デビュー作『プルースト効果の実験と結果』が、文芸評論家・杉江松恋さんに「2018年における恋愛小説短篇のベスト」と、太鼓判を押された佐々木愛さん。第2作目の『料理なんて愛なんて』は、第1回本屋が選ぶ恋愛小説大賞にノミネートされるなど、いま最も注目されている恋愛小説家のひとりだ。

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何者かにならなくてはいけないのか…

 2年ぶりとなる待望の新刊『じゃないほうの歌いかた』は、果たしてどんな作品なのだろう――歌人の穂村弘さんによれば、「夢を諦めてはいけない、何者かにならなくてはいけない。そんな声がずっと聞こえていた。世界には自分しかいなかった。でも、本書を読み進むうちに、呪いは薄れてゆきました。そこは未知の世界でした。自分のほかにも人間がいた。そして、何者かわからない住人たちに奇妙な親しみを覚えました」という。

佐々木愛『じゃないほうの歌いかた』(文藝春秋)

 確かに、本作の登場人物たちは、「カラオケの再現映像に出ていそうな女」と過去に2度言われたことのある女性、音が鳴らないトランぺッターとその恋敵、反抗期の娘と暮らす元俳優、カラオケ店でアルバイトする謎の老人と指導役アルバイター、「E.YAZAWA」のステッカーを集め続ける売れない作家……いずれも、うだつの上がらない凡人ばかりだ。しかし、著者による唯一無二の筆致が、彼らに不思議な愛おしさを感じさせてくれる。

 舞台になっているのは、落合南長崎にある独立系カラオケ店「BIG NECO」(某有名チェーン店ではない)。作家・柚木麻子さんは、「カラオケボックスで、私はこれまでたくさんの奇跡に遭遇した。友人や同僚の意外な、そして感動する選曲。カラオケ画面と空間がシンクロする瞬間。そして隣のボックスからきこえてくる歌声。でも、そうした奇跡はカラオケの外に出ると泡のように消えてしまう。言語化されることは滅多にない。本作は、あの数々の奇跡をとらえ、ときほぐし、我々がなんでカラオケを愛するのかを、ささやく、のではなくハンドマイクで熱っぽく伝えてくれる」と、本作のカラオケ愛に注目。

カラオケは歌う者を主人公にしてしまう魔法の小部屋

 さらに、YouTubeやお悩み相談ポッドキャスト「佐伯ポインティの生き放題ラジオ!」で注目の佐伯ポインティさんも、「人生の憂鬱に抵抗するには、魂に叫ばせてあげるのが一番だ。声の小さい者でもエコーのかかったマイクで歌うことで、それは他人に届くボリュームになる。カラオケは歌う者を数分間主人公にしてしまう魔法の小部屋なのだ。“人生いろいろ”ある登場人物たちがカラオケを通して、真っ直ぐ希望を歌うJ-POP歌手たちに元気をもらう姿は、受けた光を乱反射するミラーボールのように美しくて愉快!」と、カラオケの醍醐味に読みどころを重ねた。

 スティーブ・ジョブズにも矢沢永吉にもなれない彼らが引き起こす、ささやかな奇跡の瞬間を、鮮やかに描き切った『じゃないほうの歌いかた』。この一冊を読んだ誰しもが、人生に「NO」と言えなくなるに違いない。

 

佐々木愛(ささき・あい)
1986年生まれ。秋田県出身。青山学院大学文学部卒。「ひどい句点」で、2016年オール讀物新人賞を受賞。2019年、同作を収録した『プルースト効果の実験と結果』で単行本デビュー。他の著書に『料理なんて愛なんて』や、『ここにあるはずだったんだけど』がある。