
- 2025.06.30
- 文春オンライン
5歳の将軍が気まぐれで渡した「キスの焼き物」に歓喜…江戸時代の「将軍と側近たち」はどんな関係性だった?
「週刊文春」編集部
著者は語る 『徳川将軍の側近たち』(福留真紀 著)
出典 : #文春オンライン
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス

江戸時代の権力者と言えば――歴代の徳川将軍、改革を主導した松平定信、水野忠邦などが浮かぶ。あるいは、柳沢吉保、田沼意次――将軍の権威を笠に着て、人事で口利きを行う、過分な賄賂を求めるなど、“悪役”として語られる者もいる。彼らはいかにして絶大な権力を持ったのか。
福留真紀さんの新刊『徳川将軍の側近たち』は、徳川の政治を動かした人々を克明に描く。
「徳川時代の政治の中心は将軍ですが、幕府の正史だけでは、忖度もあるかもしれず、リアルな姿がわからない。将軍自身の個人的な日記や手紙なども残っていません。生身の将軍と徳川政治の本質を知るためには、将軍の側近に迫るのがベストだと考えました」
まず知るべき前提がふたつ。ひとつは、「側近」とは何か。本書では〈将軍のそば近くに仕える者のなかで、その存在が将軍に政治的に影響力を持った者〉と定義する。具体的には、「出頭人」「側用人」「御側御用取次」といった者たちだ。ここで疑問。幕府の政務を統轄する「老中」は側近ではないのか。そこでふたつめの前提。「奥」と「表」という政治空間の区別である。
「江戸城の空間は、『大奥』(女性たちの生活空間)『奥』(将軍の執務・生活空間)『表』(政治・儀式空間)に分かれ、それが政治の境界にもなっていた。江戸時代中期以降は、表を統轄する老中は側近というより官僚であり、奥向きを差配する側用人とは、相互の領域に権限を及ぼすことはできませんでした」
柳沢吉保に、ある大名が、政治運営について意見を縷々述べた書状には、意外な“限界”が記されている。
〈あなた様(柳沢吉保)が、どれほどお考えになっても、老中方がそれほどにもお思いにならず、おっしゃっても取り上げられない場合は、どうにもならないということは、察しております〉
つまり、将軍の覚え目出度い側近でも、老中の統轄する「表」の政治に関与できるわけではなかったのだ。
「それでも、諸大名が吉保を頼ったのは、綱吉の“窓口”である吉保と親交を深めることがお家の存続のために重要と考えたからでしょう」
「表」と「奥」両方のトップを掌握した者。その1人が田沼意次であったという。
「意次は九代家重の御側御用取次でしたが、『主殿(とのも)はまたうとのもの(律義者)』であるからと、次代家治へ側近のまま継承され、将軍の信頼を得て、側用人兼務で老中に上り詰めます。さらに、老中をはじめ、幕府の要職の者たちと姻戚関係を結び、政権基盤を盤石とするのです」

だが、両方のトップになったことは、諸刃の剣でもあった。
「将軍の“代弁者”に過ぎない側用人であれば、その政治責任が問われることはない。他ならぬ将軍の失政を咎めることになるからです。しかし、老中は将軍との個人的な関係ではなく、幕府官僚として政治を担う存在。家治の死後、意次はその政治責任を問われて、老中を罷免されたのです」
かくして、本書には、有名無名の側近たちと将軍との紐帯の物語が紡がれる。官僚組織とのせめぎ合いが政治を動かすダイナミズムを通史的に描いた。
「数え5歳の将軍が気紛れに下賜した鱚(きす)の焼き物に歓喜する大老、二代の将軍に奉仕しながらも最後は寂しく去った側用人、将軍の子どもたちの行く末を手配した奥兼帯老中……。様々な側近たちを通じて、江戸時代を俯瞰して見ることができました。大変な挑戦でしたが、授業で滑らかに話せるようになりました(笑)」
ふくとめまき/1973年、東京都生まれ。お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了。博士(人文科学)。清泉女子大学総合文化学部教授。著書に『徳川将軍側近の研究』『将軍側近 柳沢吉保』『将軍と側近』『名門水野家の復活』『名門譜代大名・酒井忠挙の奮闘』などがある。
-
『リボンちゃん』寺地はるな・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2025/06/27~2025/07/04 賞品 『リボンちゃん』寺地はるな・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。