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女性作家が切り拓く捕物帳の新境地! 紀伊國屋書店会長が高瀬乃一「貸本屋おせん」の魅力を語る

女性作家が切り拓く捕物帳の新境地! 紀伊國屋書店会長が高瀬乃一「貸本屋おせん」の魅力を語る

高井 昌史

高瀬乃一『貸本屋おせん』レビュー

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #歴史・時代小説

 出版文化が活気に満ちていた1970年代に紀伊國屋書店に入社し、現在は同社会長として日本の書店業界、読書振興を牽引する高井昌史さん。本をこよなく愛する高井会長に、気鋭の歴史時代作家・高瀬乃一さんについてお話を伺いました。

◆◆◆

高瀬乃一『貸本屋おせん』とは?

第100回「オール讀物新人賞」を満場一致で受賞した、高瀬乃一のデビュー作『貸本屋おせん』。さまざまな事件に巻き込まれながら、好事家たちに本を届ける貸本屋の女主人・おせんの活躍が共感を呼び、日本歴史時代作家協会賞の新人賞にも輝きました。続刊『往来絵巻 貸本屋おせん』では、文化年間の江戸浅草を舞台に、蔦屋重三郎を巻き込んだ出版界の謎や模倣本騒動が描かれ、大江戸ビブリオ捕物帳として注目を集めるシリーズとなっています。

 

 

読書とは忘れた頃に知恵になる

 普段は家にいるときは、メジャーリーグの大谷翔平選手をテレビで観ているか、本を読んでいます。私はもともと乱読派ですので、精読して付箋を貼るような読み方はしないため、若い頃に比べると読んだ内容をどんどん忘れてしまいます(笑)。それはもちろん悔しいのですが、「読書とは忘れた頃に知恵になる」と言いますから、肩ひじをはらずに本に触れて、たとえ忘れても、楽しめればいいと思っています。

 私の前任の紀伊國屋書店会長・松原(治)は92歳まで現役で、私よりちょうど30歳年上でしたが、とにかく読書家でした。私なんかとは天と地ほどの差がありました。彼は「月刊『文藝春秋』をきちんと読むことが幹部になる条件だ」と全国の店長会議で話すほどで、社長時代には、政治学者・丸山眞男さんの全集が机の上に置いてありました。私にはとても真似できませんが、そんな読書家の薫陶を受けたおかげで、社内には文芸好きな社員が多く、私自身も常にそれを大切にしてきました。

紀伊國屋書店会長・高井昌史氏

 ある先生が池波正太郎の『鬼平犯科帳』をカバンに何巻も持っていて、僕も読みはじめ「いま〇巻辺りを読んでいるよ」と言ったら、「遅いよ。もう鬼平じゃなく、今、僕は藤沢周平を読んでいるよ」と返されて、じゃあ藤沢周平を読んでそれを伝えると、今度は「遅いよ。今は津本陽が面白いよ」と……歴史小説が非常に好きな人で、とても勝てませんでしたが、本当にそんな感じで作品を常に追いかけていました。

高瀬乃一さんはまさかの女性作家!?

 司馬遼太郎だったら『燃えよ剣』『十一番目の志士』、山本周五郎の『樅ノ木は残った』、藤沢周平の『蟬しぐれ』……いずれも誰もが認める名作中の名作だと思います。葉室麟の『蜩ノ記』を読んだときも、本当に感動しました。以来、葉室さんの大ファンになりました。亡くなられたのが本当に残念でなりません。

司馬遼太郎
山本周五郎
藤沢周平

 ただ、これらの作品は作者が男性で、当時は歴史時代ものを書かれる女性作家は決して多くはなかったと思います。だから高瀬乃一さんの『春のとなり』を、角川春樹さんに勧められて最初に読んだときには、魅力的な作家が登場したと感じましたが、てっきり男性が書いたものだとばかり思っていました。そこで略歴を読後に確認したところ、名古屋の女子大出身だと書かれていたので驚きました。

 山本周五郎賞候補になった『梅の実るまで―茅野淳之介幕末日乗―』も、すぐに読みましたが、本当によく勉強しているとさらに感心しました。最近は歴史ものを書く女性も増えてきて、『円かなる大地』で大藪春彦賞を受賞された武川佑さんにも注目しています。『真田の具足師』では、戦国武将のことを相当勉強されていることが作品に現れていると感じました。

 こういった方々にどんどん歴史ものを書き続けていただければ、今後がすごく楽しみですし、そうなると、歴史時代分野の小説でも女性の読者がますます増えるでしょう。また新しいファンが過去の名作に目を向けてくれることにも期待を寄せています。

大河ドラマにも通じる江戸出版文化を知る楽しみ

 高瀬乃一さんの『貸本屋おせん』『往来絵巻』は、捕物帳のジャンルになりますが、これも野村胡堂の『銭形平次捕物控』、横溝正史の『人形佐七捕物帳』、池波正太郎の『鬼平犯科帳』と、従来は男性作家の書き手が多かった。平岩弓枝さんの『御宿かわせみ』や宇江佐真理さんの『髪結い伊三次捕物余話』もありますが、お二人も鬼籍に入られてしまい、それにつけても高瀬さんにかかる期待は大きいですね。

「貸本屋おせん」の著者・高瀬乃一さん

 主人公のおせんは、貸本屋を営んでいるわけですが、僕も55年間も本屋に勤めているわけですから、多少は江戸時代の本作りも知っています。この時代の貸本屋は売れる本を自分で書き写して、それを担いで自ら行商に行く。刊行点数は今よりもはるかに少ないからそれが可能だし、文化年間は出版文化がいちばん栄えた時代であるという人もいますから、挿絵も含めて本というものを当時の人も楽しんでいたのでしょう。

 さらにこのシリーズは、おせんが行商に出向く先々で事件(捕物)に巻き込まれていくという設定もおもしろい。大名火消しに材を採った、今村翔吾さんの『羽州ぼろ鳶組』のように、江戸のお仕事小説としても視点が新しいと言えます。いまNHKで蔦屋重三郎を主人公にした、大河ドラマ『べらぼう』が毎週放送されていますが、高瀬さんのこのシリーズを読めば、それだけで十分にこの頃の江戸の出版文化のことが分かりますよ。

夢はメジャーのように大きく海外進出!?

『貸本屋おせん』『往来絵巻』も、それぞれ5つの読み応えのある短編が収められています。僕はちょうど2時間くらいで1話分を読み切れますが、長編を読んでいるときは1冊を読み終えるまで途中では止められない。だけど、短編集だと1話読んだところで「よかったなぁ」という気持ちでその日を終えられます。土日や早く帰れた夜に1話ずつ読むのにも、長さ的にちょうどいい。

 ミステリー要素も1話ごとに謎解きされるので――僕はミステリーも大好きで、横山秀夫さんや柚月裕子さんのファンなんですが――ふだん歴史時代小説はあまり読まれない方にも、このおせんのシリーズはお勧めしたいですね。高瀬さんにはどんどん新作を書いていただき、しっかり紀伊國屋書店としても応援をして売っていきたいと思います。

『貸本屋おせん』
『往来絵巻』

 いまアメリカでは吉川英治の『宮本武蔵』の英語版がよく読まれているそうです。『バガボンド』の井上雄彦さんの絵が表紙なので、もしかしたら漫画と間違って買っているのかもしれませんが、侍ブームが来ているようです。AI翻訳の発達もあり、いい本は海外にもどんどん広まっていくチャンスがあります。

 紀伊國屋書店は、ニューヨークはもちろん、シアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、シカゴ、アトランタなどアメリカにも積極的に出店していますが、目標はメジャー30球団の本拠地すべてに30店舗展開です。そういう大きな目標を持って、これからも文芸作品を大切にしながら、豊かな出版文化を育てていきたいと考えています。

文春文庫
貸本屋おせん
高瀬乃一

定価:836円(税込)発売日:2025年05月08日

電子書籍
貸本屋おせん
高瀬乃一

発売日:2025年05月08日

単行本
往来絵巻
貸本屋おせん
高瀬乃一

定価:1,870円(税込)発売日:2025年05月14日

電子書籍
往来絵巻
貸本屋おせん
高瀬乃一

発売日:2025年05月14日

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