校生としてはエリートコースだったかもしれません。ただ、俊輔さん本人は悔しい思いをしたのでしょう。「自分のサッカー人生の転機のひとつだった」と、本人からも聞きました。
同じく元日本代表の本田圭佑も、ガンバ大阪のジュニアユースからユースへの昇格を見送られ、石川県の星稜高校で高校サッカーの世界へ飛び込みます。全国大会に出場して、名古屋グランパスでプロキャリアをスタートさせました。
森保一監督のもとで日本代表に招集されている鎌田大地、2021年の東京五輪に出場した林大地も、ガンバ大阪のジュニアユースからユースへの昇格を見送られ、高校サッカー経由でプロ入りしています。
守田英正は、ガンバ大阪のジュニアユースに入ることができなかった
川崎フロンターレのチームメイトだった小林悠は、中学時代に川崎フロンターレと湘南ベルマーレのU-18チームのセレクションを受けたものの、加入には至りませんでした。同じく川崎フロンターレのチームメイトだった守田英正は、ガンバ大阪のジュニアユースに入ることができず、地元の中学校から高校、大学を経てプロ入りしています。
Jリーグのクラブのジュニアユースやユースに入ることができず、その悔しさを成長の糧にしていった選手は、ここに名前を挙げた選手だけではありません。
本当にたくさんの選手が、小中学生の年代に挫折を経験しています。
日本代表キャプテンが味わった「挫折」とは?
日本代表で主将を任されている遠藤航のキャリアにも、「挫折」が刻まれています。
彼は横浜F・マリノスのジュニア(小学生年代)やジュニアユースのセレクションに合格できなかったものの、高校進学と同時に湘南ベルマーレのユースチームに入団しています。高校3年時には2種登録選手としてJ1リーグデビューを飾り、プロ1年目から中心選手として活躍していきます。
無名の存在でプロ入りした僕からすれば、文句なしのエリートコースです。遠藤は日本代表にもアンダーカテゴリーから招集されています。
ただ、遠藤はキャリアの節目で強烈な刺激を受けています。
公式戦デビューはリーグカップで、前半で交代しています。リーグ戦デビューは2010年の川崎フロンターレ戦で、僕も出場していましたが、この試合でも前半だけで退いています。前半終了時点で僕らが3対1でリードしていましたので、湘南ベルマーレのベンチはアクションを起こすべきと判断したのかもしれません。
海外組を交えた日本代表で初先発→前半だけで交代
日本代表でも、遠藤は同じような経験をしています。
15年11月に行なわれたワールドカップ・ロシア大会アジア2次予選のカンボジア戦で、ダブルボランチの一角としてスタメンに名を連ねます。彼にとって代表5試合目で、海外組を交えたチームでは初めての先発でした。
当時22歳の彼にすれば、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督に存在をアピールする好機です。「ここで爪痕を残すぞ」という気持ちで臨んだに違いない。
この試合はアウェイゲームでしたが、日本からすれば格下の相手です。しっかりと力の差を見せつけたいところですが、前半を0対0で折り返します。
後半のピッチに、遠藤の姿はありませんでした。前半だけで交代させられてしまったのです。
現地で取材をした記者によれば、試合後の遠藤は「日本代表でボランチで使ってもらうのは久しぶりだったというのはありますけれど、今回は悔しさしか残りません」と話したそうです。そして、「プロ公式戦デビューもJリーグデビューも、前半だけで交代しています。カンボジア戦で自分らしさを発揮できなかった悔しさをしっかり持ちながら、反省して、成長して、次は結果を残せるようにやっていきます」と続けました。
遠藤が「日本代表でスタメンを張るには海外でやらなきゃ」と…
16年に湘南ベルマーレから浦和レッズへ移籍し、同年のリオ五輪に出場した遠藤は、18年のワールドカップ・ロシア大会の日本代表に選ばれます。しかし、本大会では出場なしに終わりました。
僕自身、10年のワールドカップ・南アフリカ大会のメンバーに選ばれ、ラウンド16のパラグアイ戦に途中出場しました。ワールドカップでのプレータイムは限られたものでしたが、ピッチに立たないと感じられないものがありました。ベスト16入りを果たしたチームで、遠藤は人知れず悔しさを噛み締めたに違いありません。
ワールドカップ・ロシア大会後の18年夏にベルギー1部のシントトロイデンへ移籍した遠藤は、翌19年にブンデスリーガ2部のシュツットガルトへステップアップしました。チームの1部昇格に貢献し、キャプテンを任されるほどの信頼を集めていきます。自らのキャリアについて、22年4月に取材でこう答えています。
「ワールドカップ・ロシア大会で悔しい思いをして、日本代表でスタメンを張るには海外でやらなきゃと思った。その当時はボランチではなかなか試合に出ていなくて、遠藤航のポジションはどこなんだ、みたいなところもあって。そこからベルギーへ行って、ボランチで試合に出たい思いがあったなかでポジションをつかんで、いまこうやってシュツットガルトでやっているのは、成長できた4年間だったと思う」
その時々に感じた悔しさを、成長への糧としてキャリアアップを果たしていく。プレミアリーグの名門リバプールの一員となった彼もまた、挫折を繰り返しながら成長していったことが分かります。
最終的に成功している人はすべてがうまくいっているように見えますが、そんなわけはありません。大なり小なり挫折があるのです。勝ち続けることはありません。
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