2025年9月10日に住田祐さんのデビュー作『白鷺立つ』が発売となりました。

 住田祐さんは本作で第32回松本清張賞を受賞。受賞時に「オール讀物」に掲載されたエッセイをお届けします。偉大なる先人、松本清張から学んだ「エンターテインメント」の心得とは。

(出典:「オール讀物」2025年7・8月号)

住田祐『白鷺立つ』書影

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エンターテインメントって?

 松本清張と聞けば、おそらく社会派推理小説家のイメージを持つ方が多数派であろう。しかし、清張はデビューしたての頃はむしろ歴史小説を多くものし、デビュー作も歴史ものであった。私は社会派推理小説家としての清張よりも、歴史小説家としての清張を好んで読んできた。おすすめは『小説日本芸譚』(新潮文庫)である。止利仏師、運慶、雪舟、写楽など日本を代表する芸術家たちの抱えた創作上の苦悩をこれでもかと描ききった短編集で、「自分が作りたい物を自分が作りたいときに作り、そのうえで評価を得続けている創作者」などこの世に存在するはずないのだと、ある意味で勇気をもらえる作品群である。

 私が清張の歴史ものを読んでいて素敵だなと思う点は、巧みな筆致やストーリー展開の意外性、魅力的なキャラクター設定などということももちろんあるが、何か一つ選べと言われれば極めて単純で、「物知りやなあ」ということに尽きる。知識どころか常識すら十分に備わっていない私は、清張の作品に触れるたびに、自分に対する恥ずかしさを通り越し、絶望を感じることすらある。

 しかし、絶望してばかりもいられない。人を楽しませるエンターテインメント作品こそ、その作者には圧倒的な知識量が求められるのではないか、と思ったりもする。とは言え、作者がただ単に知識をひけらかしていると思われれば読者は遠ざかるだろうし、一方、歴史ものだと読者にそれなりの説明は必要だし……その見せ方は難しい。

 そして当然、物知りであるだけで良質のエンターテインメントは作れない。先ほど挙げた清張作品の美点を含め、さまざまな要素が求められよう。

 では、「良質のエンターテインメント」とはどのような作品のことを指すのだろうか。また、その作者にはどのような努力が求められるのだろうか。自分なりに考えてみた。

 メディアの種類を問わず、エンターテインメント作品などというものは、ストーリーをぎゅぎゅっと(つづ)めると、その多くが、「だから何なん?」という言葉で片付けられかねないものだと思っている。

 私は同僚と共謀して会社の金を横領しましたが、同僚に裏切られて私一人の犯行とされ、職を失い、服役しました。出所後復讐を誓った私はあらゆる手を駆使し、元同僚の銀行口座の預金を全て奪い取りました。……だから何なん?

 僕たちは、海賊が隠した宝が眠っているという島に宝探しに行きました。するとそこには宝を求める別のグループがいて、競争することになりました。けれど、海賊が残した最後の暗号は僕たちにしか解けなかったため、結局宝は僕たちのものとなりました。……だから何なん?

 私は、この「だから何なん?」を大事にしたいと思っている。誤解のないよう換言すると、「だから何なん?」を、自分の紡ぐ文章から感じられないように工夫しなければならない、ということである。少なくとも、読者が私の作品を読んでいる最中には。

 つまり良質のエンターテインメント作品というのは、冷静に分析してみたり、時間が経ったあとでもう一度触れたりしたとき、仮に「だから何なん?」と思われたとしても、作品の消費中にそのように感じさせないからこそ「良質」なのではないだろうか、と思うのである。

 ついでに触れると、いくら冷静に分析しても、そして何度触れても、消費者に「だから何なん?」とは思わせない作品のことを、(けだ)し最高のエンターテインメントと呼ぶのであろう。そのような作品に出会ったとき、私は「なぜ自分はこの話を書こうとしなかったのか」と忸怩たる思いを抱いたり、「どのように努力すればこのような話を思いつけるようになるのか」と懊悩したりする。私にとって最高のエンターテインメント作品は、私を十分に楽しませたあと、私を存分に苦しめるのである。

 良質、ではなく、量質転化の法則、という考え方もある。量は質を担保するという発想が誰のものなのか分からないが、随分前から気に入っている。この法則が仮に普遍の法則なのであれば、質の向上のためには触れる量を増やすべきだということになる。私がこれから作家として活動していくのであれば、読書はもちろんのこと、映像作品はじめさまざまな作品に触れ、さまざまなことを勉強し続けなければならないということを示唆していると言えるかもしれない。

 ただし、読書については一つルールを設けている。「今ご存命の作家さんの歴史エンターテインメント作品は読まない」、である(ごく一部例外あり)。したがって、今回の松本清張賞応募にあたっても、過去の受賞作はあえて一切読まなかった。理由は単純である。私の場合、それらを一たび読んでしまえば、「そういうものをそういう風に書かなければ認められない」と思い込んでしまうからである(もちろん、私がそのように一部の作品に対して排他的な態度を取ることで、本来得られるはずのものが得られなくなっているデメリットがあることは、百も承知である)。

 何の実績もない分際で「エンターテインメントとは」と偉そうに書いてしまったが、今回の受賞作が読者の方々にどのように映るのか、恐ろしくて仕方がない。

 ただ、そこまで悲観的でなかったりもする。

 というのも、この小説を書いたのは何の実績もない私だが、選んでくださったのは日本文学振興会のみなさん、そして作家として第一線でご活躍されている選考委員のみなさんである。さらに、文藝春秋社の編集さんの助言をも受け、作品は投稿時よりもブラッシュアップされつつある(と信じている)。それらの方々が推し、支援してくださっているのであるから、拙著『白鷺立つ』は、少なくとも悪質なエンターテインメント作品ではないはずである(と信じている)。

 というわけで、本稿を最後まで読んでくださった方々には、SNSを含めた各種連絡網を必要以上に駆使し、ぜひ一人でも多くの方へ拙著を広めていただきたいと思う。

住田祐(すみだ・さち)

1983年、兵庫県生まれ。会社員。2025年『白鷺立つ』で第32回松本清張賞を受賞しデビュー。