「令和の米騒動」が収まらない。
2025年産の早場米価格は、5キロで4500円前後。「高くて買えない」と大騒ぎになった前年より、さらに千円ほど高値となった。
日本人にとって大切な主食で、ほぼ100%の自給率を維持してきたはずのコメがなぜ、急に値段が高騰したのか。その原因を端的に言えば、需給が逼迫したからだ。そのとおりだが、本当に考えなければならない問題は、需給が逼迫した原因は何なのか、にある。
本質は巷間言われている猛暑の影響やインバウンド需要といった「不可抗力」ではない。明確な見通しもないまま強化されてきた「減反政策」と、「安すぎる米価」で農家を追い詰めてきた小売・流通業界と消費者、そして、それを放置してきた国の責任だ。
「令和の米騒動」を振り返る
コメの値段が徐々に上がり始めたのは、2024年に入った頃からだ。5キロ2000円程度だった店頭価格が、2500円を超えた。と思うと、夏にはスーパーの棚からコメが姿を消してしまった。
空っぽになった棚には「入荷予定なし」の貼り紙が下がり、たまに入荷すれば買える数量に制限がついた。国は「秋になって新米が出回れば品薄は解消され、値段も一定の水準に落ち着いてくる」と説明したが、そうはならなかった。
2025年に入っても高値が続いたから、政府は備蓄米の大量放出に踏み切る。「小泉劇場」の開幕だ。5月に就任した小泉進次郎農水大臣は、従来の入札制度から随意契約によって小売業者に直接売り渡す方法へ「超法規的に」変更した。特定の大手業者だけに国が輸送費まで負担する政策介入で、無理やり5キロ2000円の米価を演出した。確かに、安い備蓄米が増えたことで、コメの平均店頭価格は一時的にはある程度下がった。
コメの値段を早くなんとかしなければ、という意欲はわかる。しかし備蓄米に輸入米を投入し、「市場をジャブジャブにする」との発言に全国の稲作農家は怒った。「そんな価格破壊をして誰がコメをつくれるのか」と。結果的には、随意契約米の放出もスムーズには進まず、一時的なパフォーマンスに終わった。ネットでは「参院選対策米」とか「郵政の二の米」と揶揄する声も上がった。小泉大臣にとっては、父親が行なった郵政改革に倣う農協改革のつもりでもあったのだろう。
しかも政府は、「コメは足りているが、流通で目詰まりを起こしているだけ」という間違った主張を変えず、「25年産の新米の作付けは増やさなくていい」と指示を出した。コメが足りないのなら増産させなければいけないし、作りすぎて値段が下がったら国が補填する政策を打ち出せばいいのに、メンツと財政の制約を優先したのだ。
情報に通じる集荷業者は、2025年もコメ不足が解消しないとお見通しだった。田植えよりずっと早い3月頃から、集荷業者間で「青田買い」どころか「茶田買い」と言われる集荷競争が繰り広げられ、農家との間では秋の新米の契約がかなりの高値で進みだした。だから、筆者も新米価格が4000円超えになる可能性を繰り返し述べてきた。実際には、猛暑と少雨の影響もあり、新米に想定以上の高値がつく事態となった。
毎年、新米がじゅうぶん出回れば米騒動は収束に向かうという甘い見通しが語られては、外れ続けている。根本が解決されていないからだ。農家の疲弊を放置したままでは、一時的に米価が下がったとしても、中長期的にはコメ生産が不足し、米騒動が繰り返されることになりかねない。
悠長に構えている時間はない
石破茂首相は8月になって(9月7日に辞任を表明)、コメの増産に踏み切るという歴史的な転換を表明した。コメ価格高騰の検証結果について、
「一般家庭の消費量やインバウンド需要、精米にしたときの歩留まり(玄米から米ぬかや胚芽を抜いた白米の重さの割合)の低下などの観点が欠けていたことなどから、生産量が足りていると判断し、備蓄米放出のタイミングや方法も適切でなかった」
などと説明した。
農林水産省の渡辺毅事務次官も、自民党農林部会の会合に出席して、
「コメは足りていると申し上げてきたが、誤っていた」
と謝罪し、需給の見通しを間違えたことがコメ不足を招き、価格高騰の原因になったという認識を示した。認めたのはよしとして、頭を下げる相手は自民党の議員ではなく、国民ではないのか。それに、農水省に責任を押し付けているが、そもそも政治・行政全体の責任ではないのか。
石破首相はまた、
「耕作放棄地の拡大を食い止めるとともに、輸出の抜本的な拡大に全力を挙げる。収穫量が増えて米価が下がったら、輸出に回す」
と話したが、短期間に簡単に輸出を大幅に増やせるわけはないから、増産したら価格が暴落して農家は潰れてしまう。
石破首相は「水田政策を根本的に見直すのは2027年度」と語ったが、悠長に構えている時間はない。その前に農家が潰れてしまう。コメの生産者に必要な適正価格と、消費者が望む適正価格の間にギャップが生じている。その差を埋める政策を早く実現しなければ、間に合わなくなる。
5年以内に全滅してもおかしくないコメ農家
実は2020年以来ずっと、単年で見ると、コメの生産量は需要量に達していない。需要にギリギリ合わせようとする生産調整、水田を畑地化すれば生産者に一時金だけ支払うという「田んぼの手切れ金」制度の導入に加え、稲作農家の疲弊が進んで生産力が落ちてきているのが主な理由だ。稲作農家の年間所得は、驚くなかれ1万円だ(2022年)。時給に換算して10円にしかならない低所得に追い込まれ、生産の縮小や廃業が増えたため、需要を満たせなくなっているのだ。
一刻も早く農家の疲弊を食い止め、安心して増産できる稲作ビジョンを提示することが急務だと、私は繰り返し述べてきた。長年の失政や外圧に苦しめられ、追い込まれてきたコメの生産現場は、高齢化し、担い手を失い、困窮しきっている。日本のコメ農家は、5年以内に激減し、多くの農村コミュニティが崩壊かねない窮地にあるのだ。
増産できないなら、輸入米でまかなえばよいかのようなストーリーもトランプ関税との絡みでつくられている。これでは、稲作農家はさらに追い詰められて、やめる農家が続出しかねない。輸入米が増え、コメの自給率さえ大きく下がってしまったら、いざというときに国民は餓死しかねない。
世の中の関心や大半のニュースは、「コメの値段はいつ下がる?」「いくらまで下がる?」に集中する。しかし高値どころか、国産の美味しいコメが食べられなくなる日が、すぐそこまで来ている。
我々は今、何をすればいいのか?
「はじめに 国産米が消える日」より






