元第二万金楼はもちろん、いまはありません。元東家もありません。小さな公園になっています。
でも、あの空間は、記憶の内にだけ広がっているのではなく、いまも現実にあって、私は折に触れてそこを歩くことができます。思い出に浸るだけでなく、リアルな空間を行くことができます。
もちろん、六十年近い時が経っているわけですから、当時と同じ街並みであるはずもありません。建物のすぐ近くにあった市場(いちば)や何軒もの映画館はとうの昔に消えたし、伊勢佐木町の立派な三つのデパートは影も形もありません。なによりも、幼い私にさまざまな世界を覗かせてくれた市電がありません。その市電で通った三渓園の砂浜も、とっくに石油コンビナートに埋め尽くされました。失ったものは数限りなくあります。
かつての色町も、いまとなってはほとんど姿をとどめていません。あの広大な永真遊郭を伝える建物は、いまとなっては皆無です。それでも訪れると、かつては柳が植わっていたのであろう、道路中央の植え込みだけは縦横に走っていて、延々とつづくその長さが、往時の壮大な規模を伝えてくれます。そういう遺構なら、写真のように、かろうじて残っています。ギリシャバーが建ち並んでいた曙町も、あの日ノ出町・黄金町も、いまならばまだ名残りを確かめることができるでしょう。けれど、私が、思い出のなかに浸らずとも、あの空間がいまも現実にある、と言うのは、遺構のゆえではありません。
往時を偲(しの)ばずとも、関内や桜木町の駅より陸側の横浜は、結界だらけの街なのです。経済合理性という神が駆逐する結界が、この街にはいまも生きています。もしも、おしゃれな街とされる元町に行ったら、中村川の対岸に目を向けてみてください。そこは、簡易旅館のドヤが建ち並ぶ寿町です。松任谷由実が歌った山手のレストランに近い根岸森林公園は、荒れぶりが取りざたされている根岸共同墓地と近所ですし、観光ガイドに必ず載る老舗の牛鍋屋の斜向いに、街娼が立つのを認めたことがあります。横浜ではいまも、異質なものが当り前に隣り合います。街並は変わっても、その体幹は変わっていません。
そろそろ、温燗(ぬるかん)が旨い季節です。野毛や伊勢佐木町には、温燗が似合う店がいっぱいあります。一度、夜の路地へ分け入ってみることをお奨めしますが、そのときは是非、周りの街も探検なさってみてください。街の体幹が変わっていないことを、分かっていただけると思います。心を柔らかくして歩けば、通りのそこかしこに結界が顔をのぞかせる、いまなお脈打つ都市の危うさが心地よい、ありがたい街です。
写真◎山元茂樹
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