
さかのぼること数百年。江戸の世にも、「離婚」は存在していた。ただし現代と異なるのは、男性のしたためる「三行半」がなければ、女性は離婚できない、ということ。
西條奈加さんの新刊『初瀬屋の客――狸穴屋お始末日記』の舞台は、そんな「離縁」の調停を得意とする公事宿「狸穴屋」。女将の桐を筆頭に、手代や番頭ら“離婚調停のスペシャリスト”たちが日々依頼人のために奔走する。主人公の絵乃自身もかつて、ダメ亭主との別れを望んだものの持ち合わせがなく、桐の計らいで見習いとして働きながら離縁へと至り――。
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西條 江戸時代、離縁は男性が女性に一方的に通告するものだと思っていました。ですが、たまたま見つけた資料を読んでいると、意外とそうでもない。三行半を書くことこそ男性にしかできませんが、調べていくと、内容は自由度が高いんです。持参金が簡単に嫁ぎ先のものになってしまうわけでもないし、法律上は財産分与も保障されています。ある程度、女性の立場も考えられた制度だったことを知って興味を持ち、小説にしたいと思うようになりました。
特に、三行半に「女性の次の結婚を許可する」というニュアンスが含まれていた点が面白くて。離縁を押し付けるのではなく、新しい人生を後押しするというのでしょうか。もちろん、そううまくいかないケースも多々あったとは思うのですが。

――「離縁」とひとくちに言っても、夫婦の間に限らない点も面白いですよね。今作には6編の短編が収録されていますが、養父に離縁を言い渡された養子のお話がありました(「身代わり」)。評定所のお偉方である留役が、それまで厳しくも愛を持って接していた養子に対して、突然つらく当たるようになる。養子は真面目で気働きもいいから周囲も困惑するものの、日々些細なミスをあげつらって叱責した挙句、離縁を言い渡すという……。
西條 豊臣秀吉の例はよく知られていますが、養子問題って歴史上かなり頻繁に起きていたようで、資料も多く残っているんです。そこそこの立場になれば、家を守るためにどうしても養子を取らなければいけないけれど、いざ迎え入れてみたら反りが合わずに追い出して騒ぎになったり、今回書いたように、養子を迎えたあと、実は……。
「嫁入り」「女性は家に」はいつから?
――それ以上はネタバレに(笑)。
西條 あ、そうでした! 危ない、危ない(笑)。とにかく、歴史において何度も繰り返されているこの問題を、一度小説に落としこんでみたいと思っていました。書いてみて、あらためて現代にも同じことが言える、普遍的な問題であることがはっきりした気がします。
離婚は、ここ何十年かで増えたイメージがありますが、資料を読んでいると江戸時代もなかなか多かったようです。結婚しても、3年くらい子供ができなければ家を追い出されてしまったり、家柄にもよるでしょうが、価値観や性格が合わないことももちろんあったでしょう。面白いのは、「嫁に入る」とか「女性は家にいるもの」という感覚は、実は明治時代以降くらいのものではないかということ。江戸時代にあっても、武家の場合には「結婚=家と家のもの」という考え方が重視されていたでしょうが、町人の家の場合にはもう少し緩かったようなんですよね。昔だから、男尊女卑の社会だったのでは? というのは思い込みに過ぎないとわかり、そんな意外性があったからこそ書きたいと思いました。
――収録されている6編は、どれも違う切り口で「離縁」を扱っていますね。テーマ選びも秀逸で、最初の一編「祭りぎらい」では、浅草三社祭が離縁の種になったり、次の「三見の三義人」は200年前に「海」が質入れされたことをきっかけとした訴訟問題、「身代わり」は評定所のお偉方が訴えられてしまい……とバラエティ豊かです。テーマはどのようにして考えているのでしょうか。

西條 やはり資料を読んでいて面白いと思った部分を膨らませていくことが多いのですが、中にはちょっと違う入り方をするテーマもあります。たとえば、海について扱った「三見の三義人」は、一時入っていた海洋関係の研究会がありまして。
――研究会?
西條 趣味ではなく、ある作品を書くための取材として入れていただいていたのですが(笑)。オンラインで行われる月に一度の会合に、1年半くらい欠かさず出ていました。海洋関係、船関係のことをとにかく広く扱っているのですが、そこで聞いた海が質入れされるお話が面白かったので、書いてみました。
日頃、ニュースを見ていて思いつくこともあります。そもそも私、自分が時代ものを書くことになるなんて想像もしていなかったんですよ。
編集者の指摘に「面倒くさいな」と思いながら……
――そうなんですか!? 西條さんの代表作といえば、今作もそうですが、直木賞を受賞した『心淋し川』など江戸の人情物語が印象的です。
西條 もともとは人情を書こうと思っていたわけではないんですよ。ストーリーを展開させていくことは割と得意だと思うのですが、むしろ感情の機微などを書くのは苦手だと思っていました。特にデビュー後5年くらいは、編集者の方に原稿をお送りすると、「もう少し感情の描写を膨らませてください」と言われていました。でも、どうもそのあたりにあまり興味が持てず、「面倒くさいな」と思いながら改稿していたのですが(笑)。そのおかげで小説の書き方を学べたのだと思います。
――そうでしたか……!
西條 どうしよう、読者の方をがっかりさせてしまったかも。

――いやいや、とても興味深いと思います(笑)。ところで、『初瀬屋の客』は江戸のお仕事小説とも言えますね。主人公の絵乃は公事宿「狸穴屋」で働き始めて3ヶ月。見習いを卒業し、一人前の手代として働き始めました。彼女も、そして宿の女将も「働く女性」。現代でこそ当たり前の光景ですが、当時は珍しかったのではないでしょうか。
西條 あえて「女将」という設定にしたのは、私が江戸でも現代でも、女性は手に職をつけている方がいいと思っているからです。特に子供がいる場合、経済的な事情を理由に離婚をしたくてもできない、などという不自由は味わいたくないですよね。
私自身、両親にそう教えられて育ったことも大きいかもしれません。特に父は「自立しろ」とうるさくて(笑)。
私、幼い頃はちょっと甘えん坊だったんですけれども、それを小学校1、2年の頃に担任教師が親に言ったらしいんですね。「ちょっと甘ったれのタイプですね」って。それを聞いた父が俄然張り切ってしまったみたい(笑)。父は両親を幼いころに亡くしていて、お姉さんたちに面倒を見てもらったそうなんです。「親はいつ死ぬかわからないから」と口を酸っぱくして言っていました。気づけば、私は作家なんて仕事をやっていますけど……。
逆に組織で働いていると、女性はどうしても出産や育児のために仕事を休まなければいけない時期があるじゃないですか。みなさん、それをどうやって乗り越えてるんだろうって。私にはできそうもないなと思っているので、両立されている方々の並々ならぬがんばりを思うと、素直に尊敬してしまいます。
ドラマや映画、小説では「くっつかない」男女も増えてきた
――女性に限りませんが、いつの時代も長い人生の中でいろいろな選択を迫られますよね。たとえば、狸穴屋の女将の桐は離婚を7回経験しています。それでも彼女は、再婚への気概を失っていない。
西條 江戸ではなく、どこか地方の条例だったと思うのですが、実際に「離縁は7回まで」というお達しが出たらしいんですよ。それだけ離縁が多かったのだと思いますが、よもや上限が設けられるとはおかしいですよね(笑)。
でも、現代でも子どもを何人産むのか、逆に産まないのか、そもそも籍を入れるか事実婚かなどは本当に個人の自由で、その人にしか決められないものじゃないですか。今も昔もいろいろな人がいて当たり前。
話は逸れますが、少し前まで、小説に限らずドラマや映画でも、男女がいれば必ずと言っていいほど恋愛関係になっていた。でも、最近は変わってきましたよね。必ずしもくっつかなくていいし、たとえば男女が仕事上の信頼関係や友情で結びつき、そこに恋愛感情はないという描写も増えてきました。作者としては、登場人物たちを無理にくっつけなくてよくなったことで選択肢が広がり、書きやすくもなりましたし、一読者/一視聴者として作品を楽しむときにも、読みやすく、観やすくなったような気がします。
『初瀬屋の客』も、さまざまなキャラクターが懸命に目の前の相談ごとに応えようと奔走しますが、はっきり言ってしまえば、その中で恋愛模様が描かれるわけではありません。でも、それぞれのキャラクターの成長だったり、互いに築き上げていく信頼関係など、見どころはちりばめられたと思います。ぜひ、狸穴屋の仲間たちの日常を楽しんでいただきたいです。
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